寺澤弘朗

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寺澤弘朗

t.moon.kobe主宰◎千葉県出身50代男性/舞台現場にて運営から制作、管理まで携わる/インスタやブログを解体してmoteに引っ越し/宜しくお願いいたします。

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ショートショート.1

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    • 年始に思ったこと

      人生100年時代...という病 今年53回目の人生を歩んでいる私には、90歳を少し超えた両親がいて、絵にかいたような老人像とは当てはまる項目が少なくて、それは「耳が遠くなる」であるとか「同じことを何回も質問する」であるとかは、この20年くらい見られる状況であるが、例えば「介護」や「援助」といった高齢者ビジネスに含まれる内容については、現状全く当てはまる事がなく、早朝に目が覚め、部屋の掃除をし、母は近くのスーパーへ買い物に行き、父はPCに向かい何やら大好きな野球チームのニュー

      • 昭和58年の少年時代

        小学校の学区にあたる地域の、6割近くが団地住まいか文化住宅(長屋?)住まいという私の故郷での話し。だいたい小学4年から6年にかけては、なかなかバイオレンスな毎日を過ごしていたように思う。 野良犬という存在が当たり前のようにいて、それは可愛らしいものではなく、近寄れば怪我をする覚悟が必要という、藤子不二雄の漫画に登場するような、気の小さい主人公がお尻を噛まれるという光景が、創作上ではなくてリアルに読み取れるような環境である。 その地域の主のような大きな黒光した犬、汚れて黒く

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          2023春

          初春、いつもの、ごくふつうの朝

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          令和に生きる50代

          仕事柄、接客をする機会が多い。 同年代を生きてきた40代後半から50代の年代の人たちに多く感じられる事が一つ。 “自分本位” 漢字四文字で表すと、あっさりし過ぎかもしれない。 少々乱暴に言うとこうだ。 「人の話を聞かない」 「自分の価値観しかない」 「想像力に乏しい」 「優しくしている自分が好き」 「つまり優しいを演じるのが得意」 …あげたらキリが無いし、いやいやそれって人間そのものだし、50代に限った話でも無いよね?って指摘されるのは想像が容易い。 20代くら

          令和に生きる50代

          すみません、の、ハードル

          特に職場においてよく見かける風景。 何かしら失敗したときに注意を受けて放つ言葉 「すみません」 「注意します」 みたいなものたちが軽い言葉になってしまう人らが一定数いるかと思う。どこにでもだ。 当たり前だけれど、誰しも失敗なんてものはあるわけで、その種類も多種多様だ。 ・決められたことができない ・手順を間違える ・雑である ・注意が足りない ・意識が足りない …あげたらキリがない。 何かを失敗したことに、仲間や先輩、上司がフォローしてくれ、結果的にプラマイゼロにな

          すみません、の、ハードル

          私とて、私とて、

          俗に言う 「きれいごと」 頭の中には これしかない …と 断言してしまうのは 少々怖いけど笑 ただ 私の周りにいる人は 「良い人」 そんな風に とても無責任なまでに (失礼…汗) 私を表す事が多くて それはそれは 申し訳ない限りであったりして なんとなく 自分の身の周りが平和で のほほんとした そんな空気が流れていたらなぁ とか そんなシンプルな理由で 「きれいごと」 そんな中で生きている 発言であったり 行動であったり すべて、そう 「きれいごと」 これが基本に

          私とて、私とて、

          輝き(今更なんて、無い)

          過去の話 昔々のお話 A long long ago... 手に届きそうで まったく掴みきれなかった 輝きがあるとして 今これから それを探しに行くという 旅に出る勇気があるのか? 正直さっぱりわからないけど たぶん 悠長に考えたり悩んでいたり そんな時間はあるかもだけど もったいないオバケがでるくらい これからの一分一秒は切なくて そりゃもう大切なものだから 「えいやっ」と 歩き出さなきゃならんのよね めちゃくちゃ苦しいのよ ダレカタスケテーって 叫びたいけど届か

          輝き(今更なんて、無い)

          悩み、相談、どうする?

          自分に解決するべき課題が100あるとしたら だいたい98とか99は自身でなんとかするつもりだ 残りの1とか2つくらいに関しては、なかなかどうしようもならなくて、信頼できる相手に話してみたりする。 だいたい他人に話すような、その時点では何だかんだ自分としての結論は出ていたりする。 であるから、新しい気づきを得ようとするよりも、そんな独りよがりの部分に対して、ちょっとした同意を得たかったりとか、やっぱりそうだよね!ほら、自分すごい!…という、そんな思いをしたいだけ、という魂

          悩み、相談、どうする?

          まどろみ「これは現実か、夢の途中か、」

          自分が何者であるのか不確かで、いや別に定まっていなくでも全然オッケーって状態にあるときの“いま”は数字と言葉で飾られていないから 例えば目覚めたときに勤め先から帰ってきた50代の父親がすぐそこにいたとしても何ら問題がなく、その横にいる圧力釜でハンバーグを作っている母親と私の息子が共存していること、なんかも割にしっくりと画角に収まっていたりする。 次の瞬間に高校の制服をきた自分自身が昼休みの居場所を探していたりして、結局は屋上で空をながめていたりとか、明らかに都心の街からは

          まどろみ「これは現実か、夢の途中か、」