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Grandpa's cloud(2)

雨の日が嫌いになったのは、あの人が雲になってからだ。
三十三年前、冬、広島。

僕が初めて「死」に直面したその日、空には雲が浮かんでいた。

じぃちゃんはすごく優しくて、滅多に怒ったりしない人だった。
覚えているほとんどの表情は笑い顔。
笑い顔といってもいろいろあって、なかでも印象的なのは「苦笑い」の顔だ。

蘭とか百合とかが好きだったじぃちゃんは、どこかに出掛けたときには決まって鉢植えを買って帰ってきていた。
その鉢植えをこっそりと畑に並べる。
その姿を見付けたばぁちゃんは、血相を変えてじぃちゃんに迫る。
「また買ってから!どんだけある思うとんね!」
そう言われたじぃちゃんは苦笑いしながら僕に言う。
「だってのぅ、きれいじゃけぇのう。」
全然反省する気がないその苦笑いを僕はよく覚えている。

そんなじぃちゃんと、晴れた日はみかん畑で一緒に仕事をしていた。
背の低い僕はもっぱらみかんの木の下に生えている草をむしったり、カラタチの枝を切ったりしていた。
山特有のでっかい蟻を見付けてはじぃちゃんに報告し、がぶりと噛まれては泣く。そんな毎日だった。
春の七草もそこで教えてもらったし、接ぎ木の仕方も教えてもらった。
僕は仕事に飽きると、仮面ライダーの真似をして遊んでいた。
みかんの陰に潜む怪人をばったばったとなぎ倒す。
疲れると木の下に座って、じぃちゃんにいろんな話を聞かせてもらった。

体重の軽い僕はひょいひょいとみかんの木に登る。
みかん山のてっぺんの木に登って、そこから眺める瀬戸内海の景色が好きだった。
静かで、時間が止まったように見える瀬戸内海。
晴れた日はずっと向こう側に四国が見え、その中間には船が浮いていた。

そんな日々の中、僕は一度だけ、じぃちゃんに怒られたことがある。
ある晩、じぃちゃんとばぁちゃん、そして僕の三人でご飯を食べていたときだ。
僕はいつものように冷蔵庫からタマゴを取り出し、勝手にタマゴかけご飯を食べようとしていた。
今まで聞いた事の無いようなじぃちゃんの大声を聞いたのはその時だ。
「こりゃ!今日は精進じゃ言うたろうが!」
僕に言ったものか、果たしてばぁちゃんに向けたものなのかは今となってはわからない。
その後、きょとんとする僕にじぃちゃんは続けた。
「今日はの、わしのお父さんが亡くなった日なんよ。よっくんから言うたらひいじぃちゃんよ。じゃけ、今日は精進せにゃいけん。生き物を殺しちゃいけんのんよ。もうしょうがないけぇ、『ごめんなさい』言うて食べんさい。」

裸電球で照らされた食卓。みかん畑の倉庫の裏の、トタンで作った小さな部屋。
その日の食卓は、なんだか居心地が悪かった。
いつも笑顔だったじぃちゃんの、すこぶる不機嫌な表情が、なんだか怖かった。
僕はまだ「死」というものが何なのかわからなかったし、タマゴが生き物と言われても理解できなかった。
僕にとっては、今こうして三人並んでご飯を食べている、ということが全てで、誰かがいなくなるなんて考えた事もないし、想像もしなかったのだから。
もちろんその後、実際に「死」に直面して、それからしばらくするまではその意味がよくわからなかったのだけれど、その時の僕はただただ、じぃちゃんが怖かった。

戦争を経験し、実際に中国に渡り、たくさんの死を目の当たりにしたじぃちゃんは、毎晩のようにうなされていた。
自分の意志に反して幾人もの命を奪ってしまった経験のあるじぃちゃんの、「死」そして「生」に対するこだわりは相当なのもだった。
優しくて穏やかで、きっと夏に飛び回る蚊すら殺せないであろうじぃちゃんが、戦争当時、人の命の大切さを考えなかったわけがない。
20代半ばの若者にとってどれほど辛く、過酷な経験だっただろう。

そんなじぃちゃんの、「生」と「死」に対するこだわりを感じたエピソードが、もう一つある。

ある、晴れた日の話だ。

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