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自分が「存在」するのはどうしてだろうか

「自分が存在するのはどうしてだろうか。
この世から何らかの恵みを受けて存在している。
とすれば、さらに他人に恵みを伝えるべきだろうか。
そうしたいなら、そうすればいいだろう。
そうでないなら、格別どうすることもない。
自分を育ててくれたこの世界に恩は感じる。
しかし、この世界は汚いものも多く含んでいる。
危ないものや恐ろしいものやその他も。
自分は何故そんな理解不能な世界に生まれついたのか?
前世での業でもあったのだろうか。
私は一体、何のために生きているのだろうか。
それはブッダが約束するニルバーナのためだろうか。
私は一人の人間として仏教に帰依しているつもりである。
その仕方は正しいのだろうか。
それすら分からない。
八正道や四諦の教えは具体的に分かりやすくない。
それを自分で見極めなければいけないようだ。
正しいこととは何なのだろうか。
具体的に教えてほしいものだが、
誰が教えてくれるのだろう。
道を説いてくれる人を探し求めたい。
しかし、そんな人はいないのではないか。
自分に正しい部分とそうでない部分があるのだろうか。
その見分けすらままならない。
自分のことは経典にある通りに分かりにくい。
自分は道の人と言えるだろうか。
全く分からない。
判断基準が何もない。
自分は一体、何なのだろうか。
人のことだって分からない。
自分のことも分かりづらい。
世間のことも分からない。
人の評判も分からない。
一つ分かるのはそれはあやふやで確かなものではないこと。
それが何になるのだろうか。
本当に分からないことだらけだ。
自分はこれまでの人生で一体、何を成し得ただろう。
大したことはない。
ただ何となく生きてきただけだ。
それが今後も続いていくのだろう。
人生はそんなものでしかないと思う。
だから何という話しでもない。
このまま生きていて悪くない。
何が良いことで何が悪いことなのか分からなくなる。
それは何故そうなるのだろうか。
一体、何が話しをわかりにくくしているのだろうか。
それが分かることも恐らくない。
ではどうするのだろうか。
どうしようもないにはない。
諦めざる部分は諦めざるを得ない。
何のためにこんなことを書いているのかも分かりにくい。
何のためにこんなことをしているのだろうか。
その目的は何なのだろうか。
気を誘惑から逸らしたいのだろうか。
ただ気分をコントロールしたいだけか。
かも知れないが、結局は分からない。
分かることなんて分かると言えるだろうか。
なんとなく理解した気になる。
そんなものだろう。
自分というのもあやふやな存在だ。
しっかりと存在している訳でもない。
一体、何のために自分はいるのだろうか。」


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