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ラオス・タイ イサーンを歩く旅 9


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ついにイサーンの旅を終えて、ナコーンラーチャシーマーからバンコクに帰る。
最後の大移動。
ラオス、イサーンの旅って言っておきながらも、
やっぱりバンコクから入ってバンコクに帰ってからのことも含めて書いてみようと思う。
面白かったので。

だいたいいつものバンコクは旅を終えて寄り道して、
なにもせず毎日、日本食ばっかり食べて自堕落に過ごす、 "沈没生活" だけど、
今回はバンコクでも久しぶりに "旅" というマインドで遊んだ。

旧市街の宿の最寄駅はナコーンラーチャシーマーの一つ手前のタノンチラジャンクション駅。

長距離のチケットは予約できるというので、
2日前、この駅に降り立った時に買っておいた。
国鉄のバンコク駅、フアランポーンまで。
2等のチケットは167バーツ(600円ちょっと)だった。

列車は15分遅れて着いた。
駅員さんが声をかけてくれ、おれが乗る車両まで案内してくれた。

2等って言うから少し期待したけど、やっぱりエアコン無し。
座席は全部前向きでぎっちり狭い。
満席でむんむん。
これだったら今までのローカル線の方が自由で快適だったな。

ちょうど昼時で、たくさん物売りが回ってくるのでパッタイを買っておく。

相変わらずスピードの遅い列車。
単線なので列車同士すれ違うたびにしばらく停車する。
エアコンが無いから止まるととにかく暑い。

定期的にスコールが降る。
そのたびに全開になっている窓を一斉に閉めるんだけど、窓がオンボロで閉めるのにコツがいる。
最初、閉め切ってもどうしても途中まで下がってきてしまう。
隣の席の兄ちゃんが数分格闘してなんとか閉まった頃には雨が止んでいた。


走り出して5時間。
列車はバンコク都内に入った。
ぼちぼち降りるような気でいると、ここからが長かった。

ドンムアン空港を通り過ぎたくらいから、スピードを一気に落とし超鈍行。
ランニングしてるのとたいして変わらないくらいの速さ。
列車のすれ違いも多くなり、謎な場所で10分とか平気で止まるのでとにかくじれったい。

都市に近づき景色が都会になってくる。
イサーンからずっと一緒に乗ってきた人たちはビルが乱立するバンコクの街を見てどこかそわそわし始めた。
おれも1ヶ月も田舎で生活していたので一緒になってそわそわしている。

今までたくさん、田舎からいろんな思いを背負って大都市バンコクに出てきたイサーンの人の気持ちがほんのちょっとだけ味わえているような気がして最高の気分だった。

1ヶ月ぶりのバンコクは少し怖くなるくらいに大都会だった。
お金や家族のためにこんな大都会へ、ひとり田舎からこの列車に乗り出てきた人がたくさんいるんだろう。



バンコクの見慣れたようなエリアに入る頃、
不思議なことになにも考えずにずっと一緒に乗っている人たちが見るからに田舎の人に見えてきた。

バンコクに帰ってきて街の匂いや感覚を体が急に思い出してしまったみたい。
まるで1ヶ月旅していた田舎の魔力が一気に解けてしまったようだった。

さっきまでなにも思わなかった隣の席の兄ちゃんなんて今みると、こんな格好でバンコク来たちゃって大丈夫?と思うような、
薄汚れた短パンに、擦れて薄っすくなったビーチサンダル。ボサボサ頭という出立ちだ。
イサーンにいた時はだいたいみんなこんな感じなのでなにも感じないわけだ。

そんないろんな思いをひとり楽しく噛み締めていると、列車はどデカい新ターミナル駅バンスーの真横のオールドステーションに停車。

次タイを鉄道で旅する時にはバンコクのターミナルは完全にここに移行しているかもしれない。

バンスー駅を出てそこから20分ちょっとで旧ターミナル、フアランポーン駅に着いた。
ナコーンラーチャシーマーを出てから6時間半。

一方的なソウルメイト
イサーン人たちが
一斉に夜のバンコクの街に散っていく
1ヶ月前、おれの旅はここから始まった


チャイナタウン ヤワラート

1ヶ月ぶりに帰ってきたバンコク。
馴染みのスクンビットエリアに帰る前に、
ヤワラートに寄り道。
ずっと前から次バンコクに来るときはここに来ようと決めていた。

ヤワラートはバンコクの旧市街にある。
1700年代に、食べることに困って中国南部からバンコクに行き着いた移民たちがつくり上げたバンコクで一番古いチャイナタウンだ。

