吉達善清

思いついたことを適当にメモしています。 対話篇を書くのが趣味です。 モットーは『学問に…

吉達善清

思いついたことを適当にメモしています。 対話篇を書くのが趣味です。 モットーは『学問に王道なし』です。 気になったことを並べています。 私の物言いは詭弁的かも知れません。 それでも道化師みたいな存在になりたいです。 私の言うことにも何らかの意味はあると思います。

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    一人称だけの独白を試みます。独白録です。自己反省に役立てます。一般論についてです。

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    時間潰しです。要するにそれだけではあります。 対話篇を通して思索してみます。 誰のためかは知れません。

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自分が「ある」のは何故か

「自分があるのは自分が存在するからに他なりません。 自分がない人間なんているでしょうか? 存在していないのでしょうか? 動物ですら自分を認識しています。 人間である私が私を認識しない理由はありません。 私は存在する。 そこに何らかの理由はあります。 でも分かろうとしても分かり得ないかも知れません。 無私とは私があるからこその語です。 いや、でも私は存在しなくてもいいかも知れない。 しかし、そうなると存在しないものがこれを書いている。 それはあり得ない。 よって私は存在している

    • 「思うこと」は何でも許されるのか?

      「原理的には許されるはずです。 日本国には憲法があり、思想の自由が謳われています。 またミルの自由論もそのようなことを述べていました。 彼は身体や思想の自由を主張していたと思います。 思うのは自由であり、勝手であります。 思ったことが伝染するとか、妄想すると考えることですら、人に悟られるのではないかと、 疑心暗鬼になり、辛くなります。 でも、テレパシーなんてあり得ますでしょうか。 そんなことは普通ではあり得ないはずです。 こんなことを言うとサイコだのどうだのという文句が聞こえ

      • 「自分」を表現するにはどうすればいいか

        「この世界ではともすると画一性が支配して、 自分が埋没することがあります。 そうすると自信を失うこともありはしませんか。 それなら、どうしたら良いでしょう。 どうやって自分を表現して、自己を確立したら良いでしょう? それは直接は言及できないまでも、 そうしたいと思うなら、いずれはできるようになるでしょう。 そのはずです。 そうであるべきではないですか。 何だか、話しをずらしているような感じはしなくもないです。 迂遠な言い方をすべきだと思うので、 そうしています。 と言えば、

        • 「休む」ということ

          「休むとはどれくらいの時間を適当と考えればいいでしょうか。 どれくらい時間経過すれば、疲労は回復したことになるでしょうか。 それはよく分かりません。 でも、一時間から一日休めば適当でしょうか。 それで疲れが取れたことになるでしょうか。 では、疲労回復した実感とはどこに現れるでしょう? それもよく分からないことです。 でも疲れていると疲れていることを実感します。 それがなくなればいいかもしれません。 疲れには精神的なものと肉体的なものがあると思います。 でも両者は一体化している

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        自分が「ある」のは何故か

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          「ゲーム」に限界はあるのか

          「この世界の全てはゲームに置き換えられるものかも知れません。 ゲームにはルールが付きものです。 どんなルールで世界は成り立っているのでしょう。 ではゲームに置き換えられることができないものは何でしょう? 命のやり取りでしょうか。 それはともかく、ゲームはこの世界に色々と応用可能なようです。 ところで私の部屋からは鳥の囀りがよく聞こえます。 彼らの鳴き方もゲーム的に法則があるのでしょうか。 雲雀のジジーという鳴き声は印象的です。 鳥はなんのために鳴いているのでしょうか。 彼らの

          「ゲーム」に限界はあるのか

          自分にしかできない「仕事」は存在するのか

          「タイトルの件はどうでしょう? 実際にそんな仕事は実在するのでしょうか。 それがないのもアンチノミー的に変です。 あり得ると同時にありえないことです。 特定の人にしかできない仕事なんて、 その言い方からして詭弁めいていないでしょうか。 と言うと、 仕事なんて誰がやっても同じということになりますが、 結局はそう言えるのが正当でもあると思います。 ここで私が言いたいことは、 私も迷える子羊にすぎないということです。 その精神は迷っています。 これだ、と断言できることがないのです。

          自分にしかできない「仕事」は存在するのか

          「お金」が全てとは思いたくない

          「お金が全てなら、 人は自販機みたいなものでしょうか。 正直言ってそれではつまらないですよね。 人生はある意味でパラドックスの探索のようなものです。 思った通りにいかないことがよくあります。 それは何故そうなるのでしょう。 人間はお金で動く自動販売機なのでしょうか。 全面的にそうではないと思います。 しかし、その面はあります。 人の仕事とはお金に対してどれだけのパフォーマンスをそれが発揮するかという問題と関係が切っても切れません。 人をお金で評価と議論する必要はないまでも、

          「お金」が全てとは思いたくない

          「労力」とありがたみの関係

          「労力が掛かった仕事はありがたいものです。 しかし、全てがありがたいとも感じられません。 何故なら費用が高くつくからです。 しかし、安物がいいとも言えません。 それでは安易かもしませんから。 時間の掛かった仕事をありがたいと思うのは人の常だと思います。 さらに商品は消費者にも知識を要求します。 自分が何を言いたいのか分からなくなってきましたね。 ズブの素人である私の意見などは一般論に過ぎません。 そもそも何を言いたいのでしょうか。 それはぼやきです。 そこに特に意味はありませ

          「労力」とありがたみの関係

          自分の「動機」を知る必要はあるのか?

