スパイダーマン:ノーウェイホームと平成ライダーとガンダム0083とソシャゲの話。【※ネタバレ注意】

スパイダーマン:ノーウェイホーム観てきたんですよ。
面白かったんです。
面白かったんですが……

物凄く面白かったし、これがあらゆる面から見て素晴らしい作品で、世界最高のクオリティを叩き出した仕事であることは大前提として、僕はこの作品が好きではありません。

その理由を端的に言えば、「ああ、行き着くところまで行ったな……」ということになります。

※以下はネタバレを含む内容となりますので、未試聴の方はご注意ください!
 スパイダーマンNWH以外の作品のネタバレも含んでいます!



平成ライダー・龍騎~剣のリアルタイムな感想の話。

世は令和となり、クウガでの復活後、平成ライダーシリーズとして綿々と続いてきた仮面ライダーも、すっかり日本のカルチャーの風景の中に定着した感がありますね。

クウガからの平成ライダーシリーズ初期を追いかけていた僕のような人間からすると、すっかり隔世の感があります。
当時は2ちゃんねるにも平成ライダーアンチスレが隆盛し、あれを仮面ライダーと認めないという意味を込め、「イ反面ライダー」というスラングも出回っていました。

「仮面ライダー」と「変身」という題材を現代社会と地続きにどう描くかを極限まで研ぎ澄ませ、SFとして高く評価されたクウガ、ダークな雰囲気とミステリアスな設定、複数のライダーが登場しお互いの葛藤を描き、先の読めない展開でドキドキさせたアギトから始まった同シリーズ、特に初期は、平成という世にどう「ヒーロー」を描くか、そしてビジネスとしてどう成立させるか、試行錯誤の時期でもありました。

その試行錯誤が、昭和のライダーを愛する往年の一部特撮ファンから反感を買うことがあったのは事実です。

その試行錯誤が特に強く現れたのが、平成ライダー3作目の「仮面ライダー龍騎」でした。

龍騎はあらゆる面でエポックな仮面ライダーでした。

・13人のライダーが現れ、最後のひとりになるまで戦う
・ライダーはモンスターと「契約」することでその力を使えるようになる
・モンスターの能力はカードに込められ、そのカードによってさまざまな武装、契約モンスターを呼び出したり、必殺技を使うことができる
・バイクはバトルの舞台となる「ミラーワールド」への移動用であり、ほとんど乗らない

ええもう、昭和ライダーファンがドン引きするような内容だったわけです。
特に「モンスターと契約」、「カードの力で戦う」という点は、ポケモンや遊戯王などの商業的成功に「あとからフリーライド」したものと受け止められ、非常に厳しい目で見られていたと思います。
これは、昭和ライダーがマッシブで男くさい魅力を放ち、視聴者に阿らない「本格派」と受け止められていたことも背景にあるのでしょう。
(まぁ、仮面ライダーV3や仮面ライダーXの時代から似たような批判はずっとあったらしいですけどね)

ところが。

いざ始まってみると、これが面白い。本当に面白い。

1話でモンスターを倒して終わり、でなく、毎話毎話、先の展開が予想がつかず、新しいライダーが現れてはどんどんと展開していく物語に、本当にハラハラとしながら観ていたものです。
個人的には、現在ゲーム・オブ・スローンズのような海外ドラマが流行している基盤には、平成ライダーシリーズが作り上げた地盤があるのではないかとさえ思っています。飽くまで個人的にです;

また、脚本の小林靖子さんの手腕によって生き生きと魅力的に立ち回る人物たちを、経験と才能豊かな役者陣が演じ、「それぞれがそれぞれの正義のためにバトルロイヤルを展開する」という物語の中、それぞれの正義がぶつかり合い、時に葛藤するというライダーたちのドラマに素晴らしく惹きつけられました。
カードバトルというシステムも、CG演出によって派手に演出された映像は抜群に格好よく、新しいライダーが出るたびにどんな技を使うのか、楽しみで仕方ありませんでした。

