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てらこやのひび ㉒

ー実力テストは、成績に入らないから(点数悪くても)いいかなと思う。
ー私、社会は無理なんさ。
ー単語覚えるん無理。

そんな言葉を生徒たちから聞く度、大人たちの子どもたちの学習への導き方のまずさを思い知る。

勉強は、成績のためにするものではない。

「無理」は、おそらく自分としては努力しているつもりでも、点数がとれないということから来ている発言だ。

そして、彼らの学習への取り組み方を聞いてみると、

ひたすら単語を書いていたり、
やみくもにワークを何回もしていたり
授業でプリントしか使わないから
教科書を読んで復習するという発想を持っていなかったり、
最初から「無理」と取り組み方を工夫していなかったりすることが多い。

そして、テストの後、二言目には

問題が難しかった (と、みんな言っている)
テスト範囲と違うところから問題が出ていた(と、友だちも言っている)
問題が多すぎた、時間がなかった(だから、最後までできなかった)

と、自分以外の何か、誰かが悪いかのような感想を口に出す。

そして、反省もなく、次のテストも同じように勉強して、テストに臨む。少しだけ勉強時間を増やすことはあるようだけれど・・・。

結果、また同じようなことを言い出す。

テスト問題が難しくても、それなりに成績を残している生徒はいる。

だから、それは、君基準で難しいというだけだ。

テスト範囲というのは、資料集などのそれに関する範囲は当然入ってくるだろうし、今回は範囲ではなくても今までの範囲もすでに知っているという前提の問題もある。

範囲外から出ていたことを、テスト後の復習も終わらないままそんなに堂々と言えるほど、君は、範囲のことを網羅したのにできなかったのだろうか。

問題が多いのは、私も同情するところだけれど、毎回、そうだったらどうすれば全部とりあえず目を通せるかを考えてみてはどうだろうか。

と、伝えてみる。

私は、毎回のようにそんな言い訳をすることを「カッコ悪い」と思う

とも、伝えておく。

同時に私は、今の子どもたちの思考が内向いていることを思い知る。
自分の世界が全てで、自分を自分の中からしか見られないことを思い知る。

テストは、成績のためにあるのではなく、自分たちの学びを確認するためにある。自分たちの勉強は、次に生かされて初めて学びとなる。

テストも成績も、自分の学びを客観的に確認するための指標なのだから、次に生かしてナンボだ。

そう伝え続けたい。


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