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Grandpa's cloud(4)

雨の日が嫌いになったのは、あの人が雲になってからだ。
三十三年前、冬、広島。

僕が初めて「死」に直面したその日、空には雲が浮かんでいた。

当たり前の日々は事も無く過ぎていた。

ある、曇りの日だった。(と僕は記憶している)
突然けたたましく鳴り響く教員住宅の電話。
二階にいた僕のところにも聞こえる母親の大きな声。
それも、泣きそうな声。

じぃちゃんが足の骨を折ったらしい。

僕らはすぐに近くの病院に向かった。

病院に着くと、だだっ広い部屋の中、ぽつんと置かれたベッドの上にじぃちゃんは横たわっていた。
バスケットボールぐらいの大きさに赤黒く腫れ上がったじぃちゃんの足。
骨粗鬆症に冒されていたじぃちゃんは、ちょっとしたことでいとも簡単に骨折してしまう。

前回は腕だったから歩くこともできたし、車に乗ることもできた。
しかし、今回は足だ。
もう、今までのように歩くことはできないだろう。
何よりじぃちゃんは精神的に相当まいっていた。
痛みからか、朦朧とする意識の中で、僕を見付けたじぃちゃんはぽつりと言った。

「よっくん、来たんね。」

僕の頭の中ではこの時のじぃちゃんの声が未だにループしている。

時は流れ、僕は幼稚園に通うようになった。
生まれて初めての同世代との会話、生活。
今までとは違う環境の中で、僕は今までと違うたのしさを感じていた。
ある日友達と話している時、僕は不思議なことを聞いた。
その友達が「わしのじぃちゃんは二人おるんで。」と言っていたのだ。
僕は一人しかじぃちゃんを知らない。蒲刈のじぃちゃんしか知らない。
自慢げに話すその友達をうらやましく思って、その日家に帰ると僕は両親に尋ねた。

「なんでよっくんには一人しかじぃちゃんがおらんのん?」

父方の祖父は戦争で亡くなっていた。
今となればもちろん簡単に理解できる事実なのだが、その頃の僕には「死」というものがわからなかった。
ただ単に「いない」ということしかわからなかった。
友達にはいて、僕にはいないじぃちゃん。
頭が痛くなりそうだった。
悔しくもあった。

そして僕は後日、病床のじぃちゃんに向けて、未だに後悔している一言を発してしまう。

「でもね、よっくんのほんとのじぃちゃんはもうおらんのんじゃけぇ。」

お見舞いに行った、病室でのこと。
帰り際だった。
子どもながらにその時のばぁちゃんと母親、そしてじぃちゃんの表情、その場の空気自体が変わったのを感じとった僕は、病室から飛び出した。
帰り道、母親は泣きながら僕に「なんであんなこと言うんね?じぃちゃんがかわいそうじゃ。。」と何回も言った。
僕はとんでもないことをしてしまったことに気付いた。

じぃちゃん、ごめんね。

こんな簡単な一言も、あの頃の言えぬまま過ごしていた。
そしてそれは未だに言えないまま。

じぃちゃん、ごめんね。


それからしばらくしてじぃちゃんは呉の大きな病院に入院することになった。
じぃちゃんは癌だった。それも末期。
入院はつまり、終末医療の為だった。
もちろん僕は「癌」が何なのか知るはずもなく、告知を受けたのであろう母親のトイレでの嗚咽を聞いても、日に日に増えていく母親の癌関係の書籍を見ても、何もわからなかった。

ただ僕は大きな病院の中を探検することや、じぃちゃんの病室で食べるりんごや、病食、そして何よりじぃちゃんと話をするのが好きだった。

秋が過ぎ冬を迎える頃、痩せ細ったじぃちゃんは、お見舞いに来る人が誰かもわからなくなってしまっていた。
それが家族でさえも。

でも一つ、不思議なことは、じぃちゃんは僕が来た時には必ずこう言うのだ。

「よっくん、来たんね。」

例えそれが僕の方を向かずに発せられた言葉であっても、僕が来た時には必ずそう言った。


季節は冬になって、雪がちらつく日も増えた。

千九百八十八年十二月十二日。
幼稚園にいた僕のところへ、母親が血相をかえて迎えに来た。

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