もちろん、依然として批判は大きかったものの、アンチの中にさえ「ライダーじゃないけどこれはこれで面白い」という空気があったように思います。

本編・テレビスペシャル・劇場版の「マルチエンディング」

さて、龍騎のエポックな点は設定面だけではありませんでした。

「いったいこの戦いの果てにどんな結末が待ち受けているのか?」とワクワクしながら見続けていた視聴者に、2つの「特別版」が知らされます。

ひとつは「劇場版・仮面ライダー龍騎 FINAL EPISODE」。
もうひとつは異例の1時間枠「テレビスペシャル版」。

どちらもその触れ込みは「最終話を先行して放映」!!
テレビ版に至っては、その結末を視聴者の投票によって決めるというのです。

「いったいどういうこと????」
と思いながら試聴する僕ら。

その結末は、なるほど、どちらも確かな最終回でした。
劇場版では主人公・仮面ライダー龍騎と、仮面ライダーナイトの2人が強化フォーム「サバイブ」となり、東京上空を埋め尽くすモンスターの大群に向かっていくところで終わります。
テレビスペシャル版は「戦い続ける」、「戦いを終わらせる」の2つの結末の内から、視聴者投票により「戦い続ける」が選択され、力尽きた龍騎の意志を継いで、ナイトが13人のライダーに挑むシーンで終わります。

テレビ本編がこの話に繋がるのか、それとも別の物語が語られるのか?
それは明言されておらず、僕らにはわかりませんでした。

しかしそこはサブカル擦れしたオタクたちのこと。
この辺りで僕らは気づき始めます。
「あー、これはマルチバースだな?」
と。

なにしろテレビスペシャル版にしか登場しない仮面ライダーとかいたしね。

とはいえ、テレビシリーズでのエンディングと別のエンディングが用意される、なんて当時としては異例も異例の話。
本当にマルチバース・マルチエンディングをやるつもりなのかは半信半疑だったのです。「だってそれ、反則じゃね?」という思いもありましたが、「まあ龍騎だしな」という思いも同時にありました。なにしろ龍騎だしね。

しかし――そんなこんなで楽しみにしていたテレビ本編最終回で、それは裏切られることになるのです。

龍騎最終回の衝撃

仮面ライダー龍騎テレビ最終回では、劇場版とも、テレビスペシャルとも違う物語が語られました。
それはそれで、1年の集大成を描く素晴らしいものだったのです。主人公の龍騎が力尽き、彼を「友達」だと呼んだツンデレナイトが最後の戦いに赴くラストは、1年を通して成長した役者さんたちのまさに「名演」と呼べる名場面でした。

物語は、戦いを終えて最後のひとりとなり、望みを叶えた仮面ライダーナイト・秋山漣が恋人の傍らで力尽きる、美しくも悲しい場面で幕を閉じる――かに思われました。

問題はその後。

「真のエピローグ」とも呼ばれるシーンが挿入されます。

ライダー同士の戦いを仕掛けていた黒幕・神崎は、時間を操り過去へと巻き戻す能力を持ったライダー・仮面ライダーオーディンの力を使い、ライダーバトルの中を暗躍していました。

彼の目的は、ライダーたちの戦いを通じて、妹であるヒロイン・神崎優衣の命を救うこと。
すべてが終わったあとで、挿入されたその神崎兄妹の会話――

「お兄ちゃん、また繰り返すの……?」
「……何度繰り返しても、きっとお前は拒み続ける……」

そしてその後、ライダーバトルがすべてなかったことになり、お互いの顔を忘れた主人公・真司や他のライダーたちの平和な日常が描かれます。

そう――つまり、劇場版もテレビスペシャルも、「別の世界の物語」ではなかったのです。
全ては同じ世界で、黒幕が自分の望み通りにするため、何度も繰り返していた物語だったのでした。

