Nothing Less Than Jazz

作曲家、編曲家、トラックメーカー、サウンドプロデューサー、ピアニスト。 DAW、映画、…

Nothing Less Than Jazz

作曲家、編曲家、トラックメーカー、サウンドプロデューサー、ピアニスト。 DAW、映画、旅、作曲法について率直に https://open.spotify.com/show/2vwJfUvA4QBrzgp1bvvRJl?si=hoc9Xt2nSXiZXtJguTfiZA

最近の記事

k-popにあってj-popに欠けていたもの

別にk~popのファンでもない僕が、いくつかのk~popが聞いて感じたことがある。彼らの音楽史へのリスペクトが素晴らしいということだ。もちろんマーケティング的なビジネス視点もあるだろうが、なりより世界の音楽シーンに打って出る姿勢から醸し出すポップミュージックへの深い造詣に感服してしまう。j-popは90年代にアジア圏で最もポピュラリティーを獲得したにも関わらず、現在ではk-popの後塵を拝している。 その時代から日本の音楽シーンになんとなくでも関わってきた身として率直に思うこ

    • テイラースイフトのもつ普遍性と不完全性

      テイラースイフトの卓越したビジネスセンスは今日は置いておこう。 アーティストとしての彼女の持つ普遍性は、彼女のが常にこの世界との接点をきっちり持っていることと、マイナスの面を含めて自分に正直に向き合っていることから、生まれているのではないか。 世界ときっちりとした接点を持つことで作品は常に地に足がついた物になり、リスナーをどこにも置いていかず、同じ意味圏の中で、彼女の歌とpresenceは存在している。セレブでありフレンズであるという、多くの人から愛される重要なファクターを彼

      • 作曲にインスピレーションはいらない。

        ずいぶん長いこと曲を書いてきたけれど、インスピレーションに導かれて良い作品が書けた記憶があまりない。 インスピレーションを待つ余裕もなく締め切りが訪れることが多かったこともあるけれど、待つことより探しに行くことが多いのだ。インスピレーションより、イグニッションを自分の内側や外部に探しにいくことがほとんどなのだ。イグニッションというのは、エンジンと同じで、毎日入れてやることで、よりスムースに火が灯る。 内側と外部との接続によってもたらさせる創造力は、日々の暮らしの中で常に何がし

        • 自分は正義の側にいたいという欲望

          常に自分は加害の側にいないという信念は多くの人がもっている。つまり被害者に寄り添う側にいて、加害者を罰する権利をもっているという思い込みである。しかし、加害と被害は表裏一体で、簡単にひっくり返るのだ。今年なくなったチェコの作家がある作品の中でこんなことを書いている、人間は誰かを裁きたいという欲望を隠し持っている、と。 最近の世の中で散見される、一斉にミスを犯したり、加害に加担した人間や組織を、自らを正義の側にいると信じて攻撃する人間をみると、自らに内在すること不正義や不誠実を

        k-popにあってj-popに欠けていたもの

          山下達郎という異能の人

          ジャニーズ問題に絡んだ発言で山下達郎氏が非難されている。ジャニーズの性加害を間接的に認め、旧弊な芸能界や音楽業界を変革しようともしない老害として、である、要約するとそんな所であろうか。 確かにそうなんだろう、コンプライアンスや透明性を重視するこの現代において、山下達郎氏の発言はそう解釈されても仕方がない。 因みに僕は彼の音楽の大ファンという訳ではなく、何曲か好んで聞く曲がある程度の人間である。 そんなカジュアルな聞き方をしてきた僕でも、山下達郎氏の底なしの才能と功績は最大級

          山下達郎という異能の人

          酒がなくてもジャズは楽しめる

          若者の飲酒量が減っているらしい。そのために当然ながら税収も減っているので、政府は若者に飲酒を勧めるキャンペーンを打ち出そうとしている。言わずもがな、賛否両論ある。僕はどちらでもなく、いつの世も国家というものは勝手な生き物だな、というのが素直な感想である。 僕の少し気にかかることは、若者の飲酒量の減少により税収が減ることでも、ずっと続いて来た酒の席でしか築けないと思われてきた人間関係でもない。 それは、大好きなジャズの、夜や酒とセットで印象づけてきたビジネスモデルへの影響で

          酒がなくてもジャズは楽しめる

          文学者たちが教えてくれた戦争。

          もちろん僕には戦争体験などない。生まれるずっとまえに起こった人類の瑕疵の記録を読み僕は追体験しただけだ。 同じような悲劇を起こさないようにと書かれた戦争文学が、今現在行われているロシアによる戦争の内実、権力の暴走、安全圏にいる市民の傍観、などを想像させる手がかりになっている。 戦時の最中にある人間の心理は、平時のそれとは大きく異なる。常識的に考えておこなわれないような思考の道筋をたどる。 先日、中国で民間機が事故で墜落した。犠牲者は123人だったはず。とても大きな数の方がなく

          文学者たちが教えてくれた戦争。

          J POPと日本映画のぬるい関係。

          最近はよく日本映画を見る。ガールフレンドに勧められてみたひとつの日本映画が素晴らしかったからだ。 海外の作品に比べると、どれも画一的でまるでテレビドラマを見させられたように肩透かしを食らう、というのが僕の日本映画のイメージだった。 そのイメージが覆ったわけではないけれど、僕のみたその映画は、現代日本の状況と社会の不安定さを精緻な脚本でみせてくれた。 世の中の空気と音楽や映画は根っこでつながっている。当たり前だ、売らなきゃいけないんだから、世相を窺うのはビジネスとして王道だ

