見出し画像

<感想>哲学的な何か、あと数学とか ~学問と積み重ね~

先日、飲茶さんの「哲学的な何か、あと数学とか」を読んだので感想。

プロフィールにある通りだが、私は哲学はかじっている程度。数学は特段好きでも嫌いでもない。そんな私がどうして本書を手に取ったのかと言えば、「哲学」と「数学」、直感的には真逆にさえ思えるその二つの分野の関連性とはどういうものであるかに、興味を持ったからだ。

果たして自分にはその内容が理解できるか不安だったが、一ページ読んで気づいた。この本は、私のような両分野において全くの無知である読者に向けて書かれている。驚くほどテンポ良く読む進めることができ、更に書き手のユーモラスなトーンも相まって、学校ではつまらなかったはずの数学を、好きな漫画に没頭するかのごとく気持ちで楽しむことができた。

本書は「フェルマーの最終定理」を巡る350年にも及ぶ数学者たちのドラマを軸にしている。その物々しい名前の通り、「フェルマーの最終定理」は数学界隈のラスボスとも言える存在である。有名なので、名前だけは知っている人は多いのではないだろうか。私もそうだった。

あまり詳しく書くとネタバレになってしまうので、とてもざっくりとあらすじを書いてみる。天才フェルマーが発見したとされるこの定理は、それが初めて発表されたときからなんと約350年という果てしない年月の間、難解過ぎるあまり誰にも証明することができなかった。オイラーやガウス、数々の著名な数学者たちがこの「ラスボス」に挑み、そして敗れた。だがしかし、彼らは自力で解を導き出すには至らなかったものの、それに近づくための「ヒント」を残し、そうした重なる努力は一歩、一歩と後世を解へと推し進めていった。

その「積み上げ」こそ、本書の重大なテーマなのでないだろうかと思う。ここまでのあらすじで、「哲学」という単語が一度も使用されなかったことにお気づきかもしれないが、実は本文も同様で、最初から最後まで「フェルマーの最終定理」の話で埋め尽くされており、哲学的要素を一ミリも感じさせなかった。ページを一枚、一枚とをめくりながら、難解な数学理論とこの事実に私は首をかしげていた。

しかし、あとがきを読んでやっと合点が行った。私の冒頭の問い。「哲学と数学にはどんな接点があるのか」?それは平たく言ってしまえば、「一見役に立たなそう」なところである。もちろん、哲学だって、数学だって私たちの生活にとてつもない影響を及ぼしている学問には違いないが、物理と比べればどうか?地理と比べればどうか?果たして実用的か、と問われると少し返答に困るのではないだろうか。神と人との関係性や正十二面体の幾何学証明、それらが如何にして現実社会にて「実用」されよう?

しかし、こうして私たちが頭を巡らせていても絶対に答えは出ない。それは何故なら、我々が現在いま」の存在であるからだ。人類の歴史は長いし、これからも長い。それに比べ、80年か90年そこらの人生を生きるわれわれの視野は、恐ろしく狭いことを忘れてはならない。つまるところ、何が言いたいのかと言えば、「今は」何の実用性も持たない哲学的論理であろうと数学的定理であろうと、100年後、200年後ーーいや、1000年後のいつか世界の役に立つかもしれない。哲学と数学、というか「学問」とは皆ひっくるめてきっとそういうものなのだ。「机上の空論」を突き詰めることの意義が一体どこにあるのかと問われれば、それはまさにオイラーやガウスたちが例を打ち立てたような後世への「ヒント」にある。

ソクラテスの「ニコマコス倫理学」の論理は動物倫理学に適用されている。ユークリッドの楕円形方程式は人工衛星の軌道計算に使われている。どちらも紀元前の人類のレガシーであるが、現在の人類社会や我々の技術の大切な基盤だ。

では後世のために、私は何を残せるだろうか。
生まれて初めて、そんなことを考えた気がする。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?