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『特別展「本阿弥光悦の大宇宙」』(国立博物館)

戦国末期から江戸時代に生きた書家、プロデューサー、茶人である本阿弥光悦をテーマとした展示。
展示品は光悦がプロデュースした硯や箪笥と行った工芸品、光悦の書や茶碗といったものでした。
その他、光悦が法華宗の人だったので日蓮の書、刀剣の鑑定士ということで日本刀の展示も行っていました。

展示の初めには、カセットコンロくらいの大きさの中心部が突起した蒔絵の漆塗りの硯箱の『船橋蒔絵硯箱』でした。国宝のこの硯箱、むっちりとして肉感的な造形ながら、モダンで洗練されたいました。
書も大胆な構成とその余白の美しさが際立っていました。
今回の展示を観ていて、光悦の書や制作を指示した硯箱を始めとしたプロダクトは、かなりの数の国宝指定されていて、なんかそれだけでも凄いなあと…

元々、光悦は刀剣の鑑定や研磨で有名な一族の出だそうで、自身も刀剣の目利きとしても、評価されていた人物だそうです。
なんだかそうしたものを権威化するという独特の文化から、こうしたクリエイターが出て来たというのも面白いですね。
また、刀剣は日本的ガラパゴス進化したプロダクトであるということも、とても興味深く感じました。
プロダクト製品の技術の高さと精巧さ、そして独自進化って、日本的なるものの進化形態そのものなのではなんてことを思ったりしました。

書に関しては、知識も見る目はないですが、単純に綺麗でセンスを感じました。
50代後半からは、脳卒中の後遺症の腕の震えに悩まされていたそうで、晩年の書には洗練された鋭い感じはなくなっているようにも見えました。

光悦の茶碗の中でも、『赤楽茶碗 銘 乙御前』は、ビビットなオレンジに近い朱色の小振りな茶碗はとても魅力的でした。
光悦作のどの茶碗も、焼きの良さと、形状の柔らかく親しみやすい形状がとても好ましく感じました。子供が作った作為のない形状のような
、肩から力の抜けた、ふんわりと柔らかい感じ…
以前、中野ブロードウェイの片隅にある陶器屋で棚に飾られていた花瓶のことを思い出しました。焼きも良かったのですが、とても自由で魅力的に形状をした花瓶で、店主の高齢の男性に話を聞いたら、
「孫が手捻りで作ったんだけど、よく焼けたから飾ってるですよ。底が抜けていて、花瓶としては使えないんですけどね」と笑いながら話していました。
光悦の茶碗を見ていて、ちょうどその時に感じた自由さ、柔らかさを思いだしました。
茶碗一つ一つに表情があり、自然の景色を見ているような豊かさを感じました。

もう一つ思い出したのが、魯山人の陶器です。
魯山人も魅力的な陶器を作っているのですが、そこにも何か近いものを感じました。
そういえば、魯山人も書が有名な人であるという面で、共通していますね。
ただそこにはなにか違いも感じていて、魯山人の焼き物は立体物でも2次元的であると感じたのですが…
光悦の焼き物は、2.5次元であると感じました。上手く言語化出来ていないですし、言語化していいのもなのかはわからないのですが、物事の捉え方というか、造形感覚の違いのようなものを感じたというか…

そう考えていくと、もっちりと持ち上がったあの独自の形状の硯箱も、この独特の2.5次元的な造形感覚も、この感覚をわかりやすく造形化したものではないかとも感じてきました。
書を書く時の感覚も、ああいった柔らかい空間を表現したものなのではないかとも感じたり…
あの硯箱は、光悦の中にある書画の感覚を立体化したものなのではないか?
そう思って光悦の書を見直してみると、書が作り出す空間がもっちり持ち上がって来ているようにも感じられてきました。
目が慣れてくると、この書の作り出している空間が心地良いなあと…

あと、硯箱などのプロダクトは、ものすごくアール・ヌーヴォーぽいというかヨーロッパのハイブランドぽいと感じました。まあ、そこら辺のデザインの元ネタというか本家というか元祖みたいなものなので当然ですが…
光悦レベルに洗練されていると、なんなら今のハイブランドの商品と並べても古さ感じないものも多いのだろうなあとも感じました。
また最近の研究の本とか読むと、日本と世界の歴史や美術はかなり繋がっており影響を与え合っていたみたいな話もあるようなので、そうした見地から作品を再考すると面白いかも知れないとも感じました。

光悦は日蓮宗に傾倒していたということで、法華経や関連する書物を筆写したり、法華経を納める豪華な箱を作っていたそうで、そうした展示も沢山ありました。
個人的に不勉強で、日本の芸術分野の影響というと禅宗のイメージが強かったのですが、日蓮宗系というのはあまりピンと来ていなかったです。
熱烈な法華宗の信徒とし言うと宮沢賢治なども思い浮かぶくらいで…
そこら辺についても、知りたいなあと思ったりしました。

今回の展示では色々と気になったことも多かったのですが、自分の手に負えないことばかりだというのが正直な感想でした。


あと、光悦の展覧会ではそれ程でもなかったのですが、常設展の方には海外からの観光客も沢山訪れていました。
帰り際、博物館の園庭で、韓国(?)の高校生の一団が、制服姿で記念撮影をしていました。これは初めてみましたが、こんな地味な施設にわざわざ来るなんてもしかすると韓国の中でもそれなりに優秀な子たちなのかも知れないなあと思ったりしました。
将来、彼ら彼女らの中で日本の将来に重要な決定に関わるような人材になったりするのかもなあと、ぼんやり思ったりもしました。


それから、不定期で解放される博物館の裏にある日本庭園が開放されていたので、見に行ってみました。
今はわからないですが、以前は皇族しか入ることの出来ないところだったなんて話を聴いたわうな…
以前も2回ほど入ったことがあるのですが、その時は時間がなくて、そそくさと出て来たしまったのですが、今回はわりとのんびりと過ごすことができました。
良い雰囲気ではありますが、所々整備が行き届いていないたところが散見されました。柵が崩れかけてバサバサになっているものがあったり、木造の建物の壁面がかなり傷んでいたり…
そういえばニュースで、国立博物館への国の援助が減らされすぎて、国宝などを修復や維持などする資金が不足しているということを館長が発言していたことを思い出しました。
今回の企画展は入場料が2100円とかなりの高額になっていたのですが、財政的にもかなり厳しいのだろうなあということを、こんなところからも感じました。

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