見出し画像

「人間嫌い」にならないためには

「人間嫌いというのはいいんでしょうか、悪いんでしょうか。
よく分かりせんが、考えてみたいと思います。
人間嫌いであるということは悪いことでしょうか。
人間嫌いになる理由は様々だと思いますが、
人間嫌いでない人はどうでしょうか。
他人を全幅から信頼するということはないと思います。
では何が違うのでしょう。
そもそも人間嫌いは悪いことでしょうか。
悪いとすればどうなるのでしょう。
その人の特性として個性としてそれを見做せばいいと思います。
人間はある意味で汚い生き物です。
生き物全般が汚いものとは言えます。
大概が生き物の死骸を食べ、汚き体液を有して生きています。
このことから生命体全体を汚ないとも見做せます。
それが人間嫌いの原因の一つでしょうか。
余計な知識や想像力があるせいで、
それが無条件に人間関係を構築するよりも、
想像が勝ってしまうのでしょうか。
それが人間嫌いになるプロセスかもしれません。
私は人間嫌いではないという人も他人を全面的に信頼する訳ではないでしょう。
恐らく人間をややこしいとか面倒なものと捉えているか、いないかの差があるのでしょう。
それはどんな問題でしょうか。
しかし、私にはどうでもいい問題です。
人間関係に悩みを持っているのは誰しものことであり、
その意味では人間嫌いでない人も嫌いな人はいるはずです。
結局はバイアスの仕業になるのでしょうか。
言葉の意味にこだわるかこだわらないかの
ニュアンスの問題かもしれません。
ということは本質的な問題でしょうか。
この際はそうかもしれません。
人間嫌いである人はうかつに他人と人間関係を結びたくないものと感じます。
それも認知バイアス的にどんどん関係が発展するのをイメージして、それを厄介と感じるところから始まるのでしょうか。
そう言った意味であるなら、
人間嫌いにならないためには、
もっと人間関係をドライなものとらえればいいと思います。
ところで人間不信と人間嫌いとは何が違うでしょうか。
人間嫌いなら自分にある程度の主導権が認められると思います。
人間不信ではもう自分には主導権はないと諦めているイメージです。
両者の違いはそこにあると思います。
では人間嫌いでない人も人間を好んでいるかというとそうではなくて、
ある種の諦観があると思います。
人に求められることと求められないことを、
それが正しいか正しくないかは別として、
ある考えを持っていると思います。
それが人間関係を阻害するかもしれませんし、
また逆に円滑に運ぶかもしれません。
大切なことは何がどう作用するかはやってみるまで分からない面があるということでしょうか。」

もしよければサポートお願いします。 頂きましたサポートはクリエイターとしての活動費用に用立てます。さらにクオリティの高い記事を書けるようサポートよろしくお願い致します。