時間を操る最強のライダー・オーディンの登場はかなり早い段階でしたから、その存在が既に伏線だったことになります。

とにかくもう、僕はこのラストに度肝を抜かれました。

なにしろ、メディアミックス展開という「大人の都合」さえもそのストーリーに組み込み、メタ視点でのミスリードでみごとに視聴者を騙してみせたのです。
「まどか☆マギカ」よりも10年も前に、です。

これは本当にとんでもない衝撃でした。

あんなに気持ちのいい騙され方は生涯でも最高だったと思います。このメディアミックス展開をリアルタイムで見ることができたのは、本当に幸運としか言いようがありません。

その後の仮面ライダー555、そして仮面ライダー剣

で、その翌年に放映されたのが「仮面ライダー555(ファイズ)」。

龍騎と打って変わったスタイリッシュなデザインと演出ながら、物語はドロドロの人間関係が展開される昼ドラのようなストーリー。戦うトレンディドラマこと「鳥人戦隊ジェットマン」を手掛けた脚本家・井上敏樹さんの手掛けた、独特の作品でした。

この555では、テレビスペシャル版こそやりませんでしたが、もちろん劇場版はやりました。

結論から言うと、劇場版の結末はテレビ本編とは異なる「もうひとつの555の物語」だったのです。

正直、「またか」と僕は思いました。
とはいえ、555という物語自体、様々な可能性をはらんだまま進む物語であり、また映画の出来が物凄くよかったこともあり、大変に楽しみました。
テレビ本編のラストは賛否両論ありましたが、僕は「主人公がヒーローになる物語」として素晴らしい出来だったと思っています。
(実は1か所、演出上どうしても納得できない箇所があるのですがそれはまた別の話で……)

で、さらのその翌年が「仮面ライダー剣(ブレイド)」です。

本編は置いておいて、この劇場版の触れ込みは「テレビ本編終了後の物語」。

本編が終了していないのに、続きの物語をやろう、というのです。
龍騎、555と来ての流れでした。

いざ劇場版が始まると、テレビ本編での「最後の戦い」、主人公である仮面ライダー剣と、その仲間ではあるが、存在としては「敵」の立場である仮面ライダーカリスの因縁の決戦が描かれます。

この冒頭10分は本当に素晴らしい映像で、映画館で痺れまくったのを憶えています。
「俺とお前は、戦うことでしかわかりあえない!」
というセリフと共に、雨の中で対峙し、感情を炸裂させながら激しく戦う二人のライダー。いや本当にかっこよかったんです。

と、いうわけで、僕はテレビ本編の最終回も楽しみにしていました。一体、どういう展開を経てあのシーンに繋がるのか……と。
しかし、最終回前の展開はどうも不穏。どうしてもあのシーンにはつながりそうにありません。

大きくなる不安を抱えながら、迎えたテレビ本編最終回――その結末は、主人公・仮面ライダー剣とカリスが戦う――ことにはなるものの、最後は剣が自らを犠牲にする形で世界も、相手のカリスも救う――というもの。

ええ、僕は思いました。

「またか」って……


物語そのものについては特になにも語りません。

しかし、三度に渡って展開されたマルチエンディングに、僕は興醒めしてしまったのです。

もちろん、劇場版冒頭へつながることへの期待感が高すぎた、というのもあります。
ですが、龍騎のように、その構造そのものをギミックとして演出してみせた驚きのあとでは、「特に理由なく複数の結末がある」というのは非常にヌルく感じられたのです。
まあ、とはいえそもそも3年も連続で仮面ライダーを劇場版までがっつり観ている大きなお友達なんて東映様のターゲットではないので、この意見は的外れなものなんですが……w

ちなみに当時、2ちゃんねるのアンチスレを観ていたら、「別の結末ではなく、このシーンで未来が分岐していた」という意見があり、それに対して「ギャルゲかよ!」とツッコミが入っていて笑ったのを憶えています。