今でこそ国のお偉いさんや富裕層には中華系の人が多く、どこの町にも普通に馴染んでいる中華系タイ人だけど、
タイに渡ってきた当時、今ではそれこそイサーン人やミャンマー人、カンボジア人が担っているような道路工事や建築現場での肉体労働がメインだったらしい。

おれは昔に昼間ちょっと散歩したくらいだったので、初めてのこの街の夜の活気に圧倒された。

ヤワラート通りに迫り出した、たくさんの漢字のネオンサインがこの街のムードをつくりだしている。

ヤワラートのストリートミュージシャン


夜は車道の端を潰してウォーキングストリートを作り、たくさんの中華料理の屋台が出る。
ストリートで歌っている人がいたりして、すれ違うのも大変なくらいの人波。

久しぶりの都会の人の多さと賑やかさに、田舎から出てきたばっかりのおれは珍しく少し人酔いしてしまった。

めちゃくちゃ人気の屋台

こんな喧騒のヤワラート通り沿いにホテルを取った。
1泊750バーツ(2800円)もしたのに、部屋は狭く窓もなかった。
都会のホテルはべらぼうに高い。

夜、部屋にいると色んな言語を話す他の宿泊者の声が聞こえてくる。
ヤワラートは特に欧米人の観光客が多く。
しばらくタイ人以外の人種をみることがほとんどなかったおれには新鮮な感じだ。

フカヒレスープと蟹炒飯

ヤワラートは高級中華料理を安く食べられることで有名。
名物のフカヒレスープは300バーツ(1100円くらい)。
生まれて初めてのフカヒレ。
不味くはないけど、その半額の蟹炒飯の方がずっと美味しかった。

ヤワラート通り近くにある問屋街
サンペンレーン


フォトジェニックな寺院 ワット・パクナム

ワットパクナムの周りはアップタウン


バンコクで一番フォトジェニックな寺院として特に日本人観光客の間では超人気な新名所ワットパクナム。

おれは今までスルーしていたけど、
寺院の中よりも去年、2021年に完成した大仏を、町中からカメラに収めたいと思った。

バンコクの都市からチャオプラヤ川を渡った向こう側。
寺院近くの下町エリアまでバイタクで向かい、そこから町を歩きながら目指すことに。

途中にあるめちゃくちゃローカルな市場の奥を進んでいくと、川沿いに小さな船着場があって、そこから大きな大仏と仏塔が見える。

細い路地をずっと歩いていくと、ワットクンチャンという寺院が出てくる。
その寺院を突っ切って小さな橋を渡るとワットパクナムはすぐそこ。
大仏の背後にたどり着く。

近くからだと画角に収まりきらない大きさ
ワットパクナムの仏塔から見えるワットクンチャン


表で靴を脱ぎ仏塔に登る。
向こうにバンコク都心のビル街と、手前に地方とあまり変わらないような下町が見える。

寺院の中には幻想的な天井画が広がる。
散々写真は見ていたけど、実際に見てみると理屈抜きですごい。

めちゃくちゃサイケデリック

サンペンレーンから泥棒市場。
タイ最古のデパート、ナイチンゲールオリンピック。
そしてワットパクナムと、
旧市街エリアで行きたかった場所が積もりすぎていて休みなく周っている。
バンコクまで来ても、ヤワラートや旧市街はおれには新鮮でまだ旅の続きという感じ。

タイ最古のデパート、ナイチンゲールオリンピックは、もはや骨董品の域のスポーツ用品や楽器が並んでいてディープだった。

ちなみにそのうちバンドを組むことがあれば "ナイチンゲールオリンピック" にしようかと思ってる。

創業90年の歴史がそのままに残ってる

王宮の前まで足を延ばして、プラクルアン(お守り)市場とその隣にある、インディーズレコード屋を覗いた。

タープラチャン船着場の前にあるレコード屋、ノーン・タープラチャン。

クレバーな雰囲気のマネージャーのおばさんに「どんなのがお好き?」と聞かれ、
そこから次から次へとおすすめのCDを視聴させてくれた。

視聴させてくれながらいろいろなことを細かく説明をしてくれて、
「これどう?これが好きならこれとこれも聞いてみて、絶対気にいるはずよ。」という流れが小一時間続いた。

