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卯月のいろは

 島の春はめまぐるしく姿を変え、追いかけるのに必死だった。春から初夏に向けて、自然がぐんぐん前進する力にただただ圧倒された。
そして、こんなにも余すことなく堪能し、幸せを噛み締めた春もないと思う。

若布、大根、土筆、蓬、蕨、蕗、楤の芽、野蒜、黒文字、孟宗筍、木の芽、岩牡蠣、八重桜、橙、鯵、平政、桜鯛、
海士町には、ないものは本当にない。その代わり、旬のおいしさが溢れていて、地元の大阪では決して出会えない新鮮なものばかりがあった。

朝採れたての筍は、ふわふわの産毛が生えていて小動物のように愛おしいこと。
生涯の住処を探すため旅をしている岩牡蠣の赤ちゃんに、意志の強さを感じたこと。
放牧された牛が森の中で白骨化していて、当たり前にいのちが循環していたこと。
大敷の漁港で仕入れた新鮮な魚は、身が柔らかくつるんとしていること。
福来茶を作る黒文字の花は1週間ほどしか咲かないこと。

自然が教えてくれることは、いつも新鮮で刺激に満ちていて、私の拙い語彙力では表現し切れなくていつも困ってしまう。

満開の桜の下で桂剥き 自然は想像以上に春の訪れを喜ぶ音で溢れている
岩牡蠣の収穫
漁師さんの動きは無駄がなくて美しい

4月のほとんどの時間は大根の桂むきをして、包丁の基本的な動きを学んだ。初めはぶちぶち切れて、円錐型になっていた大根も、懸命に手を動かしていると少しずつ少しずつ長くなり、薄く艶のある桂剥きができるようになってきた。
でも、先生が「終わりがない」と言うように、桂剥きした大根がつまとして刺身に添えられた時の、刺身や器に映える美しさや口当たりの良さを考えたら、まだまだ課題は多い。
もっと光沢のある美しいつまを作れるようになりたい...!

 寺子屋の授業は、直前まで何をするか分からないことがほとんどだ。定置網漁が帰ってくる時間に合わせて早朝から授業が始まったり、予定していた内容が急遽変更になったり、基本的に思い通りに進むことがない。初めは戸惑い、事前に伝えてくれればいいのにと思うことも多かった。でも1ヶ月過ごしてみて自然は待ってくれないことを実感した。自然に振り回されるのは楽ではないけど、それが島食の寺子屋の醍醐味で、私はそれを望んでここに来た。予測不可能だからこそ、新鮮な驚きと感動を得られると思うと、これからの一年がとても楽しみだ。

 もう一つ楽しみなことがある。それは寺子屋の前にある小さな畑。それぞれが一つ自分の畝を持ち、野菜を育てている。私は大学の2年間、友達と畑をしていた。でも電車で片道1時間半かかる畑に通ってお世話をするのは、正直難しかった。それが今ではなんと徒歩1分。毎日様子をみに行くことができる。
沢山の種の中から、青山在来大豆と真黒茄子を迎えた。どうしても在来野菜を育ててみたかった私にとって、大切な種たち。この子たちが大きく育って、また来年の種を採る。
それが私の中の小さな目標。

鍬で開墾の図
青山在来大豆の芽
土を破る種の生命力。たくましい

 最後に一つ。もともと美味しいものを食べるのは好きだけど、島に来てから食べることが何割増しにも好きになった。その理由を少し考えてみた。
近所の方や寺子屋のメンバーがお裾分けしてくれたものは、手作りしてくれた人の優しさが重なる。お手伝いをして分けていただいたものは、新しい体験の楽しさと、手間をかけた分の充実感が重なる。海や山で採ってきたものは、生き物への感謝が重なる。誰かと一緒に料理して食事を共にしたものは、同じ時を共有した幸せが重なる。
一つの料理には、幾重にも想いが重なっている。
そのことに気づいてから、ご飯を食べる時もじんわりと心が温まって幸せで満たされる。
 
これから沢山の海のもの、山のものに出会い、料理をする生活が続くけれど、どの瞬間も感謝をのせて、想いを重ねて、誰かの”おいしい”と”幸せ”につながるよう、日々頑張ろう。

今日もいっせーので、いただきます。

銘々が筍料理を持ち寄った筍の会
不思議とかぶらないのがおもしろい
たった1ヶ月だけど、 家族のように大切な寺子屋のみんな
これからも一緒に成長していきたい

(文:島食の寺子屋生徒 前田)