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人生は「軌道」で決まるものか

「人生は通った軌道でその行き先も決められていくものだとも思えます。
途中で経由した軌道がどんなであったかで
道筋が分かるというものです。
だから、結果よりもプロセスを大事にするなら、
その過程で通る軌道とはまた大事なものです。
化学結合は軌道同士の相互作用で形成されるはずです。
軌道と軌道が共鳴しあって波長が合うとそこに結合ができて、新たな物質が生まれてきます。
軌道とは人生でいうなら、自分の居場所です。
それも一定のところに居続ける訳ではありません。
一定の間隔や確率でどこに現れるかが決まっています。
人間の出没する場所もそんなところでしょうか。
人間も軌道として考えられるでしょうか。
人間を軌道として考えると、
人間はある一定の地域を行ったり来たりしています。
その範囲は計算で測定することができ、
そんな範囲の広さも人によるものでしょう。
移動範囲の広さがあるのはいいことです。
あまり動けない人から見ると羨ましいことです。
自分がどんな軌道を通ってきたかは
漠然として実際的ではないのですが、
頭の中で考えることが可能です。
軌道は抽象的でも構わない概念なので、
それを踏まえて考えても問題ありません。
自分の考えもある軌道からある軌道へ共鳴をしながら、変化して遷移していきます。
その様子は化学と同じだと思えます。
一足飛ばしに軌道を変えることはできないので、
触媒などで中間軌道に入れてから、
また次の軌道を目指すことにします。
それを連続して繋げていくと、
何だか綺麗な模様が現れるかもしれません。
人生模様はそんな感じでしょうか。
自分の人生の出来事もそうした連続体として認識してみるのもいいかもしれません。
軌道と軌道の間が飛んでいるとどうやってそれをクリアしたのか、
後から振り返って分からないことがあります。
そんなジャンプをしてもいいのですが、
どうやったのでしょうか。
それは何かを役立てて自分の道を切り開いたことにしていいでしょう。
その際はどうやって何をしたのでしょう。
その場の雰囲気や空気で違う能力が現れてくるのかも知れません。
その当時はできたことも振り返ると何故そうできたのだろうと思うことはあります。
それがいいことだったのか、
それともよくもないことだったのか、
ともかくできてしまったことはできてしまったことです。
相似をそのまま同士として認識して勘違いをしたのかもしれません。
でもそれはそれでよかったのかもしれません。
人生の機微はそんなところに現れてくるものでしょうか。」

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