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自分と向き合うために、書いてみた

昨日、一昨日と久しぶりにnoteを書くことができた。ほんの少しだけど、「書くこと」を取り戻して、この勢いで今日も……!なんて思っていたところに、親戚の不幸の知らせを聞いた。

こうなると、途端に書けなくなる私。心が乱されてしまって、書くことに集中できなくなってしまうのだ。これが仕事なら、なんとしてでも書くのだろうけど、あくまで趣味だと思ったら、余計に書けなくなる。

けれど。
確かに心は乱されているのだけど、どうもそれだけが理由じゃないような気がする。



身内に不幸があったのに、noteを書くなんて不謹慎だ。

と、私は思っているのかもしれない。
それはどこかで災害が起きたり、戦争が起きたりしたときも同じ。大変な環境に置かれている人がいるのに、自分だけ呑気にあたたかなスープを飲んでいていいのか?と。

もちろん、私が一人沈んだり落ち込んだり何かを自粛したところで、何も変わらない。そもそも災害が起きなくたって、大変な目に遭っている人はいるのだ。いちいち気に病んでいたら、生活などできない。家でうだうだしている暇があったら、外で行動を起こして経済を回したほうが、よっぽど誰かの役に立つんだろう。わかっている。重々わかっている。

わかっているけど、やっぱりうだうだとしてしまう自分が、とてつもなく偽善に思えてくる。私なんて、ただ悲しんでいるフリをしているだけなんじゃないか。寄り添うフリをして、良く思われたいだけなんじゃないか。いったい誰のために?何のために?


身内の不幸とまではいかなくても。何かつらいこと悲しいことが起こったときも、途端に書けなくなる。結局、嫌なことに向き合うのが嫌なんだと思う。嫌というか、怖いのかな。目を背けて、蓋をして。何事もなかったようにふるまって、忘れたフリをする。私は「フリ」が多いな。

そして、そんな自分もめちゃくちゃ嫌なんだけど、2024年はちゃんと向き合いたいって思ってて。今日はなんとか書いてみました。

3月が始まったばかりの爽やかな週末の朝には似つかわしくなかったかな。ま、そういうときもありますね。

ではでは、また!


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