たくさんのアーティストの曲を聴かされると、次々にどれも欲しくなってしまうのだが、
欲しいCDをキープしていき、最終的にその中から特に気に入ったCDを5枚に絞った。

覗いてみて良さそうなのがあれば1枚2枚買ってみようかなってつもりだったのに、
思いがけず2000バーツ(7500円くらい)の出費。
マネージャーのおばさんの話術に負けた。

狭い店だけどこだわったものを熱心におすすめしてくれるので、また目当てがある時はここに来よう。


ヤワラートでは連日、蟹炒飯にフカヒレ、上海焼きそば、北京ダックとこれぞヤワラートな本格中華料理を存分に味わった。


ヤワラートは賑やかでありながら、世界中のパリピが集まるスクンビットとは違ってあくまでローカルな街。
食べ物の選択肢も多いし、どこに行くにも立地もよく不便のないこの街は今度からバンコクの滞在地にしてもいいなあ。


バック・トゥ・スクンビット

夕方のスクンビット通りはいつも大渋滞


ヤワラートからロッメー(路線バス)に乗り込みアソーク駅を目指す。

バスの番号を事前に調べて乗ったんだけど、
車掌さんにアソークまでと告げると、「アソークには行かないよ。そんなバスは無い。電車で行きなさい。」とのことでフアランポーン駅前で下される。(お金は取られてない)

仕方なくそこから地下鉄、MRTでスクンビット駅まで10分ちょっと。
そこから歩いて、アソーク駅とプロンポン駅の間、スクンビットソイ(路地)20に取った、
1泊475バーツ(1800円)の安宿を目指す。

MRTの車内

なんとなく隣のソイ22から歩いてく。
ソイ20はわりと静かだけどソイ22はバーやマッサージ屋で賑やかなソイだ。

何年か前にカオサンの路上バーで知り合ったおばさんが働いていて、一回だけ顔を出したことがあるソイ22のグリーンツリーというマッサージ屋は、名前の違うマッサージ屋になっていた。

彼女は今、コロナで仕事を失って故郷、北部のプレー県で土木作業員をしながらなんとか暮らしているらしい。


ソイ20の奥からソイ22に入り、今日の宿に着いた。
ソイの入り口からは5分以上歩いた場所だ。
ここの経営者はインド人夫婦みたい。

荷物を背負ったままじゃ通れない細い階段で5階まで上がる。
部屋は荷物も広げられないくらい狭く、窓はなくカビくさい。
シャワールームはカビや水垢がすごく、当然お湯なんか出ない。
毛玉だらけの枕に、黄ばんだタオルが1枚だけ。
冷蔵庫、ミネラルウォーターやアメニティは一切なし。

正直、外観の雰囲気とインド人経営な時点で予感はしていたけど、
バンコクの都市スクンビットにありながら、このホテルは水準がインド。
インドの平均的なゲストハウスはちょうどこんな雰囲気だった。

値段が安いので立地や部屋の狭さはわかるけど、
この衛生レベルは安宿に慣れていない人には耐えられないかもしれない。

唯一の利点といえば目の前にセブンイレブンがあることだけど、急な階段の5階なので結局億劫。
壁は薄く、隣のインド人が大声で電話している声が夜中までずっと聞こえてくる。

旅の最後がこれっていうのもなんともだけど、
旅の初心を思い出させてくれるとともに、
インドに旅行に来た気分になれたのでまあオッケー。

シャワースタンドが折れていて固定できないのでソープディスペンサーに上手く絡めて使う。
ちなみにディスペンサーの中は得体の知れないヘドロのようなヌルヌルしたものが固まってた。


予約していた帰国用のPCR検査を受けにクリニックへ。

BTSトンロー駅の奥の方のPCR検査場は、場所柄もあるけど日本人しかいなかった。
今、帰国するのにPCR検査の陰性証明書を必須としているクレイジーな国は日本くらい。
バンコクのPCR検査場は日本人のためにあるようなものみたい。

滞在時間わずか2〜3分。
お金を払ってさくっと鼻に綿棒を突っ込まれフィニッシュ。
あとは明日までに結果の書かれた証明書がメールで送られてくる。

都心部ではここの検査が最安。
それでも1500バーツ(6000円近く)もかかる。
他の所だと倍くらいしたりする。
この無駄な出費に、帰国できないリスク。ほんと勘弁してほしい。
ネガティヴを知らせるメールはその日の夜に来た。早い。

