めそめそ泣かない

19才の娘は、いつもおだやかで、ニコニコしていて、安定している。
一方で、小さい頃から、ちょっと傷つくと、めそめそ泣くことも多かった。

14才の飼いネコが、下血のような症状になり、急きょ、どうぶつ病院に連れて行くことになった。娘も、無類のネコ好きで、守ってあげたい気持ちが強く、いっしょに病院にいった。ネコは、自転車にのせたカゴの中で、どこに行くかわからない不安から、なおーん、なおーんと鳴く。私は心の中で、(娘が、ネコの診察中に、感極まって、めそめそ泣かなければいいが…)と思った。泣かれるのって、めんどうだから。

そこは娘も19才。ちゃんと大きくなり、つたないながらも一生懸命に、ネコの病状を説明する姿は、たのもしかった。先生からも「おねえさん」と言われて、誇らしかったに違いない。私がネコを押さえ、娘がなでなでしながら、患部の洗浄や薬の塗布、注射をされても、ネコは鳴き声ひとつあげなかった。こっちもえらい。

診察が終わり、ちょっと大変ではあるけど、1か月も通えば完治するとわかってホッとした。お会計(1万円)を待っていると、娘が、カゴの中に入ったネコを見ながら、めそめそと泣いていた。

私「めそめそ泣かないよ~(笑)」
娘「だってー、泣かないって思ってたんだけど…」

ネコに、病院で診察を受けさせる大役と、緊張と、不安。炎症が思っていたよりひどくて、それに気づいてあげられなくて、ごめんね、という気持ちもあり、まぁ、ホッとしながら、心がゆるんだのだろう。

愛するネコの一大事ではあるけれど、これが、人間の子供だったら、赤ちゃんだったらどうだろう、と、想像しただろうか? 

私たち親は、赤んぼうの突発性発疹にはじまり、多かれ少なかれ、子供の病気という修羅を越えて、育ててきた。深刻な病気と違って、ふつうの病気で、親がいちいちめそめそ泣くのは、はた迷惑だ、という考えは、いつの間にか、身についていた。子供が大きくなった今は、昔のように、やれ、風邪ひいただの、熱が出ただの、ということもなくなった。病状と不安を抱えて診察におもむくのは、久しぶりで、ちょっと懐かしい気がした。まぁ、大丈夫でよかった。

普通に見える親も、そういうときを何度も乗り越えて、子供を産み育てていくんだよ、と心の中で思ったが、ヤボなので、言わなかった。娘は、やさしい子だから、自分でわかっていくと思う。

もうひとり別の、20代後半の娘は、そうした親のさまざまな配慮も、理解する心がない。大人なのに、自分のエゴばかりを主張し、正当化するために、他者を傷つける人になった。深夜に一人で何時間も出歩くな、と私が注意したことがあったそうだ。それに対して、危険が多い世の中が悪い、自分を悪く言うなと、親を悪者にして、攻撃した。自分は正しい、世の中が悪いと書きつらね、謝ることもできない人になった。

庭の木や草は、生い茂るから、伐採しなくちゃいけない。
白髪は増えるから、毛染めをしよう。
ネコの体調が悪いときは、病院につれて行ってケアをしよう。
子育てにかけた配慮、手間、時間、お金などのリソースは、それらの比ではない。

今回は、19才のやさしい娘が、本来のよいところを持ちながら、思いやりのある大人に育っていることを、改めて知ることができた。
ああ、いいなぁ、と思う。