見出し画像

「徳」はどうやって身につくのか

「自分の未熟を感じた時はどうしたらいいでしょう。
すぐに状況が変わることはあり得ません。
ではどうしたらいいのでしょうか。
分かりませんが、仕方ないと諦めるのも一つの手です。
仕方がないものは仕方ないのです。
次回から気をつけるしかないでしょうか。
それでも繰り返してしまう時もあり、
そんな時は自己嫌悪と汚穢を感じます。
よくないと分かっているのにやってしまう。
そのメカニズムはどうなっているのでしょう。
そんなことをしても状況が良くなる訳がないのは
分かっていてもやめられない。
そんなことは誰しもあることでしょうか。
少なくとも私にはよくあります。
そうなると苦しいような、自分が情けないような、
そんな気持ちになります。
何でそんなことをやってしまったのだろう。
としばらく経つとそう感じられるのですが、
直後だと反省や後悔の念も湧かないで、
自己正当化をしてしまうこともあります。
それは普通に良くないことです。
慎むべきです。
しかし、そうするための秘訣が分からないのです。
そんな場合はどうしたいいでしょう。
ほとほと自分が嫌になる場面があります。
怒りや衝動に動かされて主体性を失っていたりします。
それはよくないことです。
反省が必要です。
すぐにでもやるべきでなかったと考え直すべきです。
開き直ることはよくありません。
常態化して一層、物事を悪くします。
やはり怠慢は良くないし、
諸悪の根源です。
すぐにでもやめるべきなら、
やめるべきです。
私の性分としてポジティブであったり、
前向きなことには感性が働かないのかも知れません。
もう少しニュートラルだったり、
ネガティブで後ろ向きなものが悪いと表現があればいいのですが、
また繰り返してしまうこともあります。
人間の情動や衝動は凄まじいです。
そうやって生きているので、
それを妨げてるのは難しいことです。
例えそうした方がいいにしても、
誰かは間違いを犯します。
どうしようもないのです。
自分は良くても、誰かが間違いを犯すなら、
もうダメですね。
そんな時でもブッダのように犀の角のように一人で歩むしかありません。
良いこととは結果として得られるもので、
それ自体を目指しても良くありません。
またアキレスと亀です。
それを追い求めているからと言って、
それ自体を追ってもなかなか得られることはありません。
よく考えてみれば当たり前です。
でも夢中になっていると、または、
見境がなくなっていると、
もうダメです。
そうなっている自分に気づきながらも、
それを止める力は働きません。
それを止めるようになれれば、徳がある人と言えるでしょうか。
自己制御や節制が徳の正体の一つでしょうか。
その意味で戒めを持つことは意味あることです。」

もしよければサポートお願いします。 頂きましたサポートはクリエイターとしての活動費用に用立てます。さらにクオリティの高い記事を書けるようサポートよろしくお願い致します。