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「労力」とありがたみの関係

「労力が掛かった仕事はありがたいものです。
しかし、全てがありがたいとも感じられません。
何故なら費用が高くつくからです。
しかし、安物がいいとも言えません。
それでは安易かもしませんから。
時間の掛かった仕事をありがたいと思うのは人の常だと思います。
さらに商品は消費者にも知識を要求します。
自分が何を言いたいのか分からなくなってきましたね。
ズブの素人である私の意見などは一般論に過ぎません。
そもそも何を言いたいのでしょうか。
それはぼやきです。
そこに特に意味はありません。
やはり果報は寝てでしょうか。
この格言が好きなのです。
小賢しいことをしても無駄です。
作為は無駄です。
禅でも同じことを言います。
やりたいようにやりたいなら、
自分からばかり仕掛けてもダメかも知れません。
そこまでは分かりませんが、
そんなものでしょうか。
世の中なんてのは。
まあ自分に都合よくできてい訳ではありません。
そうであってほしい訳でもありません。
むしろ特別扱いしないでほしいです。
平等が正義であると信じさせてほしいですね。
愚痴の連続ですかね。
まあ読む人を想定していることもないので、
構いません。
本題とは何でしょうか。
労力とは労働ではありません。
有効活用されなければ労働も意味ありませんしね。
人にとってどうと言うのは
そこまでは知らないので、
よく分かりませんね。
やることをやればいいのです。
そこに満足感か得られれば、
それでいいのです。
私も別に評価者を求めているのではありません。
自分のことや世間のことを知りたいのです。
そのために弁術しています。
この文章は何の意味があるのでしょうね。
他人が苦労しているだけなんて
それは地獄です。
そんなところを見たくもありません。
それは修羅場です。
そんなところに居合わせたくないですよね。
ありがたみとはやはり作為かないこともその意味に含まれると思います。
意図して有り難がれと言われても
正直それは喜べないことです。
目的とはそれ自体では意味を持ちません。
私はもう人生の半分を過ぎたかもしれませんが、
まだ学生気分から抜けませんね。
仕事って何なのだろうと思います。
仕事と労働とはまた別ですよね。
働くのは給与のためではありますが、
それだけではありませんよね。
生きがいや生き様を求めて
あれでもないこれでもないと
彷徨うのが人生です。
それは仕方ないことです。
人間は全知全能の存在ではありませんから、
それは仕方ないのです。
さて、
今回はこれくらいにしておきましょう。
最後までお読み頂けたのなら、
感謝します。」

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