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文学者たちが教えてくれた戦争。

もちろん僕には戦争体験などない。生まれるずっとまえに起こった人類の瑕疵の記録を読み僕は追体験しただけだ。
同じような悲劇を起こさないようにと書かれた戦争文学が、今現在行われているロシアによる戦争の内実、権力の暴走、安全圏にいる市民の傍観、などを想像させる手がかりになっている。
戦時の最中にある人間の心理は、平時のそれとは大きく異なる。常識的に考えておこなわれないような思考の道筋をたどる。
先日、中国で民間機が事故で墜落した。犠牲者は123人だったはず。とても大きな数の方がなくなっている。
ウクライナ侵攻によるロシア兵の犠牲者は15000人とも報道されているが、ロシア側はこれを否定、わずか数百人だと強弁している。わずか、ではない、普通にかんがえて。
10000人であろうが、200人であろうが、これだけの人間が短い期間で亡くなることに異常性を感じなくなっている。戦争を行う当事者たちにも、傍観するぼくらも異常なのだ。
戦争のさなかにいると、人間はその異様さを自らの日常の中にみつけられず、自分を正常であり、狂気の外にいると仮定する。
優れた戦争文学が伝えようとしていたのは、ぼくらの退屈な日常が戦争を支えているということ、例え何も出来なくても、想像力を働かせてぼくらのバカみたいな悩みや喜びの先に戦争が行われていることを、たまに考えなくてはいけないのだ。

もしかすれば僕らの小さな行動の変化が、この狂った世界を変える何億分の一の力になればと想像する。それでいい。何かできるはずだ。



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