遥天翼

福岡第一-東海大-三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ-熊本ヴォルターズ-新潟アルビレック…

遥天翼

福岡第一-東海大-三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ-熊本ヴォルターズ-新潟アルビレックスBB-ライジングゼファー福岡-東京サンレーヴス-茨城ロボッツ#0/茨城ロボッツユースコーチ/お仕事の依頼やお問い合わせは✉️(tenyoku1006@gmail.com)/#JBA公認B級コーチ

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  • 「私という男」シリーズ

    「私という男」シリーズが全話収録されたマガジンとなります。 まだ読んでない方で「全話を一気に読みたい!」という方はこちらを購入した方がお得にご購読できます。 是非この機会にどうぞ。

  • という男シリーズ

    全選手の「という男シリーズ」をマガジンにまとめました。 是非ご購読下さい。

  • 「プロバスケ選手の家事と育児と。」シリーズ全話収録

    「プロバスケ選手の家事と育児と」シリーズの全ての話がこのマガジンに収録されています。 各話毎で買うより安くご購読できますので全て購読したい方はマガジンの購入をお勧めします! またマガジンをご購入頂いた場合、後からこのマガジンに有料記事が追加されても無料でご購読できます。 この機会に是非! 〜収録内容〜 「プロバスケ選手の家事と育児と」 #プロローグ #1 朝の始まり #2 練習に行くまでの私 #3 一日の終わりは明日の始まり(最終話)

最近の記事

プロはやっぱりプロだった。

今日は、引退して初めてトップチームの練習に参加してきた。 アダストリアの関係者駐車場、 選手のロッカールーム、 通路に置かれているケア用のベッド。 どれもこれも懐かしかった。 久々に会う仲間に嬉しさと照れ臭さが入り混じる。 つい3ヶ月前まで一緒に戦った仲間なのに、何故か会話をするのも少しぎこちない。 みんなはすぐに受け入れてくれたけど気持ちのどこかで、私なんかがこの空間に居ていいのかなとそう思ってしまう自分がいた。 それをマークさんに話してみたら 「それがプロ選

    • 引退して良かったと思う瞬間

      7月12日、U15男子HCへ正式に就任した。 そして、それから1ヶ月が経とうとしている。 どうしたらこの子たちがバスケットボールで上達できるか。 どうしたらこの子たちが人として成長できるか。 毎日、毎日考えている。 引退する前は自分の経験を還元させたり”プロ”のレベルがどれほどのものか、 体験させてあげるのが自分の強みだと思っていた。 自主練習の時に1on1をしたり、時には練習に入って一緒にプレーしたり。 そんな想像をしながら胸を躍らせていた。 しかしコーチングを学

      • 感情と成長と。

        ある日、友人を我が家に招いて晩御飯を一緒に食べた夜のことだった。 息子も知る友人が訪問してくると聞いて彼はテンションが上がっていた。 「いつ来る?」 「楽しみ」 「もう会いたい」 しかし生粋の人見知りである息子は、それまで絶え間ないラブコールを送っていたのにも関わらず、いざ友人が家に入ってくると急にあまのじゃくになる。 「こんにちは」 「......。」 「天晴、こんにちはは?」 私の問いに息子は恥ずかしがって目線を逸らした。 そして何も言わずオモチャの方

        • 私という男 #最終章

          「私という男」もいよいよ完結する時が来た。 9日間に渡って書き残してきた幼少期から学生時代、そしてプロになって数々のチームを渡り歩いてきた私の物語もいよいよ今日で終わりとなる。 2022年5月8日 今日は茨城ロボッツの2021-2022シーズン最後のホームゲームである。 そんな私は今、ロッカールームにいる。 ちょうど今、試合前の最後のチームミーティングを終えたところである。 これからコートに出てレイアップをしたら、いよいよ今シーズン最後の試合が始まるわけだが、 試合

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        プロはやっぱりプロだった。

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        • 「私という男」シリーズ
          9本
          ¥1,800
        • という男シリーズ
          11本
        • 「プロバスケ選手の家事と育児と。」シリーズ全話収録
          4本
          ¥700