日本入国の時に使う、My SOSというアプリに陰性証明書やらなにやらをアップロードして申請。

予定通り日本に帰国できることが決まったのでやっと帰国の準備に入る。
飛行機の預け荷物の追加(エレクトリックピンを買ったから)、成田から池袋行きの高速バスの予約をする。

センセープ運河のプラトゥーナム船着場



ステッカーを探して

せっかくエレクトリックピンを買ったので、
それにタイらしいステッカーをベタベタ貼りたい。
おれは気に入ったものにすぐステッカーを貼る癖がある。

スクンビット通りのステッカー屋台を覗いてみるも、洋物のバンドのものばっかり。
ショッピングといえばってことでプラトゥーナムまで。
このエリアはローカルなショッピングモールがたくさん並ぶエリア。

プラトゥーナム

いくつかのショッピングモールから市場。
プラトゥーナム中を歩き回った。
同じような服の店が延々にある。
きっとここ一帯だけでまじで1000店舗は軽くあると思う。

服屋がほとんどであとはお土産なんかもあるけどステッカーを売る店はなかった。
プラトゥーナムはなんでも揃う街だと思っていたけど、意外と盲点があるのか。

ちょうど土日。
バンコク最大のウィークエンドマーケット、チャトゥチャックまで行けば絶対に買えるんだろうけど、ステッカー1つのためにわざわざ行く気力は残ってなかった。

サイアム駅前

サイアムまで戻り電車に乗る前に、ダメ元で駅前のモール、MBKセンターを覗いてみると、普通にお土産物屋にベタなステッカーが売ってた。
MBKを侮っていた。

サイアム駅は
スカイトレインBTSと地下鉄MRTの交差する
バンコクの新宿のような駅


バンコクで二郎系

ラオスからイサーン、1ヶ月ほぼほぼ日本食を食べずに頑張ってきたのは、
  "バンコクに帰ったら美味い二郎系ラーメンを食べられる" というモチベーションがあったから。

しっかり昼ごはんを抜いて夕方、トンロー駅近くの美味しいと評判の二郎系の店に向かう。

もはや神々しい

スクンビットソイ53にある、麺屋NARUTOさん。

店に入るといきなりメニューを選んで、先にお会計するスタイル。
二郎ラーメン、300バーツ(1100円くらい)。
30バーツで味玉をトッピングしたけどデフォルトで付いていたみたいで2個乗ってきた。

上に乗った野菜と背脂の塊にスープをかけて一口。
久しぶりの二郎系ラーメンは美味すぎて泣きそうになった。
東京で食べるのと変わらないクオリティ、ボリューム。

これが食べられるバンコクはもはや東京。
最近バンコクのラーメン業界はクオリティがどんどん上がっていて、二郎系や家系でもかなりレベルが高いものが食べられるらしい。

いよいよ旅も終わり


スクンビットのバーは値段が高い上に、どこでもファラン(欧米人)のおじさまたちが大はしゃぎしていらっしゃるのでイサーン帰りのおれが落ち着けるはずもなく、
宿の前のベンチで、コンビニで買ってきた缶ビールをやるのが定番だった。

おれが缶ビールの栓を開けるとすぐ隣のマッサージ嬢たちが「チアーズ」と言って笑ってる。

いつもここのお姉さんたちに、髪を梳かされたり、なんかクスクスと笑われたりしながらビールを飲んでた。

マッサージはいつも超絶暇そうで、常に10人くらいのお姉さん、おばさんが店の前でご飯を囲んだり、スマホで映画みたりしながら夜中までだらっと座ってる。
暇でもみんな楽しそうでいいな。

現国王ラーマ10世のお母さん シリキットさん

インドのようなボロ宿に2泊。
いよいよ今日の夜中のフライトで東京に帰る。

フライトまで半日あるのでプロンポン駅近くのホステルにドミトリーのベッドを取った。
250バーツ(900円ちょっと)。
これで荷物も置いておけるし、好きな時に帰ってきて休憩やスマホの充電もできるなら安い。

スーパーで買い物を済ませて、
ターミナル21のフードコートでご飯。
このフードコートは美味しいしとにかく安いっていう話はよく聞くけど、
本当にそれで、50バーツ(190円)もあればだいたいのものは食べることができた。
この辺の道端の屋台よりも安い。
最後のご飯は35バーツ(130円)のチキンビリヤニ。
ほろほろの骨つきチキンが付いてこの値段は素晴らしい。
同じモールにこんなにいい場所があったのに、今までこれの10倍近い額を払って、ペッパーランチとかCoCo壱にばっかり通ってたのが馬鹿みたい。