マルチバースという劇薬

これは偏屈な意見ではありますが、マルチバースって「劇薬」だと思うんです。物語を紡ぐ人間なら、複数の結末を用意したいのは当然の欲求だと思うのです。

ですが、公式で語られる「正史」は飽くまでひとつだと僕は思ってしまいますす。リメイクで語りなおされたり、新解釈が加えられることは別として、作品としての公的なプロットはやはり、「オリジナルの歴史」として存在してほしいなと思うのです。

飽くまで個人的な感想として、それが最初から複数用意されていることには抵抗を憶えてしまいます。

いや、面白いんだけどね!
多元宇宙論とかで理屈をつけて複数の未来が――みたいなの、SFとしては大好物なんだけどね!!

だからこそ、都合よく扱ってほしくはないというか……
仮面ライダーブラックRXのラストで全ライダーが集合するとか、プリキュアの劇場版で全員集合とか、お祭りとしてはもちろん楽しいんだけど、それはやっぱり「お祭り」であって欲しいなっていう。

スパイダーマン:ノーウェイホームと0083

で、ようやくスパイダーマン:ノーウェイホームの話。
これを見たときの感覚に近いものを思い出しました。
「機動戦士ガンダム0083 Stardust Memory」です。

0083は、ガンダムシリーズの初代、いわゆる「ファーストガンダム」と2作目の「Zガンダム」を繋ぐ物語。
再び戦乱が起こるまでに、いったいなにがあったのか――歴史の闇に葬られた真実が語られる、というこの話は、ガンダムユニバースの「正史」として語られています。

しかし――
0083も、「作品としては素晴らしいし、登場するガンダムもカッコいいし、すごく面白いんだけど、これが正史になるのは納得できない」という面があるのです。

時代的にどう見てもオーパーツなガンダムGPシリーズもさることながら、連邦軍の艦隊が核攻撃で壊滅してるとか、地球にもうひとつコロニーが落ちたとか、「語られなかった歴史」としては「いや、大事件過ぎるだろ!?!?!?」というものが多すぎて……

Zガンダムにおいて連邦軍の内戦が勃発した背景として、「それくらい大きな事件があったため」というのは、なんというか非常に戯画的で、それよりも「戦争ではない裏の社会的・経済的・人々の心理や組織が複雑に絡み経った帰結として、戦争は終わってはいなかった」という方が説得力があるように思うのです。

もちろん、作品としてはそれくらい大きな山場が必要だし、実際にとても面白いのだから問題はないのです。
「三代目将軍が家光になった裏には、伊賀と甲賀の忍者が次期の将軍を決めるために戦ったという歴史があった」
とか
「徳川家康は影武者だった」
とか
「八代将軍吉宗は身分を隠して市井の民と交わり、時に自ら刃を振るって悪党を成敗していた」
とか、そんな類の話と捉えればいいというのもあります。

ただ、後付けの大人の事情により、過去の物語が改変されていくことへのモヤり、というのはやはりあるわけで……

スパイダーマン:ノーウェイホームに感じた印象がまさにこれ。

過去のスパイダーマンシリーズを「それぞれのオリジナル」とせず、「アイアンマンが作り出したトム・ホランド版スパイダーマンを正史とする世界に全て集約してしまった」――このことがとにかく、僕がこの作品を「好きではない」と言わなければならない理由なのです。


スーパーロボット大戦が前提の新ガンダムシリーズとか嫌じゃない……?
いや、マーベルは「エイジ・オブ・アポカリプス」とか「オンスロート」とか、クロスオーバーのお祭りが正史としてそれぞれの作品に影響し合う、って散々やってるのは承知の上なんですけども――
そして「スパイダーバース」っていうオリジナルがあることももちろん承知の上なんですけども――

それでも、今後のスパイダーマンが、「アイアンマンによって作り出されたもの」になるってのはなんだかなぁ……

「龍騎」はあれで終わったからいいけど、今後もずっと続くシリーズが大人の都合によって「過去の作品を全部下敷きにしてしまった」ということに、呆気に取られてしまっているのが正直なところです。

