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「大会の記録」ではなく「価値観の映像化」ー映画「東京2020オリンピック sideA,sideB」

先入観を持たずに


先日、2本通して見ることができました。最初に思ったのは客の少なさです。平日だったこともありますが、夕方からのsideAは自分含めて4人くらい。夜のsideBは8人くらいでしょうか。「大会だけでなく映画も無観客」と揶揄されるのもわかります。

市川崑監督がメガフォンをとった1964年東京オリンピックの記録映画が当時の歴代興行収入5位を記録し、内容としても高い評価を受けたのと比べると、随分と話題になっていません。コロナ禍に加え辞任やら問題発言やら続出でネガティブイメージがついた五輪を今更見たいかという人は多いでしょう。
いや、それ以上にこの映画をめぐっても問題が噴出しました。昨年はNHKスペシャルの字幕問題、今年に入ってからは週刊誌で報じられた河瀬直美監督の暴行疑惑。しかも監督ご本人がなかなか説明しないばかりか、舞台挨拶もなかったそうで、この映画自体が相当ネガティブに捉えられたのではないかと邪推します。

客入りの悪さについて本当のところはわかりません。(偉そうな映画評論家が「内容が悪いから見ない人が多い」と軽薄な評論をしていましたが、見ない人が多いなら内容云々はそもそもわからんでしょう)。が、良くも悪くも一大イベントだったわけですから、それをどう記録しているのか、先入観なく見ておいて悪くないと考えました。

全体を通して、音をかなり意識していることがわかります。バスケットシューズがコートを擦る音、選手の息遣い。これは記録映画っぽくていいですね。下手にナレーションいれるより、ずっといい。

それに表情のアップ。インタビューに答える人物は、ほぼ表情がドアップで切り取られています。これは賛否あるようですが、話し手の胸中を記録するという意味では効果的だったと感じます。人間、顔に出ますから、色々な感情が。

sideA:主役はどこへ行った?


さて、sideA。これはアスリートの視点に重点を置いているようです。

いや、そう聞いていましたが、自分はちょっと違うと思いました。なぜなら競技の「記録」、選手の「記録」は、あまり感じられません。

女子バスケットボールのある日本選手は、大会が1年延期したことで選手を続けるのではなく、母親になる選択をしました。一方、カナダの選手は出産直後の子供を連れて来日し、カナダ代表として試合に臨んでいました。この対比は何がいいたいのか、わかりやすいのかもしれません。「腹を切る覚悟だった」という柔道関係者と、「外国選手の方が柔道家らしい」と言う日本の選手。この対比もわかりやすいです。

そして、紛争が続く南スーダンから来日し、日本で合宿を張る陸上選手の姿、差別と闘う黒人の陸上選手の姿。敗者の健闘が称えられるスケートボードの姿も描かれます。

スポーツとしての価値観、大会の価値観を意識的かつ全面的に打ち出す内容という印象です。あえて五輪に対する賛否の立場で無理やり捉えれば賛成のスタンスでしょう(もちろん随所に五輪反対のデモの映像などは入っていますが)。

競技の記録という点は非常に乏しいのではないかと。1964年と違い、映画で大会を克明に記録する必要がないと考えられたかもしれません。それでもこれは公式の記録映画です。大会の価値を記録するのは必要なことですが、主役である選手、競技はどこへ行ってしまったのでしょうか。

sideB:意外とドキュメンタリー


一方、sideBは選手以外の視点、裏方側から進みます。

なんと言っても冒頭のシーンが象徴的。組織委員会の暑苦しいオジサンたちが、大会延期の場合のさまざまな問題点を話し合っています。やがて森喜朗氏の辞任、女性理事の大幅増、この辺りの流れはしっかり記録されています。会議の構成が男性だらけから、一気に女性が増え、次々に持論を語る対比の構図は鮮やかであると同時に、日本の後進性が明白になります。

森氏のインタビューは比較的時間が割かれている印象。辞任に至った発言が本意ではないこと、彼を擁護する某政治家の発言、IOCバッハ会長の思いが綴られます。この辺りの構成を「言い分を流しただけで共感が得られない」と伝えたアホなメディアがあったが、見た印象はかなり違います。

開閉会式の総合統括は狂言師の野村萬斎氏でしたが、電通出身のクリエーティブディレクターに代わり、その人も不祥事で辞任します。同ディレクターの就任会見時、隣の野村氏がディレクターを時折横目で冷ややかに見る表情がアップで、かなり時間を割いたショットとして映されます。

言葉不要。あの表情が電通や大会に対する痛烈な批判であることは誰もが見てわかるところです。

sideA同様、五輪反対デモ、コロナ患者に追われる病院の様子も頻繁に登場します(ただし、病院などは医療関係者目線で語られる場面も数多くありましたが、反対デモは「他者」の視点で語られるのが、非常に残念ではあります)。

一方で聖火ランナーを喜ぶ人たちの姿も映し出されます。選手村の食堂運営や3X3バスケットボールの会場設営に奔走するスタッフの姿もありました。目の前に迫った自分の役割に真摯に向き合う姿は賛否に関係なく必要な要素でしょう。

当事者の言い分もありつつ、批判的視点が盛り込まれている点は、sideAよりかなりドキュメンタリー色の強い映像作品と言えるでしょう。この点は下馬評より、まともな作品ではないかと考えます。

伝わったものと伝え方


ただし、sideBは「イヤラシサ」も感じます。

シーンが切り替わるごとに挿入される子供の笑顔。閉会式に登場した市川海老蔵氏が「100年後にこの五輪が、転換点だったと考えられるようであればいい」(正確ではないけどこんな感じのセリフだったような)と口にします。

ジェンダーやスポーツの価値、五輪の意義を問い直すことになった東京オリンピック。このタイミングで日本の社会は良い方向へ転換したと歴史の評価を得られれば、それはそれで良いでしょう。

本来、そういうものは映像を見て、自然に感じられるのが1番です。しかし、サーフィンが五輪に採用されたことが海をはじめとする自然や地球を大切にすることに繋がっているというストーリーを(やや無理くり)入れ、最後は100年後の子供たちが東京オリンピックを振り返るかのようなシーン。

日本がずっと遅れていて、これからの日本が考えるべき価値観。それはジェンダーからスポーツまでさまざまです。それらを「みなさんはこれを機にこういう価値観じゃないとダメなんですよ」と言われているような気にもなります。今後の価値観の教科書を無理やり見せられているようなイヤラシサは正直否めません。

断っておきますが多様性を含むこれらの価値観に私はまったく異論はありません。その見せ方がイヤラシイと感じるのです。

印象に残らないのはなぜか

そこまでしてメッセージ性を強く打ち出さないといけないのはなぜでしょう。スポーツの記録映画なのに、2本観た後にそれほど大会や競技についての強い印象が残らないのはなぜか。

そして、五輪は何なのでしょう。

止まない競技団体の不祥事、暴力。もしかすると映画の不入りは、すでに日本人がこの祝祭イベントを記憶のかなたに押しやったからでしょうか。

次のパリ五輪は2024年。喧騒の日々がすぐにやってきます。日本の、日本人の現在地を確認し、自身の向き合い方を考えるためにも、見ておくことは悪くないと思います。


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