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Grandpa's cloud(3)

雨の日が嫌いになったのは、あの人が雲になってからだ。
三十三年前、冬、広島。

僕が初めて「死」に直面したその日、空には雲が浮かんでいた。

僕のじぃちゃんは絵かきだった。
とは言うものの、絵を売ってお金にしていたのか、それとも単に絵をかくのが好きなだけだったのかはわからない。
一つ言えることは、じぃちゃんの絵のレベルは趣味の域を優に越えていた。

じぃちゃんの家に行く度に、壁に立て掛けてある絵を眺めるのが好きだった。
新聞紙に包まれたまま重ねてある絵、額縁に入れられてはいるけれど飾るでもなく、無造作に立て掛けられたいくつもの絵の中。
その中で印象に残っているものが三つある。

一つは「万里の長城」の絵。じぃちゃんが、死ぬまでにどうしても行きたい、と言っていた場所の絵だ。
じぃちゃんはあの場所に立ち、数十年振りの中国を見て、何を思ったのだろう。
後の二つは「メジロ」の絵と「夕顔」の絵。
この二つの絵、特に「夕顔」のスケッチ段階のことを、僕はよく覚えている。

幼稚園に入る前だった僕は、たまにじぃちゃんと一緒に絵をかきに出掛けていた。
と言っても僕はじぃちゃんのスケッチブックを覗き込み、線と線が絡み合ってみるみるうちに形になっていく様をじっと見ているだけだった。

「この花は夕顔っていうんよ。」
いつものようにじぃちゃんは僕に目の前の植物や動物についての話を聞かせてくれていた。

「よっくん。朝顔っていう花は知っとるじゃろ?あれは、朝に『おはよう』って言いながら咲くんよ。でね、この夕顔は、夕方に『おはよう』って言うて咲くんよ。ほら、耳を澄ませてみんさい。聞こえるじゃろ?」

「夕方に『おはよう』っておかしいねぇ。夕方なら『こんばんは』じゃないん?夕顔はねぼすけじゃね!」

じぃちゃんは、からから笑って、続けた。
「耳を澄ましたら聞こえるんよ。花の声が。喋りようるもんを摘んじゃいけんよねぇ。生きとるもんを殺しちゃいけん。どうしてもしょうがないときは、ちゃんと『ごめんなさい』言わにゃいけんよ?」

僕は今でもそのじぃちゃんの言葉を覚えている。
僕はそれ以来、切り花があまり好きではなくなったし、蚊やゴキブリでさえもなるべく殺さないようにしている。


そんなじぃちゃんだったが、ひょんなことから右腕を骨折してしまい、それを境に一緒に絵をかきに出掛けることも無くなった。
それでもそれからもしばらくの間は、右腕を骨折しているにも関わらず、雨の日にじぃちゃんは片手で車を運転して僕を迎えに来ていた。
今では心地よい思い出話なのだが、当時、その姿に両親は驚き、そして何よりかなり心配していた。

ある雨の日、いつものように僕が外に飛び出し走り回っていると、これまたいつものようにじぃちゃんが迎えに来た。
車を、片手で運転して。
僕は喜んで車に飛び乗り、じぃちゃんの家に向かった。
いつものように過ぎる、じぃちゃんとばぁちゃんと僕の時間。
いつもと違っていたのは、外が暗くなってきた頃、突然僕が泣き出したことだけだった。

僕自身、なぜいきなり悲しく、あるいは寂しくなったのかわからなかった。ただただ涙が溢れ、「よっくん帰る~」を連発していた。
じぃちゃんは仕方なく僕の家に電話し、数分後には両親が迎えに来ていた。
あの時のじぃちゃんのなんとも言えない悲しそうな顔を、僕は未だに忘れることができない。

僕にとってじぃちゃんは「いて当たり前」の存在だった。

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