その他のポイントあれこれ

あとね、これも許せない点のひとつとして……

ヒーローが自分のワガママやファンブルで世界を危機に晒した挙句、なんかいい話っぽくして収拾をつけ、締める。

っていうのはやっぱりいかんと思うですよ!?
今回、ピーター・パーカーがその責任を被る形で始末をつけたけど、予告を見る限り、その影響でまた世界に危機が迫るんでしょ!?
ストレンジさん被害者じゃん!?
なんならアポカリプス並みに世界を改変しちゃってるじゃんスパイダーマンのせいで!! お前が同情してたヴィランと同じじゃん!!!

いや、この作品をやったことでまた、スパイダーマンを最初からやれる、っていうのはわかる。上手いよ。めちゃくちゃ上手い始末のつけ方だよ。次回作からはピーターがデイリー・ビューグルにカメラマンとして、スパイダーマンの写真を売り込むんだろ? それは見たかったやつだよ!!

メタ視点の在処

でもさ……結局その面白さって、作劇そのものの面白さではなく、メタ視点の面白さなんだよね……

メタ的な視点を計算に入れて盛り上げるっていうのは、創作者なら誰でもやることだし、ヒットを狙うには当然の重要なファクター。

だけども、今回のノーウェイホームについては終始、映画の中の物語ではなく、映画のスクリーンを観ていたような感覚があるのです。

これは昨今のスマホゲー⇒マルチプレイのサバイバルアクションゲームの流行についても語られることで、「ゲームの中への没入感よりも、ゲームの自己を自覚し、外での繋がりをこそ楽しむ」ことが主流になってるんですよね。

先のギャルゲのストーリー分岐じゃないけど、思えばマルチバースという概念自体、ゲームというカルチャーから一般化していったものではないかと思います。
そう考えれば、大衆映画の最先鋭たるディズニーのMCU映画が、様々なカルチャーを取り込んで進化していったその最新形としては、恐らく正しい姿なのだと思います。長々と書いたこの文章も、所詮時代についていけないおっさんのたわ言なのでしょう。マルチプレイのゲーム苦手だし……

それでも、作品としては散々楽しみました。
アンドリュー・ガーフィールドがMJを助けるところか、あんなのずるいでしょう。「アメイジング! アメイジングだよ!」とかさ。面白いに決まってるじゃん。欲を言えば、オズボーンとマグワイア・ピーターのガチタイマンが観たかったけど。

でも……

その上で、最後のアレよ。


スパイダーマン映画のラストで、「ドクターストレンジは帰って来る」はないんじゃないの!?

Netflixとかで「はい、次はこれね」っていうアレを映画館でも見るとは。なんというか、これはスパイダーマンという単体の映画でなく、MCUという大きなシリーズのひとつなんですね。
そのことを隠さなくなり、メタ視点を含めて過去の著作物やその他あらゆるコンテンツを吸収し、巨大化していくディズニー帝国主義。ああ、我々は帝国に忠誠を捧げ、税金を払い続けるカルチャーの奴隷なのです。

そうしたものをひっくるめた感想が、冒頭の「行きつくところまで行ったな」だったのでした。

もちろん、ひとつひとつの作品は、関連する作品を観ていなくても十二分に楽しめるようにはなっている。

それでも、他作品を前提とした世界の上でないと成り立たない作品というのは、幼いころ東映まんが祭りに連れて行ってもらえなかった子どもだった僕としては、忸怩たる思いを持ってしまうのです。

「仮面ライダー1号」は素晴らしい作品だったけど、やっぱり「仮面ライダーゴースト」の中の一篇なんだよなぁ……という感じというか。


というわけで、脱線しまくりましたが、「スパイダーマン:ノーウェイホームが面白かったけど好きではない」という話でした。

あー次作が楽しみだなーーーーー!!!!


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