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ここは習っていないー

「ここはテストに出ない」と堂々と主張する生徒がいる。
「ここは習っていない」と胸を張る生徒がいる。
「絶対出ない」「絶対習っていない」とまで主張する生徒もいる。

「テストに出ない」「習っていない」と堂々と主張できるのであれば、「テストに出ること」「習ったこと」はわかるはずではないかと、聞いてみる。

テストには絶対出ないという主張は、出ることを把握している人がいう事で、習っていないことがそんなにきちんとわかっているのだとすれば、習ったことはすべて頭に入っていてしかるべきではないのか?と聞いてみる。笑

その度、子どもたちには不満そうな顔をされる。

テストの度に、学校から言われる範囲は、そのときのテスト範囲で、そこまでに習ったことは、当然、範囲外でもテストには出る可能性が、それこそ「絶対に」あるだろうし、テスト範囲外でも少しかぶっているところがあれば、しておいた方が理解が深まることもある。

「習っていること」を教科書などを使って何度証明されて、いつも論破(?)されるのに、それでも、果敢に挑戦してくる。 笑

効率重視のふりをして、「無駄かどうか」、「役に立つ」か「役に立たない」かを、何かを知る前、する前からわかると思い込んでいる大人たちが多くて、その姿を鏡に映したかのような言動をする子どもたち年齢が、どんどんと下がっているように思う。

先日、「絶対に習っていない」と主張して、私に教科書で習っていることをあっさりと証明されてしまった中学生が、次に言い出したのは「英語は面白くない」だった。

そういうことを言うと、周囲の大人が困ると思っているのだろう。私は、それも、「きちんと勉強して、身に着けてから言え」と伝えるにとどめることにしている。

そもそも、「ここは習っていない」、「テストに出ない」って主張ほど、無駄で、非効率なセリフはないと思う。まだ習っていなくても、今、学んでおけばいいことだし、今回のテストに出ないからって、いつかは習うことなのだから、無駄にはならない。

実際には、自分たちの生活で学ぶことや学校で学ぶことは、無駄だったり、役に立たないことなど1つもないと思う。無駄で、役に立たないと感じている大人がいるとすれば、それは、自分で無駄にしたり、役立てていなかったりするだけだ。

私は、それを人や社会のせいにするようなカッコ悪い大人に、目の前の子どもたちにはなってほしくはないと思う。

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