          J POPと日本映画のぬるい関係。

          コロナのあとのこと。

          夏にコロナに罹患した。どこで捕獲したのか、今となっては分からないし、保健所の方には申し訳ないけれど興味もなかった。ただ気の緩みで、ウイルスの付け入る隙を与えてしまったということだ。 メディアやネットで読んだりするより、不気味で不快な病気だった。本当に辛かったのは、感受性の劣化だった。入院中も、その後も、以前と感じ方が違う。まるで、薄いフィルター掛けて世界を眺めるような感覚。 夜空は遠く、陽は薄く、空気は幾ばくか重い。後遺症と言われるものだろうが、よく言われる無気力や気怠さと

          コロナのあとのこと。

          必要なのは正しい鈍感力。

          コロナの勢いが収まらない。一旦衰弱したと油断すれば新種が現れ、世界の何処かでは常にパンデミックが人々の生活を脅かしている。 日本国内でも地域によって感染の度合いも一定ではなく、やはり大都市に集中している。 時短営業を強いられる飲食業、ライブ会場、僕らの生活圏はこのまま萎縮したままなのではないかと心配する日常に疲れてしまっている。 一年も経てばマスクと手洗いは常態化して、それほど苦痛には思わなくなっているけど、不自由さからくるストレスは蓄積されている。 いくら出来の悪い僕

          必要なのは正しい鈍感力。

          Jazzはちっともお洒落じゃない。

          一番好んで聴くジャンルはJazz、若しくはなにかしらJazzのテイストを感じるものだ。と答えると、お洒落ですねーなんて反応する方が少なくない。 都心のオーセンティックなBARや、映画のロマンティックなシーンでふとながれてくる落ち着いた音楽、確かにJazzは大人の男女が嗜む音楽という印象がいつのまにか付いてしまった。 僕も十代のころ、Jazzは背伸びをしなければ理解できないジャンルのように感じていた。しかし、音楽を徐々に深く感じるようになり、自分なりに音楽史を紐解いていくと

          Jazzはちっともお洒落じゃない。

          ピアノという呼吸法

          ピアノを弾くとき、僕は呼吸が少し深くなる。気功の呼吸法に近いのかもしれない。5秒吸い、2秒止め、10秒かけて吐き出す、っというやつだ。 ピアノに向き合い、指と脳そして身体と精神を統一し音楽に没入するとき、明らかに普段とはちがう呼吸をしている。僕は僕自身に集中している。もっと芯に近い骨格よりやわらかい部分に。 内側からプラスとマイナス、両方のエナジーが流れだす。そして考え、感じながら弾くことで新たなエナジーを回収するのだ。ミストーンはミスじゃない、発見だ。バカげているけれど

          ピアノという呼吸法

          音楽の未来は来年に。

          コロナによってはっきりと炙りだされた日本の音楽産業の弱点。何年も前から指摘されていた構造改革の遅れが、コロナというエイリアンによって一般にバクロされたのが今年である。 今年のヒット曲(この言葉の響きさえ古臭い)は、ほぼYouTubeが関係しているもの、若しくはアニメに関わるもの、が殆どだ。 つまり、従来のレコードメーカーや芸能プロダクションが作り出すヒットの定型ではもう時代にはついていけない事を証明したのが、2020年である。 音楽とは対面ビジネスである、といわれ、ライブの

          音楽の未来は来年に。

          コロナ禍が導く日本流個人主義。

          コロナの感染者の増加がとまらない。想定していたよりずっとタチの悪いウィルスだったのだろう、特に欧米諸国ではロックダウンを再び行うまでの事態に陥っている。 日本でも都市部だけでなく、地方都市でも例外はあれど感染者数は増え続けている。 政府はアラートをだし、国民に注意喚起をし暗黙の自粛を訴えている。飲食、観光、エンタメの業界では悲鳴と落胆がきっとうずまいてる。 だが、多くの日本人は、一波や二波の時とは明らかに異なる行動と反応をしている。コロナに慣れてしまい、気が緩んでいると政

          コロナ禍が導く日本流個人主義。

          映画「鬼滅の刃」を見て覚えたモヤモヤした違和感。

          ネタバレがあります。 鬼滅の刃の映画を見た後、モヤモヤが残ったから書いておこう。 一言で感想を率直に述べると、まるで戦時中のプロパガンダみたい、という穿った印象が残った。出撃前の少年兵に見せれば洗脳できそうな情緒に訴えかける台詞と内容で、僕は少しも泣けなかった。  特に気になったのは、煉獄杏寿郎という柱、つまり鬼滅隊の中でも達人の領域に達した人物の扱いだ。 彼は強い再生力を持つ強敵、上弦の参という鬼に果敢に戦いに挑み、生命を落とす。そして、満身創痍の敵は闇に逃走し、生き延び

          映画「鬼滅の刃」を見て覚えたモヤモヤした違和感。

          筒美京平氏に教わったこと。

          筒美京平氏とは面識はない。ただ氏と仕事を密にしていた方々とはよく話を伺っていたし、僕がミュージックビジネスの世界に足を突っ込んだとき、一度、筒美京平氏の譜面とメロディだけの簡単なデモをアレンジし直して、編曲家に渡したこともある。 筒美氏の積み重ねた実績は、商業音楽の作曲家のあるべき姿として、ひとつの理想のモデルとして、崇拝されていた。 しかし、偉大さを頭で理解はしていても、僕は日本の歌謡曲を聴いて育っておらず、ニューヨークやロンドンで生まれたサウンドに傾倒していたから、制作や

          筒美京平氏に教わったこと。