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〔連載〕思春期の子どもを持つ母親への心理学講座 その9:子どもの「腹立ち」にどう対処すればよいか

🔹なすにまかせて うぐいすを聞く

  腹立ちて
  炭まきちらす
  三つの子を
  なすにまかせて
  うぐいすを聞く

冒頭に掲げたのは与謝野晶子の歌である。 
いかにも古い時代の炭と風情ある鶯が出てくるから、季節は、たぶん冬から春にかけてなのであろう。
幼い子どもがちょっとしたことでカンシャクを起こすのは、昔も今も変わらない光景ではある。
しかし、作者はそれにたいして何らあわてる様子もなく「うぐいすを聞く」といった態度で鷹揚に構えている。
 
こんなとき、私達は果してゆったりと構えていられるものであろうか。
三歳になる我が子が泣きわめいて八つ当たりしたら、さすがに「どうして炭をまきちらすの?」と問いかけながら注意や叱責をしたり、あるいは「あそこで、うぐいすが鳴いているよ」などと話しかけて、何とか泣くのをやめさせようと努めるはずだ。
 
ところが、与謝野晶子は、我が子のカンシャクにまともに応ずることなく、「なすにまかせて」うぐいすの声に耳を傾けている。
 
これは、一見、子どもの訴えやサインを無視したような対応の仕方である。子どもに向き合うことをやめたかのような振る舞いである。
 
しかし、よく考えてみると、幼児のカンシャクはたいてい自分の欲求が通らないことからくる自己中心性に根ざしていることが多い。
しかし、これは裏返して言えば、我が子がようやく自己主張できるようになった年齢に達したことを意味する。
発達心理学の視点からみれば、このような事態は、我が子がこの世に生まれ落ちて、はじめて自我の芽生えが生じたのだから、むしろお赤飯を炊くほどの、おめでたい出来事だということになる。
 
さすがに与謝野晶子は、そのへんの消息や機微が分かっていたとみえて、我が子のカンシャクにまともに応じることをせず、もっぱら成長の芽生えとして受けとめた。
言葉のやりとりのない何気ない場面をとらえて詠んだ歌ではあるが、冷やかどころか、むしろ我が子にたいする熱い気遣いさえ伝わってくる。
 
🔹年かさのいった子どもの「腹立ち」

では、対象の年齢が幼児ではなくもう少し上の小中学生あたりの子どもが立腹して八つ当たりした場合、親は、どう対処したらよいのであろうか。
 
すでにお分かりのことと思うが、与謝野晶子の場合、まだ自我が芽生えたばかりの三歳児だったから「うぐいすを聞く」態度は通用したのであって、一応聞き分けのできる年頃の子どもにたいして同様の態度をとったら、事態は、むしろエスカレートしてしまうだけであろう。
 
小中学生の子どもが、いきなり予想もしないような八つ当たり行動をはじめたとしたら、まずは我が子の気持ちはよほど荒れているのだなと受けとめなければならない。そんなときは、たいてい不快な気持ち、嫌な感情などで心が支配されているものである。
 
不快な気持ち、嫌な感情とは、たとえば学校でいじめを受けていたとか、友達関係がうまくいっていないとか、勉強が思うようにはかどらないといったさまざまな理由で気分が落ち込んでいる状態をさす。
 
しかも子どもは自分の気持ちをどう表現してよいか分からず、ただいらいら感をつのらせて、いたずらに地団駄を踏んだり、物に八つ当たりするといった発散の仕方をとりがちである。
 
したがって、そのような症状がみられたら、まずは、子どもがなぜ今、いらいら感や怒りをつのらせているのか。そのあたりの感情・気持ちに寄り添いつつ共感的に理解することが肝要である。
 
🔹「腹立ち」への対処法

しかし、よくみられるのは「そんなことはやめなさい!」といった言葉で制止する親の対応である。もちろん、ときには危険回避のための制止が必要なこともあるが、一般的には、そのような言葉は、火に油を注ぐ結果になりかねないので、注意しなければならない。
あるいは「何を、そんなにいらいらしているの?」とか「何を怒っているの?」といったストレートな質問の仕方をすることも少なくないであろう。
 
いずれも「そんな気持ちになってはいけない」という禁止のメッセージである。これは、子どもの表出しようとする気持ちに蓋をし、閉じ込めてしまうだけである。
 
子どもは、じつは、ささいなことで心が傷つけられ、ちょっとしたことで気持ちが荒さんでしまう脆い存在なのである。
 
だから、立腹していたら「何か気にいらないことがあったのかな?」とか「とても怒っているみたいだね」とか「いらいらしてるんだ」などといった共感的な言葉で応じたい。 
そして、子どもの不快の気持ち、嫌な感情の色合いが伝わってきたら、そこではじめて「嫌だったんだね」「辛かったんだね」「悲しかったんだね」「腹が立っているんだ」などといった受容的な言葉で無条件に寄り添ってあげたい。
 
子どもは自分の気持ち・感情が身近な者に受けとめてもらえたと感じると、気分がすっきりして落ち着きを取り戻し、立腹や八つ当たりも、しだいに影をひそめていくものである。
        
 

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