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どうして?なんで?を辞めてみたら

 自分の置かれた状況を見渡して、「あぁ、なんで自分なんだろう…」「まじかぁーみんないいなぁ」と思うこと、ありますよね?わたしはたまにあります。人間なのでね。
 ただ、鬱とパニックになり、全身性ジストニアになり、タイトル通り自分の境遇に対して悲観的な「どうして?」「なんで?」が頻発する時期がありました。その渦中でもみくちゃになったときに、その問いかけを辞めてみる、という自分の中での実験をしてみたのです。

 どうしてそんな事を考えたのか、というと、どうしてなんでを繰り返していても現状は変わらないということを身をもって実感したからです。どんなに嘆いても病気は変わらない。わたしってかわいそうだ、という自分の中の概念に囚われてしまえば、自分の境遇を改善しようという動きができなくなっていく感覚がしたからなのです。

 わたしは結構なスピードで人生ハードモードを進んできたので、時折自分の中の「悲劇のヒロイン」が顔を出すのです。なんだかかわいそうにって思った人が通りすがりに助けてくれるだとか、淡い期待でもあったのでしょうか。でもかわいそうなわたしでいても、結局あんまり誰も助けてくれませんでした。こういう書き方をするとわたしの周りはそんな冷たい人間ばかりなのかと誤解を生むので言い直します。わたしが嘆いていた時期は、みんな優しくいっしょに嘆いてくれていました。
 
 でもそれだけじゃ何も変わらなかったのです。自分が助かりたい、と手を伸ばして初めて、手を引いて人生の崖を登るのを助けてくれる人が現れました。やりたいことに希望を見出しながら、今いる状況からもがいてもがいて出ようとして、そうして初めて次のレベルへの扉が開くような感覚でした。

 世の中苦しいのは自分だけじゃないんだとか、もっと苦しい人がいるからとかそんな聖人みたいなことは想像できませんでした。繰り返します、人間なのでね。
 ただただ、どん底であぐらを組んでいては秘密の隠し扉も白馬の王子様もやってこなかったのです。自分自身に「どうしてこんなになっちゃったの?」「なにかできなかったの?」と問い続けても、過去には戻れない。今のところ世の中的には過去を変えて現在がこう変わってみたいなことは、映画にしかないので。だからその質問は自分を苦しめてしまうな、と感じたのです。

 だから、どうしてなんでを辞めたのです。逆にひっくり返してみました。「どうしたら?」「なにをしていく?」に。
 挫折や失敗、そんなふうに一括りにできないような限りないなんでどうしては、自分の次の一手を考える最高の材料へと変わります。どん底から這い上がるのはいつも辛いものだけれど、自分への問いかけを「次、どうする?」に変えると、おのずと未来が開けることがある、そんなことを心の片隅にでも覚えていても損はないです。怪しいものではありません。信じてくださいね。

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