転石庵茫々

人生が一つの夢ならば、この地の私は遠い異国の地エチオピアのシャーマンに煙の中で幻視され…

転石庵茫々

人生が一つの夢ならば、この地の私は遠い異国の地エチオピアのシャーマンに煙の中で幻視されているのだろう。 転がる石の如く、いつのまにか、この地では、EXILE(故郷喪失者)となり、魂は異郷の森林へ帰ろうとしている。 【転石庵茫々】tensekian@gmail.com

マガジン

  • 丘の上の学校のものがたり 1967~1973

    都心の丘の上にあった学校に通うことになった少年の昭和40年代の6年間のものがたり。 (これはフィクションです。) プロローグは、「モダンな風は海岸都営アパートから 【東京は芝神明、浜松町あたりのものがたり】」です。

  • 人生はさておき・・・

    人生はさておき、何となく、気になった本のことや世間のことについて折々不定期に書いています。

  • 出会ってしまった不世出の鬼才たちへのオマージュ

  • 介護現場から考え始めたこと

    還暦過ぎて入った介護現場で考えはじめたことを、少しづつ備忘録兼ねて綴ってます。 問題提起はありますが、一般的な解決策はありません。 介護は、人間関係のなかで現れることなので、各現場で起きた問題はその現場にしか解答はないでしょう。ただ、介護をする上でのヒントは多様な現場の実例から発見されるので、いろいろな現場を知ることはとても大切だと思います。

  • 東京は芝神明、浜松町あたりのものがたり

    昭和30年代、東京は芝神明、浜松町あたりをぶらぶらしていた少年によって、浜松町という土地とそこで暮らしたひとたちとのあいだに紡がれた交情の断片(かけら)がものがたれる。 And soon everything we've know Will just be swept away…

最近の記事

世は大正、芝神明前、櫻乱れ、紅灯ともるころ 【東京は芝神明、浜松町あたりのものがたり】

ーー 神明という所はそのころ東京で唯一の江戸情緒をたたえた場所だった。神明大神宮をとり巻いてその一郭には待合や芸者屋が集まり、また一部には矢場と称する銘酒店街があった。 め組のけんかの書割に出て来る呉服屋だの、太太餅の店などがあった。 浅草ほど大規模ではないがそれだけに、いっそう濃厚な情緒をただよわせていた。 大正半ばの芝神明について、作家の村松梢風は、昭和31年に日本経済新聞に連載された『私の履歴書』のなかでこう語っている。 村松梢風という作家は、令和の世の中では、忘れ

    • 丘の上学園卓球部100話 At Random (02) 【丘の上の学校のものがたり 雑記】

      007 少年は、卓球が下手だった。自分でもそう思っていたし、瘦身の長身で長い手足を不器用にばらばらに振り回しながら、球を追いかけて卓球台に向かってあちこちにドタバタしているのは、誰が見ても、下手だなと思われるのに十分だった。 長身でガタイの良いのが入部してきたなって、期待していたんだぞと、1年もたたないうちに先輩から言われた。期待を裏切りやがってというのと、期待されていたんだから頑張れよという励ましが、混ざりあった声かけだった。 卓球の練習をもう少し真面目にすれば、ある

      • グループホームに難破した話。 【介護現場から考え始めたこと③】

        折島学は、介護職として、グループホームに入職し、2日で難破した。あたらしい仕事を始め、たった2日で難破したというのは、何とも情けなくみっともない話だ。呆れる。 折島学は、69歳の男性で、前期高齢者になって4年、3年前に介護福祉士の資格を取得している。介護付き有料老人ホームに常勤として、7年間勤務していたが、最近辞めた。一応、契約満了で円満退社になっているが、同じところに7年通い、もうこのくらいでいいだろうという、気怠い雰囲気が折島と勤務先のあいだに醸し出されてきたというのが

        • 丘の上学園卓球部100話 At Random (01) 【丘の上の学校のものがたり 雑記】

          丘の上学園卓球部の合宿は、春休みと夏休みに1週間行われた。 1960年代後半の話。 起床後は長距離ランニング、昼間は、昼食を挟んで卓球三昧、夕食後に翌日の練習に向けてのミーティングが全員参加で行われた。卓球は練習相手が必要なので、夜のミーティングで、主にそのマッチング調整が行われた。 初めはそれなりの緊張感が漂っていた合宿生活も、半ば過ぎると、疲れと慣れがでてきて、ややどよーんとした空気が漂ってくる。特に夏は、暑さによる疲労が頂点を迎える。 少年が丘の上学園卓球部に入

