見出し画像

"秘話満載!宇佐神宮の神託事件から見る古代日本の権力闘争と現代への影響"

宇佐は古代からの有力地域で、日本史の教科書にしばしば登場します。その最も著名なエピソードと言えば、宇佐八幡宮神託事件でしょう。

時代背景は奈良時代です。当時、天然痘という疫病が猛威を振るっており、藤原氏という当時の有力貴族が次々と感染し、命を落としました。国難に際し、国の平穏と疫病退散を祈るため、聖武天皇と皇后の光明子は奈良に大仏を建立しました。現代に例えれば、新型コロナウイルス退散の祈願として等身大のガンダムが建立されるような事態だったと思えば良いでしょう。

次に舞台は皇室に移ります。聖武天皇は自身の娘を皇太子にし、未婚のままで名を孝謙として即位させました。彼女は一旦は皇位を淳仁天皇に譲りましたが、藤原仲麻呂と共に反乱(藤原仲麻呂の乱)を起こそうとしたことから、皇位を取り戻し再度即位しました。

その後、孝謙天皇は異例の事態を画策します。皇位を僧侶の道鏡に譲ろうとしたのです。道鏡は孝謙天皇の愛人で、その巨根との噂が当時囁かれていました。都合のいい神託として、「道鏡に皇位を譲るべきだ」という声が一部から挙がっていました。

しかし、確証を得るために、天皇は和気清麿に宇佐神宮の神託を求めるよう命じました。しかし、宇佐神宮の神託は天皇の意に反し、「道鏡に皇位を譲ってはならない」と述べたのです。

清麿は天皇の意に反するこの神託を正直に伝えましたが、その結果天皇は激怒しました。「清麿!お前は今日から穢麿だよ!」と彼に命じて改名させ、その姉の広虫も巻き添えを受けて狭虫と改名されました。

気力を失った孝謙天皇は、後継者を決めずに崩御しました。後ろ盾を失った道鏡は失脚し、万世一系の皇統は結果的に守られました。これが一般的に教科書に記載されている歴史です。

この事件の後、宇佐神宮は八幡宮の頂点に立ち、朝廷からの扱いも良くなりました。一説には、反道鏡派と宇佐神宮が手を組んで行ったクーデターだったとも言われています。

宇佐神宮に祀られているのは卑弥呼であるという説があり、宇佐が邪馬台国であった可能性を主張する学者もいます。神宮の近くには神秘的なストーンサークルが存在し、これは古代において宇佐が有力な部族の拠点であったことを示唆しています。

現代においても、宇佐神宮は社会の注目を集めることがあります。新型コロナウイルスの自粛期間中には、安倍元総理の夫人が宗教的指導者と共に宇佐神宮を参拝していたことがインターネット上で話題となりました。現在、宇佐神宮では正当な後継者についての議論が巻き起こっており、その行方が注目されています。我々自身にも、自分の後継者について宇佐神宮の神託があるのだろうか、と考える機会を提供してくれます。

スストーンサークル

よろしければサポートお願いします。いただいたサポートは河童活動に使わせていただきます。