        記事

          私という男 #8東京サンレーヴス時代

          私を拾ってくれた東京サンレーヴス 私は次のチームを探していた。 福岡が経営難に陥ってしまい、来シーズンの目処が経たない為、地元福岡を離れざるを得なかったのである。 私は当時エージェントを雇っていた。 次の舞台もB1でプレーすることを望んでいた為、エージェントにも「B1でプレーしたい」と伝えていた。 しかし、5月が終わり6月も終わろうとしていた頃、私はまだどこのチームとも交渉すらしていなかったのである。 エージェントからは情報が下りてくるものの、核心までは行けず話が流れ

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          私という男 #8東京サンレーヴス時代

          私という男 #7ライジングゼファー福岡時代

          新鮮さよりも懐かしさ 高校生ぶりに福岡の地に舞い戻った私。 そこには新しい感覚はなく、懐かしい感情が先に行く。 ダイス(小林大祐)、 ヤスさん(山下泰弘)、 さっちゃん(石谷聡)、 こもにー(薦田拓也)、 高校時代の先輩たちに セイヤ(加納誠也)、 城宝さん(城宝匡)、 とそれまで一緒に戦ったことのある戦友がそこには居た。 「移籍」でこれだけ居心地が良いと感じたのは初めてで、 初日の練習にも関わらず、まるで何シーズンも一緒に戦ってきたかのような感覚に私はなって

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          私という男 #7ライジングゼファー福岡時代

          私という男 #6新潟アルビレックスBB時代

          2016-1017 新潟アルビレックスBB入団 私が新潟アルビレックスBBに移籍するこの年、それまでJBL、bjリーグとプロリーグが混在していたバスケットボール史に終止符が打たれ、 「B.LEAGUE」 という新しい時代が幕を開けた。 当時、私は熊本ヴォルターズにずっと残りたいと考えていたが、熊本地震の影響で会社として運営するのが難しくなるだろうという話を聞いていた。 その為、私はやむを得ず移籍するチームを探していたのである。 そんな中、当時、新潟のアシスタントコ

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          私という男 #6新潟アルビレックスBB時代

          私という男 #5熊本ヴォルターズ時代

          社員を辞めプロに それまで社員として社業をしながらバスケットボールに取り組んでいた私は移籍先の熊本で本当の意味でプロになった。 もうスーツを着て出社することもなければ作業着を着て工場内を周る必要もない。 バスケットボールだけに集中できることがどれだけ嬉しいか私は毎日噛み締めた。 企業チームと新参チーム 当時、私が移籍してきた時、熊本ヴォルターズはチーム創設からまだ2年目という新参チームであった。 健軍商店街の一角にお世辞とは言えないほど狭い部屋にオフィスを構えてい

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          私という男 #5熊本ヴォルターズ時代

          私という男 #4三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ時代

          母に見送られて 「すいません、これで写真撮って下さい」 2011年3月31日 私と母は新幹線のホームにいた。 スーツを着て母に見送られようとしている私は今、社会人としての門出に立っている。 これから私は"会社員"として、そして"選手"として三菱電機に入社するために新幹線に乗ろうとしていた。 大学4年生に三菱電機ダイヤモンドドルフィンズから声がかかる。 「プロのバスケットボール選手になる」という子供の頃からの夢がようやく叶った瞬間であった。 社員契約かプロ契約か

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          私という男 #4三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ時代

          私という男 #3東海大学時代

          東海大学に入学 「他の大学からの誘いはもう断っていいか?」 高校の監督である井手口先生にそう聞かれ、私は即答で「はい!」と答えた。 というのも私が高校3年生に上がった頃には東海大学から誘いがあり既に進学すると決めていたのである。 この大学で結果を残せばプロになれる。 そう胸を躍らせながら東海大学の門を叩いた。 寮の排水口が臭い 入学と同時に私は寮に入った。 初めての一人部屋にテンションがあがる。 私の代は俗に言う"ゴールデンエイジ"と呼ばれた先輩方と入れ替わりで

