アヴァンギャルドとポップ主義をめぐる<美術>の危機 ——資本の運動と、「作品」領域の拡張

園江光太郎(Kotaro Sonoe)

「ドイツ、イタリア、それにソヴィエトにおいて、もし通俗物が文化の公的傾向であるなら、それはそれぞれの政府が俗物どもによって統治されているからではなく、これらの国では、他のどこの国でもそうであるように、通俗物が大衆の文化だからである。……前衛が目ざわりな存在としての扱いをされるのは、このような理由からであり、秀でた文化というものが、本来、批判的な文化であるためでは毛頭ないのだ」
(C.グリーンバーグ)(註1)

アクティヴィズムと「通俗芸術」

 かつて、クレメント・グリーンバーグが美術のアヴァンギャルドと大衆文化の関連を語ったように、社会的モチベーションをテーマにすえたアートは、大衆文化の内在化を下部構造とした、たえざる通俗化というプロセスを抱え込まざるを得ない。あるいは、ファシズムとスターリニズムの下でのアヴァンギャルド弾圧は、大衆みずからの統治というイリュージョンをつくりだすファシストとスターリニストにとって、反エリート主義と大衆主義のポーズを示す格好のスケープゴートであったからであり、大衆文化による国民統合の起爆剤としてあった(註2)。
 このことは、アンゼルム・キーファーの絵画を見るとわかりやすい。キーファーの絵画は、現像剤を塗ったカンヴァスに写真を露光させ、その写真の上に砂や油絵具でペイントしたことが分かる。つまり、重厚な絵画の土台には、テクノロジーと複製技術が産み出した写真が出てくるのであり、ドイツ・ロマン主義に美学的起原を求めたナチス絵画が、大衆文化にすぎなかったことの表象である。それだけでなく、素材やマティエールの深遠さと、主題の通俗的な意味での陳腐さは、彼のあらゆる作品において反映されている。60年代末期、ナチ式敬礼のパフォーマンスを通じたキーファーの「追体験」は、80年代になって新表現主義の流れに乗って絵画制作を始めた時、いっそう全体主義美学の下部構造を再演して見せたのである。そして、作品の図解的な分かりやすさは、意味論を重視するコンセプチュアル・アートそのものであり、出来上がった絵画は、およそ「絵画」とは似て非なる概念の提示にすぎなかったというパラドックスを孕んでいた点で、追体験がまさに追体験でしかなかったことを、シニカルなまでに提示していた。
 あるいは、これまで戦中の日本女性像などを描いていた嶋田美子は、98年にオオタファインアーツで開かれた個展と、板橋区立美術館で開かれた『加害/被害』展において、Bubuとユニットを組んで、SMイメージの写真や狐の襟巻きをペニスに見立てたミクストメディアなどの作品を発表した。それは、サブカルチャー的なイメージを人々に与え、絵画というより広告的と言うべきだろう。しかも、昨年に開かれた『加害/被害』展に関して『LR』Vol.10での芸大生によるアンケート(註3)では、若い観客を中心に人気があるように思えた。そしてそれは、戦争被害とか女性問題の点からの興味というより、「分かりやすいアート」としてだったのではないだろうか。
 田崎英明は、『加害/被害』展の批評の中で次のように述べている。
「嶋田美子とBubuのコラボレーションが、関係ということについて最も自覚的なのだが、一見すると『加害/被害』というテーマにふさわしそうな作品ばかりが選ばれてしまったことで、彼女たちの作品が作品の中だけで支配関係を描いた、観客には安心して見られる作品であるかと誤解される余地を残してしまったように見えるのも残念だ」(註4)
 むろん、Bubu+嶋田美子のコラボレーションは、以前、私がインタヴューした時に「わざと装おう、というか入りやすい形にしないと、いくら正しいことを言っても豪速球ばかり投げるだけになります」(註5)と述べたように、戦略的なものである。しかしここで注目したいのは、彼女らの作品が、ポリティカリー・コレクトネスによる大衆化戦略というよりは、それ自体も異化していることにある。つまり、作家の意図にかかわらず、サブ・カルチャーが空気のごとく私たちを取り巻いている現状の中で、そうしたインターフェースの共通性をもってしか、作品と観客の関係が成立しえないことを明示させたように思えてならない。
 あるいは、ハンス・ハーケが、ユルゲン・ハーバーマスの批判理論をもとに企業批判を作品として提示していながら、出来上がった作品は美術的というよりは、広告的であったこと。バーバラ・クルーガー、グラン・フュアリなどの諸作品もまた、広告であった。それは、プロパガンダというよりは、盗用芸術と資本主義リアリズムの批判的アートとしての転用そのものの根本的規定性をはらんでいる。すなわち、人種的・性的マイノリティが、その資本による文化的搾取の円環構造を断ち切るべく行った「盗用」戦略——シチュアシオニストからヒップホップ、ハウスのクラブ・カルチャーに象徴される——の美学が、マイノリティの特殊性を超えた時に起こった限界そのものである。それは、コンセプチュアリズムの意味論と、ポップ・アートのメタ絵画の手法を、その意味内容における操作を通じた「転用」であった。だが、意味論と同次元において政治性を表出させたことが、図解的な作品群の乱造につながり、広告的風景と化していった時、その政治性は美術館の壁とともに漂泊されていった。1993年ヴェネツィア・ビエンナーレでハーケが展示したインスタレーション《ゲルマニア》は、その集大成としてふさわしいばかりか、解釈の多義性というアートの軌道において批判性を提示した点で、政治的アートが、芸術家の政治批判にすぎなかったことの批判/自己批判とも言いうるのではないだろうか。
 それをアートではない、という美術関係者は多い。しかし、それは非政治という政治性の発露にすぎないばかりか、政治主義と非政治主義の表面上の対立に根ざした言説である。むしろ、こうした問題は、美術が社会と関わりを持ち得ない——社会に対して有効性を持ち得ていない——という冷厳な事実をつきつけているのではないだろうか。そうした現状の中で、「アートとアクティヴィズム」、「美術と社会」という問題設定を立てたところで、たえざる通俗化というプロセスによってしか美術外の関心を呼び起こし得ない。それは美術というより、広告的効果に表現の軸をシフトさせた大衆文化としてかろうじて存在していると言ってもいいだろう。

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