プロンポン駅前

今まであまり寄り付かなかった、プロンポンやトンローのあたりはまじで日本人街。
日本語の看板だらけで、日系スーパー、居酒屋。
美容院から不動産屋までほとんどが日本人専用。
日本人コミュニティが出来上がっている。

日本以外では、ロサンゼルスが世界で一番日本人在住者が多く、その次がバンコクなのだ。
住むには便利だろうけど、せっかく日本を出てきた旅行者のおれにはあまり用のない街かもしれない。

トンロー駅前
スクンビット通りはいつも大渋滞


そんなこんなで夜、街からエアポートリンクに乗ってスワンナプーム空港へ。
この空港から出国するのも初めて。新鮮だった。

成田を出る時と同じで、チェックインの列に1時間以上並び、厳しめの出国手続きが済んだ頃には、すぐに搭乗開始時間。
おれが乗る航空会社には楽器の取り扱いサービスがなく普通の預け荷物扱いになるので、
エレクトリックピンはラッピングカウンターでぐるんぐるんにラップしてもらった。

このスタイルで輸入


バーガーキングで買ったワッパーをかじりながら忙しなくゲートに向かい、
飛行機に乗っかって成田へ帰った。


成田空港はガランとしていて少し不気味。
スマートフォンのアプリのファストパスの画面を常に提示しながら歩けという謎の指示に従ってゾロゾロと静かな順路を進み、
いくつものカウンターでいちいちその画面を見せる。

外国人もちゃんとアプリを使っていて大人しく指示に従っていて、なんか変な国でごめんね、という気持ちになってしまった。
日本はまだばりばりのコロナ禍にいるみたい。

ちょうどこの8月から始まった、池袋行きの格安高速バスで空港から地元池袋まで2時間。

相変わらず大都市東京は、人が多いのにがらんとしていて静か。
そしてタイより暑いんじゃないか。

5週間ぶりに帰ってきた東京でおれはしばらく旅の疲れよりも、真夏の東京の酷暑にやられて夏バテのような感じになっていた。

夜のアソーク交差点


コロナ禍初、2年半振り5週間の旅が終わった。
ラオス、イサーンはそれぞれ振り返りは前の記事に書いたので割愛するけど、ざっくり5週間の旅のいろいろを思い出している。

毎日違う町で次々に違う景色を見てきたので、
もう旅の最初なんか遥か昔のことみたい。
5週間という長さの旅も久しぶりだし、
ラオスで3つ、イサーンで14の町。
一度にこんなにたくさんの町を周ったのははじめて。

一人旅というものは、常に今日をいかにゴキゲン過ごすかということだけで忙しい。
どこに行くか、行かないか。
なにを食べるか、どこでビールを飲むか。
とにかく自分を楽しませるために動く。
こんな常に自分との二人旅は、変に擦り合わせたりしない分、誰かと行く旅行よりも欲に従順で、ある意味でかなり忙しい。

東南アジアのほとんどの国を旅していて、
なぜかぽっかりと後回しになっていたラオス。
それに今までバンコク至上主義みたいなところで、目の向かなかったタイの田舎イサーン。

ラオ族が暮らすこの2つのエリアの空気を吸ってみることで、バンコクや、インドシナの隣国の観え方が今までよりくっきりとした。

ラオスやイサーンの田舎から、家族のためにバンコクに出稼ぎにくる肉体労働者。
恋人を残し売り飛ばされてくる売春婦。
はたまた、夢と希望を胸に上京してくる若者。
それぞれ一体どれほどの気持ちで故郷を離れたのかは計り知れないけど、
それでも彼らの故郷を歩き、同じルートを同じ列車で辿ることで、その気持ちにほんのちょっとだけ寄り添えたような気がした。

ラオスやイサーンには何もない秘境というイメージがありながら、
人々の生活や悠久のメコン川がある。それだけでほかには何もないし要らない。

大昔、川があったことでそのあたりに町ができる。
陸路で旅をする中で海から遠く離れた内陸で、いかに川が重要な役割だったのかを感じることができた。

その町の人たちの暮らしや価値観。
そんなものをラオス、イサーンでびしばし感じることができた。
そんな旅こそがサイコーであり、
そんな旅をまだまだ辞めることはできないだろう。


最初の記事↓


タイのスイスを目指す旅↓

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