          「自分の動機をもてることとは何でしょう。 それが分かれば生きるのに生きづらさが減少するかもしれません。 自分を心を知ることはできても、 心惹かれるものを知ることは難しいでしょうか? その理由を知るのも難しいでしょうか。 その正義の是非はどないなものでしょう? それは案外クリティカルかも知れません。 これからどうやって生きていけばいいのだろうなんて、 思案するのなら、 それはまだ迷いの中に居るのです。 それはどんな感じでしょうか。 そんな自分に気づくでしょうか。 大事なことは案

          自分の「動機」を知る必要はあるのか?

          「テレビゲーム」の是非はどんなもの?

          「やはり私はテレビゲームが大好きです。 やることがない時はコレに限ります。 時間を持て余すことなく居られるのでとてもよいです。 私は視力はあまりよくないのですが、 やめられないのですよね。 トイレに行く時なんか目を洗ったりして、 リフレッシュを図ります。 私のゲーム歴は三十年弱ほど、 もう病みつきです。 大学のときにもそれで留年してしまった。 ある時期は一日中ゲームをしていられるニート生活に憧れていました。 とりあえず今でもゲームはやめられません。 時間が空いているときにはコ

          「テレビゲーム」の是非はどんなもの?

          人生がゲームなら「ゲーム」慣れしている方が有利なのか

          「答えは明らかだ。 また、言葉で何もかも分かると思うなら、 それも明らかに思い違いで、 だから、こんがらがってくるのだけど、 しかし、これも当たり前の話だ。 そもそも現実がゲームなら それ以外の時間は何をしているのだ。 しかし、言語でコミュニケートするのも意外とゲームみたいなものだ。 相手に何が伝わっているか知る術はあまりない。 というか発信者が受け手になるには無理がある。 ではどうなっているのだろう。 まあ言語の仕組みなんて子供でも理解できる。 作為を投げ捨てた先にあるのは

          人生がゲームなら「ゲーム」慣れしている方が有利なのか

          「何故」だ、どうしてだ、と問うのが止む訳がない

          「世の中には不思議な力が働いています。 それに何故かと問いかけても無駄かもしれません。 でも無駄とも案外言えないかもしれないですね。 人間はパスカルが言うように考える葦です。 神が世界に合うように人間を作ったのでないなら、 それは約束違いとも言えるはずです。 原理的に何とかなるようにできているはずと言えます。 が、物事を後から振り返って勘繰るのはいけないことだろうか。 いや、そんなことはないはずだ。 しかし、ウジウジしていても埒は明かない。 そんな時はどうすればいいのか。 と

          「何故」だ、どうしてだ、と問うのが止む訳がない

          してはいけないことは「何故」してはいけないのか

          「まずはその権限が他人にあることがあります。 またの言葉でドメインが他にあるともいいます。 そうなると勝手に弄るのは他人の権利を蔑ろにすることになります。 これは不味いですね。 そのつもりがなくても誤解を誘います。 他人の持ち物は他人の持ち物です。 いくら良かれと思っても勝手に口出しをするのは出過ぎた真似です。 ものの道理が分かるといいたいなら、 注意の必要があります。 狭義の意味でもそうであり、 広義の意味にすると何でもアプライできてしまいますけども、 他人の親切を疑うこと

          してはいけないことは「何故」してはいけないのか

          私は何故「人間」として生まれてきたのか

          「私は犬や猫として生まれてきてもよかったのです。 何かの因果で人間として生まれてくることになりました。 正直、人間は嫌だな。 他の動物に生まれ変わりたいなと思うこともありました。 人間は寿命が長すぎるのです。 何か目的もなく人生を過ごすのは苦痛ではあります。 だから、人間以外の生命体になりたいな、 なんて思えます。 自分が人間として生まれてきた理由は何なのでしょうか。 人間世界には汚い部分が普通にあります。 私はそれが嫌でした。 そんなものがない清浄な世界で暮らしたいと思って

          私は何故「人間」として生まれてきたのか

          自分が「存在」するのはどうしてだろうか

          「自分が存在するのはどうしてだろうか。 この世から何らかの恵みを受けて存在している。 とすれば、さらに他人に恵みを伝えるべきだろうか。 そうしたいなら、そうすればいいだろう。 そうでないなら、格別どうすることもない。 自分を育ててくれたこの世界に恩は感じる。 しかし、この世界は汚いものも多く含んでいる。 危ないものや恐ろしいものやその他も。 自分は何故そんな理解不能な世界に生まれついたのか? 前世での業でもあったのだろうか。 私は一体、何のために生きているのだろうか。 それは

          自分が「存在」するのはどうしてだろうか

          私は「無知」ではある

          「私には世の中のことで良く分からないことがある。 煩瑣で雑多な世界のことがどうして私如きに知れるだろう。 分からないのだ。 私は自分を賢いとは思わない。 自分を愚かかも知れないと思う。 自分を救うとはどんな意味だろうか。 それすら分からない。 抽象的な概念はどこまで有効だろうか。 それで自分の暮らしは変わるだろうか。 一体、自分は何のために生きているのか。 神ではないから分からない。 自分が存在することは分かっている。 その自分をどうしていけばいいだろう。 何かを求めるのは間

          私は「無知」ではある