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英語を話せない未成年が1人でアフリカに渡った

大学1年生の夏休みに、アフリカに行った。

アフリカに行ってみたかった、ただそれだけの理由でアフリカに行くことに決めた。19歳のひとり旅だ。

地図帳でアフリカのページを開いて、目を閉じて指をエイッと指したらルワンダに当たった。
だから行き先はルワンダに決まった。

ここだ!  と思った代理店に電話して、アフリカに行きたいんですと告げる。
未成年単独でのアフリカ旅行は取り次げませんと断られた。

別の代理店に電話すると、「航空券を仮押さえしておきます。滞在先が決まったら正式予約でいいですか」

慌てて現地のNGOに連絡を取った。
「Hi!!  ぼくは2ヶ月間ルワンダに行くんだ。この日空港に着くから迎えにきてくれない?」
初対面の現地人相手に、くそみたいな内容をくそみたいな英語で打った。

「Yes! Welcome!」とだけ返事が来た。今考えると、あっちは半ギレだったのかもしれない。ごめんなさい。

とりあえず向こうでの滞在先(?)ができたことを代理店に伝える。
「わかりました」と返事が来た。お金を振り込むと航空券が送られてきた。

改めて確認すると、インドとケニアで20時間ずつ乗り継ぎがあった。
「乗り継ぎ時間には余裕を持たせています」という代理店のトークを、善意100%だと信じていた。
コンビニバイトで貯めたお金を航空券とドルに変えて、全部まとめて財布に突っ込んだ。

確かあれは8月23日だったと思う。
いや、違うかったかもしれない。ただ空港から見た空がカラッと晴れていたことはよく覚えている。
きれいだと思った。そして、もう二度と帰ってこれないかもしれないと思って、成田空港でひとり泣いた。

じゃあ行かなければいいのに。笑

でも搭乗時刻は来てしまう。
涙を隠して不安を押し殺して飛行機に乗り込んだ。

エアインディアには日本人CAはいなかった、少なくともぼくは一度も会わなかった。
インド人のCAさんがカートを押しながら通路を歩いてきた。

ぼくの番が来た。現地語らしき言葉で、CAさんに尋ねられる。
元気よく「チキンッ!」と叫んだら、後ろの席に座っていた日本人が「飲み物を聞かれてるんですよ」と耳打ちしてくれた。

助けてくれた日本人は、旅慣れた風の女性だった。
・パスポートを出しっぱなしにしてはいけないこと
・財布を机に置いたままトイレに行かない方がいいこと
など、親切に教えてくれた。
ものすごく心配そうに、ぼくを眺めていた。

インドのムンバイ空港で、あまりに英語ができなさすぎて空港の職員さんに怒られた。
怒られた本当の原因は分からない、だって英語分からないから。

ケニアのナイロビ空港ではミートパイを食べた。すごく美味しかった。
ご飯が美味しかったからとりあえず全部OKだ。ナイロビ空港で過ごした20時間で、同じパイを5回は食べた。

8月27日のお昼過ぎ、やっと目的地のルワンダ・キガリ空港に着いた。あの航空券のせいで100時間くらい掛かった。

飛行機を降りると、巨大な黒人に「Are you Miyazaki?」と声をかけられた。YESと答えると、ぼくの手首を掴んでずんずん別ルートに進んでいく。

強制送還って飛行機代どうなるのかなって考えていた。
現地の刑務所とか嫌だなって思った。

でもその巨大な黒人は、迎えの人だった。

どうせ来ないだろうと思っていた現地NGOの人だった。ほんとに来てくれたらしい。
疑ってごめんね。
失礼なメール出してごめんね。
ってかなんで国際線エリアにいたの?

入国手続きをして空港を出ると、なぞの南国風の植物と一面の赤土。空はすごくすごく青い。
へえ、アフリカじゃん。僕ひとりで来れたじゃん。

空港の駐車場にNGOの車が止まっていた。
明らかに正規ルートではない方法で輸入されたであろうトヨタのワンボックスに押し込まれ、NGOの人にいろんなところを案内された。
NGOが運営している施設、両替所、現地の市場。
説明は英語だったからほとんど分からなかったけれども、なんかツアーされてる〜、とテンション上がった。*

生肉の匂いと植物の青臭さが充満する路面の市場で、ぼくは巨大なアボカドを買った。日本円にして10円くらい。
それから何の味も付いていないパンを買った。40円くらい。
20円でチャイを買って、NGOの人が貸してくれた水筒に入れた。

それから宿候補を何軒か回って、一番安全そうなところに決めた。黒人以外が泊まるのは初めてだと、宿の人が言っていた。
とても巨大な取水塔が印象的な、アフリカっぽい宿だった。

非常用にということで、JICA現地事務所の電話番号を教えられた。
なんでJICAなんだよ、日本大使館の番号教えてくれよ、と必死に伝えたが、お互い英語が得意じゃないので会話は不発に終わった。 **

どこから市外局番かすらもわからない電話番号が書かれた紙を1枚だけもらって、ぼくは部屋にぽつんと1人残されて、泣いた。

じゃあ来なければよかったのに。笑

1時間に1回ほど停電する環境の中で、ぼくは夜を迎えた。
市場で買ったアボカドもパンも美味しかったけど、パンにアボカドを塗っただけの夕食は切なかった。あまりに不安で、また涙が出た。

宿の前には大通りが走っていて、昼夜問わず大きなトラックがガンガン通る。
いちいち宿は揺れて、うっすら眠っていたぼくは目を覚ます。
胸がきゅーっとなり、その度に涙がすーっと流れた。

寝たり起きたりを繰り返す。気がついたら外が明るくなっていた。
時差を合わせていない腕時計を見ながら換算すると、現地時間で午前6時前だった。

それにしては外が騒がしい。どんだけアフリカの朝は早いねん? と思ったが、アフリカの朝は単純に早い。みんな日の出前から普通に活動している。

蚊帳を開けた。ベッドから降りた。宿で借りたスリッパを履いた。
昨日は暗かったから気づかなかったけど、赤茶色の壁にはそこら中にひび割れがある。床の塗装は半分くらいハゲていた。何の意味もなく、壁のひび割れを指でなぞる。

時差ボケを振り払うために伸びをする。ふあああ、と大きな声を出してみる。
朝日に照らされたら、植物みたいに元気になった。

さすがにもう涙は出なかった。

声に気づいた宿の人が、部屋のドアをノックする。
ドアを少し開けると涼しい風が部屋に入ってきた。

アフリカって暑いと思われがちだけど、標高が高いから実はそんなに暑くない。むしろ朝晩は長袖が欲しいくらい。
ずっとベッドでぬくぬくしていたから、ひんやりした外気はたまらなく良かった。

とりあえず市場に行って長袖でも買おうと思った。やることが1つ出来た。

外は抜けるような青空だ。日本を発った日と同じ空だった。

赤土が持つ独特の香りが、乾いた風に乗ってやってくる。



* 実はそのNGOとは今でも交流があって、ちょうどさっき仕事のやり取りをしていました。いつの間にかNGOを助ける側の立場に変わりましたが、ご縁は今でも続いています。人生って不思議なものですね。

***  当時、その国には日本大使館が無かったんです。ケニアにある大使館がルワンダも管轄していて、実際の邦人保護はJICAが担当していたそうです。というわけで非常用にJICAの連絡先を渡されたというわけなんですね。
→っていう簡単な説明が英語であったはずです。英語は大事です。

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