下劣なる随想

随想
  物事に接して受けた、そのままの感じ。
 あれこれと折りに触れて思う事柄。またそれを書きとめた文章。
                (日本国語大辞典)
下劣
 人柄や考え方が下品で卑しいこと。



 仕事場に行ったら「羽生結弦選手が結婚した」といふ話で持ちきりだ。女性ばかりなので「くやしい」と泣いてゐる人もゐた。←ウソです

 そのニュースを知り、女性たちの様子を見て、休憩時間にこれを書いてゐる。

 わたしはこの手のニュースを聞くと、「残念だな」と思ってしまふ。
 何百何千、いやもっともっと多くの女性の、いはば「性的アイドル」である男性が、たったひとりの女性を性的パートナーにしなければならない時代。
 競争に勝った優秀なアルファオスにたくさんの、美貌で理想的スリーサイズの(つまりは多産で強い子供をつくるはずの)メスが群がることに関しては人間も同じであるとしたら、残念な時代。

 かつては、女性が群がる男性、例へばプロボクシングの世界チャンピオンとか海外から来たロックシンガーとかは、毎晩へろへろになるまで女性たちと交歓の時を持ってゐた。
 かういふことは、スポーツや芸能に限らず、世間では、あることだった。わたしが知ってゐる分野では、眼鏡をかけた陰険そうな大学教授などは意外にモテた。といっても大したことはないが、ゼミ生の女子大生の中にはインテリ男性を神格化する女性が必ずゐて、教授はその中から綺麗な子を選んで「恋愛」をしてゐた。
 今の老害世代なら、女子短大とか女子高とかいったところでも「つまみ食ひ」をした覚えのある元教師は少なくないだらう。

 そのころは、「恋愛」とか「道ならぬ恋」とかいふことで女の子とセックスができた。さういふ女の子はとうが立つ前にはさっさと結婚して普通の主婦などになった。
 今、婆さんになって孫やひ孫を膝に抱いてゐる貴女のことですよ。

 今は、どうだ。
 「淫行」である。「いかがはしい行為」である。

 そして、それよりも恐ろしいのは、とにかくセックスした事実があると、それを後になって「強姦された」「強要された」「いやだった」と言へば告発できることだ。
 今の人気者は女性とセックスをすると、特にその女性がいはゆる「未成年」であればいっそう、ひとつの不安な未来を抱へることになる。時限爆弾のやうな不安だ。
 つまり、後々、はやければ半年後、或いは、何十年経って忘れかけた頃、「性被害」を受けたとする当人やその関係者から告訴されるかもしれない。

 男尊女卑の時代、女性は男性に「事実上の強姦」「半強姦」「同意を強要」されても誰にもどこにも訴へることができなかった。
 むしろ、とにかく「関係を持った」ことによって、被害者のはうが世間から非難され、知人や家族にまで軽蔑されるといふ、今では信じ難く、許しがたい状況が続いてゐた。
 しかもずっと続いてゐた。

 さういふ時代と今でも地続きである事実を踏まへると、今、男性から見て「女が誘った」「女は同意した」「女は喜んでゐた」「恋愛だった」「不倫だった」などとあれこれ勝手に思ってゐても、相手の女性が過去を振り返り、それをどう解釈するかを裁判所が重視するのも無理はない。

 中には事実とは異なる場合もあるだらう。
 思ひ違ひは起きるものだ。
 しかも、女性にも悪者はゐる。信じたくないが、けっこう、ゐるのだ。

 それにしても、セックスを後になってどう解釈するかは女性の権利とすることで、男尊女卑の時代に蔓延していた「性被害」は撲滅できるだらう。



 ところで、女性が夜中や男性の集まる酒場などに露出的な服装をして現れて性被害に遭ったとしたら、女性に落ち度があるとされたのが男尊女卑の時代だった。
 今は、加害者だけが悪いことになってゐる。
 「なってゐる」といふ書き方ですでに激怒してゐる人もゐるだらうが、お察しのとほり、わたしは、「なってゐる」と考へてゐる。
 さうしておかないと、また、男尊女卑の時代に戻ってしまふから、とにかく女性が性被害に遭ったら、その責任はすべて男性にあるといふことにしなければならないのだとわたしは解釈してゐる。

 わたしの知り合ひがヤクザ者に注意をして死んでゐる。正義漢だった。その男の死の責任はすべてヤクザにあるはずだ。
 けれども裁判官は、「ヤクザに、一般市民ならわきまへてゐる社会道徳を求めるのは、間違ってゐる」「ヤクザは社会道徳に従はないでゐられる自己に価値を感じてゐる」「ヤクザに注意したはうにもその結果を予測することができたはずだ」などと思ったらしく、知人は殺されたのに犯人のはうは何年かの懲役だった。
 
 わたしは、裁判官の判断は「社会通念」に沿ったものだと思ってゐる。
 けれども、それ以来、今でも、そのヤクザの家族や孫や知人も含めてぜんぶブッ殺すといふ計画に、真夜中に突然、とらはれることがある。ベッドの上に立ち上がり、仁王立ちになって、朝まで眠れない。
(これはOCDの症状の一環でもある。バカげた観念を頭から追ひ払へない。ただ、それを実行するやうな病気でなく、本人がひたすら苦しむだけだ)
 わたしの怒りは、民事も含めてなにか市民に被害を与へたヤクザは必ず死刑になるといふ法律ができるまで消えそうにない。

 ただ、さういふ法律ができれば、わたしの長年の怒りはようやく少しは癒されるものの、ヤクザの人権といふものは尊重されないことになるだらう。
 
 そして、それよりももっと考へておくべきことがある。
 つまり、さういふ法律ができたとしても、ヤクザといふ人や生き方は名称が変はったとしても、人間がゐて社会があるかぎり、続く。
 
 人を苦しめてそれを生き甲斐にする人間は、ゐなくなることはないと思ふ。
 釣りだの鳥撃ちだのを楽しむのが人間なのだから、それは当然だ。


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