        世は大正、芝神明前、櫻乱れ、紅灯ともるころ 【東京は芝神明、浜松町あたりのものがたり】

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        • 丘の上の学校のものがたり 1967~1973
          10本
        • 人生はさておき・・・
          6本
        • 出会ってしまった不世出の鬼才たちへのオマージュ
          6本
        • 介護現場から考え始めたこと
          3本
        • 東京は芝神明、浜松町あたりのものがたり
          7本
        • a Late Care-worker's Drafts
          5本

        記事

          情熱の放射 澤田宏重と澤田塾(抄)

          【000】 澤田宏重が主宰した進学塾である澤田塾は、三田の慶応義塾大学の北側にあった。慶大図書館裏の崖下の寺院の敷地内にみずほ会館というモルタルづくり二階建ての建物があり、澤田塾はそこにあった。 みずほ会館には、40人ほどが会合し会議できる部屋が数室あり、澤田塾以外にも会合や会議での利用者もいたが、ほぼ澤田塾の教室となっており、平日は夕方から、土日は昼過ぎから、小学校5年生から高校1年生までの塾生たちが盛んに出入りし、澤田はじめ講師たちの授業する声が響いていた。 特に澤

          情熱の放射 澤田宏重と澤田塾(抄)

          ヒマラヤに風を見に行った話

           1989年5月の大半を僕たち夫婦は、ヒマラヤの麓、ネパールで過ごした。  5月初めの月曜日に、ネパールに行くことを決め、水曜日に成田を飛び立ち、木曜日をバンコクで過ごし、金曜日には、ヒマラヤの山々が連なる上空から、雲の合間に見え隠れするカトマンドゥの赤い煉瓦色した家並を夫婦で眺めていた。『風の谷のナウシカ』というアニメの中に出てくる谷間の村のような、どことなくたよりなく、それでいて懐かしい風景が、僕たちの眼下、風に流れる雲の切れ目切れ目に、のぞいていた。  ひと月前まで

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          さまよえる客の透明な荷物 A Life With Bitter Happiness【丘の上の学校のものがたり ⑦】

          Boy, you gotta carry that weight Carry that weight a long time ~ Beatles “Carry That Weight" in Abbey Road 000 あれは、1973年の3月の初めごろだったかと、丘の上の高校での卒業式のことを火曜日の昼下りの気怠く曖昧な眠気の中で思い出していた。 机に片肘をつき、手のひらにだらしなく顎を載

          さまよえる客の透明な荷物 A Life With Bitter Happiness【丘の上の学校のものがたり ⑦】

          「高齢者施設内での転倒事故について」 神戸地裁での判決(2022.10)から 【介護現場から考え始めたこと②】

           2022年11月1日、神戸地裁で、病院内での看護中の転倒事故に対して、家族が病院の事業主である県へ損害賠償を求めた訴訟の判決がありました。  この判決は、高齢者施設で介護職を務めるワーカーにとって、考えさせられることが多い内容でした。  まず、事故の内容と判決内容のあらましを把握するために、①新聞記事と②その要約を下記に貼り付けます ①新聞記事 <入院中の認知症患者が廊下で転倒、重い障害「転倒の恐れ予見できた」 県に532万円の支払い命令>  兵庫県立西宮病院で201

          「高齢者施設内での転倒事故について」 神戸地裁での判決(2022.10)から 【介護現場から考え始めたこと②】

          丘の上の気ままな砂時計【丘の上の学校のものがたり ⑥】

          000 1971年の春に、少年たちの学年は丘の上の学校で高校2年生になった。 丘の上の学校では、生徒を一か所に集めての始業式は行われず、少年は、例年通り、登校するとそのまま新しいクラスのある教室に向かった。 毎年行われるクラス替えも5回目になると、中学校時代のような新鮮味や興奮もなく、教室のなかは淡々としていた。新しいクラスの担任は、古参の漢文の先生で、少年たちから見れば、年いった祖父といった年代で、生徒への接し方も愛情あふれる祖父が孫に厳しく接するようでもあり、直接お互

          丘の上の気ままな砂時計【丘の上の学校のものがたり ⑥】

          巨漢の怪人の学校支配と丘の上の流儀 【丘の上の学校のものがたり ⑤】

          000 丘の上の学校での4回目の春に、少年は、高校生になった。丘の上の学校は中高一貫校だが、ちゃんと高校の入学式があるという。 中高一貫校の制度と雰囲気のなかでは、学年が一つ上がるという以上の意味はないように思えたが、入学式がおこなわれると聞いて、新高校生の少年たちは、自分たちに向けられている学校からの意図には、内容まではわからないが、高校生というステータスに自覚を促す仕掛けがあることを感じていた。ただの好奇心あふれる青二才の生徒のままではいけないのだろうか。 001

