見出し画像

自分にしかできない「仕事」は存在するのか

「タイトルの件はどうでしょう?
実際にそんな仕事は実在するのでしょうか。
それがないのもアンチノミー的に変です。
あり得ると同時にありえないことです。
特定の人にしかできない仕事なんて、
その言い方からして詭弁めいていないでしょうか。
と言うと、
仕事なんて誰がやっても同じということになりますが、
結局はそう言えるのが正当でもあると思います。
ここで私が言いたいことは、
私も迷える子羊にすぎないということです。
その精神は迷っています。
これだ、と断言できることがないのです。
そもそも仕事とは何のためにするものでしょうか。
生きるためでしょうか。
人と出会うためでしょうか。
報酬を得るためでしょうか。
自分を知るためでしょうか。
答えはいくらでもあります。
自分のやりたいことを仕事にできた時、
それは生きがいを得たということになると思います。
それを実現できれば、
運命を信じられるでしょう。
私に関しては微妙です。
過去に仕事から学びを得たこと事実です。
それも奇妙な因縁でした。
望ましい仕事に就けたのですが、
数年で辞めてしまいました。
その事情は読者には関係ないし、
興味を惹くものでもないと思うので、
詳細は差し控えます。
その仕事では意外なことに苦戦しました。
通勤もなかなか困難でしたし、
通勤途中にラジオを聴いて、
自分を励ましていました。
それがなければ、務まらなかったかもしれません。
その会社には迷惑をかけることになってしまったかもしれません。
でも私も迷惑を蒙ったとも言えるので、
微妙なところかもしれません。
ともかく仕事というのは大変だな、と学ぶことになりました。
それは当たり前のことですが、
大した仕事でもないのに、
生活の全てをほぼそこに注入しないといけませんでした。
これも体験してみれば当たり前です。
しんどかったのはそれが天職ではない証左だったかもしれません。
とにかく仕事との出会いは難しいものです。
私の住んでいる地域はそれなりの田舎であるため、
これだという産業もありません。
就職先には限度があるため、
一度目の就職では遠地に赴きました。
それも数年で辞めました。
自分というものをよくわかっていなかったのが、
原因かとも思います。
で、結局はできたことは大したことはない、
庶務も楽ではないとの一言です。
人のためにことを図るのも私の配慮不足で
難しいことになりました。
今であれば、もっと上手く立ち振る舞いを糺せたことはあるのに、
当時は若輩で自分の立場がよくわかっていませんでした。
今は違うと思います。
もう少し上手く立ち振る舞いができるようになったつもりです。
今回はこれくらいにしておきます。」

もしよければサポートお願いします。 頂きましたサポートはクリエイターとしての活動費用に用立てます。さらにクオリティの高い記事を書けるようサポートよろしくお願い致します。