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          私という男 #3東海大学時代

          私という男 #2福岡第一高校時代

          将来を見据えて 私は進路について考えていた。 中学校3年生になると何処の高校に進学するか決める時期になるが、私は幸い福大大濠と福岡第一から誘いがあり両校で悩んでいた。 当時から全国大会の常連校でタレント揃いだった福大大濠。 対して福岡第一は今でこそ強豪校として全国に名を連ねているが、それまでは強豪校と呼ぶにはまだ歴史が浅かった。 全国大会常連校に有名選手多数......。 普通はこの時点で福大大濠を選ぶ人が大半であろう。 しかし私は福岡第一に興味があった。 何故な

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          私という男 #2福岡第一高校時代

          私という男 #1幼少時代

          サラブレッドテンヨク、爆誕 1988年10月6日 中国の武漢で私は生まれた。 私はサラブレッドである。 というのも、父は中国代表にもなったことがあるバスケットボール選手だった。 私が高校時代、東海大学から誘いがあり陸川章監督と初めてお会いした時、その場に父も同席していた。 双方は会うや否や代表時代に会ったことがある話になり、主人公である私をよそに勝手に2人で盛り上がっていたことを覚えている。 母は走り幅跳びの陸上選手だった。 本当のことかどうかは分からないが、本

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          私という男 #1幼少時代

          谷口大智という男

          彼はスベり知らずである。 もちろん 何をしてもスベらない ではなく 何をしてもスベる という意味でのスベり知らずである。 故に スベることを知らない ではなく スベることしか知らない彼は 選手入場が始まる前、他の選手は自ずと彼のそばから離れていく。 誰も巻き込まれたくないのである。 間もなくしてRDT(ロボッツダンスチーム)のパフォーマンスが始まるその裏で自称RDT(リアルダイチ)のパフォーマンスも密かに始まる。 音楽に合わせDJになりきったかと思え

          谷口大智という男

          鶴巻啓太という男

          まずは彼の話をする前に、彼の小指について話そうと思う。 皆さんはお気付きだろうか? 彼の右手の小指には必ずテーピングが巻いてあることに。 実は彼はシーズンが始まる前にこの小指を脱臼している。 そして普通は脱臼したら練習を休むのだが、彼は休もうとしなかった。 いや、正確には休めなかったのである。 何故なら彼が小指を怪我したのは練習中や試合中ではなく練習前のシューティングだったからだ。 シュートが落ちた先に高橋祐二がいて、その勢いのまま2人でアリウープを狙った。

          鶴巻啓太という男

          平尾充庸という男

          彼は生粋の悪ガキである。 今年33歳にもなる彼は隙あらばイタズラに走る。 人を「うわ!!!」と驚かしたかと思えば、不審者になって私の車の周りをうろつき、舐め回すように車内を覗き込んで去っていく。 そこまで身体を張る必要はないのに。とドライブレコーダーに映る彼の姿を見て冷静に私は思った。 彼はよくオナラをする。 生理現象だから"それ"が出てしまうのは100歩譲って仕方がない。 しかし彼はわざと音を出して、みんなの反応を見て喜んでいる。 放火魔ならぬ放屁魔である彼は

          平尾充庸という男

          ハビエル・ゴメスデリアニョという男

          まず初めに、私は彼の名前を早口言葉で3回言えた試しがない。 同じチームメイトなのに非常に申し訳なく思う。 彼がチームに合流したのはシーズンが始まってしばらく経った10月21日の練習会場だった。 体育館に入るなり一人一人に握手をしながらみんなに挨拶をする彼に最初に抱いた印象は"好青年"。 私のつたない英語を、目を見ながら話を聞き、柔らかい物腰で返してくれる彼は、アメリカとは違った訛りの英語を話すため、最初はちっとも聞き取れなかった。 そして、それをよそに流暢な英語で彼

          ハビエル・ゴメスデリアニョという男