          巨漢の怪人の学校支配と丘の上の流儀 【丘の上の学校のものがたり ⑤】

          曖昧になりながらも明確にある境界線について 【丘の上の学校のものがたり ④】

          001 薄暗い廊下から、窓枠に両手をかけ背伸びするようにして、電灯がついた教室のなかを覗いている小柄な人影が見えた。 少年は部活が終わり、2階の教室に忘れた荷物を取りに来たところだった。 夕闇が校舎の隅々にまで入り込み、黒々とした天井や壁が無機的な様相をあらわにしている無人の廊下に、教室のガラス窓から漏れている電灯の光はいちだんと映えており、そこにはひとがいて何か作業をしていることをうかがわせた。 廊下の人影に近づくと、それは同じクラスの同級生のひとりだった。彼とは中学

          曖昧になりながらも明確にある境界線について 【丘の上の学校のものがたり ④】

          光の差し込む瀟洒で野蛮な仮装行列  【丘の上の学校のものがたり ③】

          001 丘の上の学校に、少年が入学してから1年経ち、学年も一つ上がることとなった。 この1年で、生徒の自主性を重んじる独特な自由な校風にも慣れてきて、奔放ともいえそうな学校生活が身につく一方で、何ごとも自分でやりにいかなければ何も始まらないという厳しさにも曝され、少しは鍛えられてきたようだった。 少年の場合は、部活で先輩たちとの交流があったり、クラスでも親しい友人ができ、一緒に映画に行ったりとたった一人っきりで入学式に投げ出された1年前の入学時に比べれば、雲泥の差であっ

          光の差し込む瀟洒で野蛮な仮装行列  【丘の上の学校のものがたり ③】

          丘の上学園卓球部 球拾いの幸福な憂い 【丘の上の学校のものがたり ②】

          00 少年が卓球部に入部したのは、中学1年生の初夏で、退部したのは、高校1年の春だった。およそ3年という期間、卓球部に在籍していた。 中高一貫校である丘の上の学校での中学生時代をまるまる卓球部で過ごしたことになる。それだけ、ひとつの競技にかかわれば、それなりの技術の向上や達成感があるのが当たり前と思われるが、残念なことに、少年には、どちらもなかった。 卓球は、1対1のシングル、あるいは、2対2のダブルスでおこなわれる競技なので、練習し、技術の向上を図るには、それを助

          丘の上学園卓球部 球拾いの幸福な憂い 【丘の上の学校のものがたり ②】

          介護現場から考えはじめたこと     a care−worker's notes (日刊ベリタ掲載記事)

           還暦過ぎて入った介護現場で考えはじめたことを、WEB上の新聞である日刊ベリタに2020年10月から2021年1月の間に6本の記事として掲載させていただいた。この不定期連載は、旧友との縁からはじまったが、その旧友も2021年の春に鬼籍に入った。半世紀以上の付き合いであるかつての悪童どものひとりひとりを見送ってくれるのにふさわしい人物が真っ先に逝ってしまった。あの世というのがあるとしたなら、そちらで悪友たちを迎えてくれる準備をしていてくれるのかもしれないと、またしても勝手なこと

          介護現場から考えはじめたこと     a care−worker's notes (日刊ベリタ掲載記事)

          浜松町の伝説「映画のミューズ」と「浪曲のスサノオ」 【東京は芝神明、浜松町あたりのものがたり】

          中野翠さんという書き手、肩書で言うと、コラムニスト、エッセイストになるらしいが、この人の文章には、ご自分の美意識を肩ひじ張らずに生活のなかに取り入れてゆく様子があらわれていて、そういう姿勢への憧れもあり、常日頃より愛読させていただいている。多作な方で、全著作を読んでいるとは到底言えないけれど、例えば、小津安二郎の映画を観た後に、その余韻を楽しむには、小津について書かれた中野翠さんの文章を読むに勝るものは無いと断言しておきたい。 中野さんの著書に、『会いたかったひと、曲者天国

          浜松町の伝説「映画のミューズ」と「浪曲のスサノオ」 【東京は芝神明、浜松町あたりのものがたり】

          佐伯一麦『石の肺』『アスベストス』を読む 読書という通過儀礼 【a late care-worker's DRAFT 05】

          ◎読書という通過儀礼について 本を読むことには、通過儀礼の側面があり、ある本を読んだことで、世界の見方が変わったり、幸運なことに、自分のライフワークが見つかったりすることがあります。いずれの場合も、本を読んだあとでは、読む前とは、違った生き方が目の前に開かれていて驚きます。 これから読んでゆく佐伯一麦氏は、私小説作家として有名で、自分の日常生活で体験したことや感じたこと、考えたことを題材にした小説を読者に提供し続けています。 自分の人生で手一杯なのに、そのうえ私小説なん

          佐伯一麦『石の肺』『アスベストス』を読む 読書という通過儀礼 【a late care-worker's DRAFT 05】