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ブラック企業に学ぶ中高年の働きかた

私の人生は、ほかでも少し書いたように、人に言わせれば「波乱万丈」と言われるようなものになります。

父親は投資かギャンブルか何かに失敗したらしく、小学生の頃に離婚して、母親は20歳の頃に突然他界してしまいました。

2つ上の兄がいたのですが、お金の力というのは恐ろしいもので、まだ20代だった無知な若者の人生を、母の残した多額の「保険金」が狂わすことになります。

私自身も甘ちゃんな次男坊で、兄に絶対的な信頼を持っていたのもあり、保険金の管理は全て任せていたのですが、結論から言えば全て使い込まれ、最終的には親が残してくれた家も引き払っての絶縁という状況です。

会社のバンに必要最低限の荷物を積んで、ラジオから流れるBzの「いつかのメリークリスマス」を聴きながら、他人名義の家に済むことを余儀なくされたことも今では懐かしい思い出です。

この件以来、兄とは絶縁したのですが、ほかに頼れる身内というのも母の妹になる叔母くらいしかおらず、当時はまだ年始の挨拶にいく程度の関係はありました。

しかし、この叔母の家にも、結婚して長男が生まれた年の年始の挨拶に行くと、「もう来ないでほしい」と言われることになります。

どうやら兄が賃貸の保証人を頼んでいたらしく、家賃滞納で迷惑をかけたということが原因だった。これは後から知ることになるのですが、とにかくこの時点で「身内ゼロ」の状態確定です。

皆さんは「中卒で身内が居ない」とどうなるかご存知ですか?

そうです、ブラック企業の餌食になるのです。

なぜなら、身元保証人になれる身内なんて居ないことは、まともな就職は不可能になりますが、結果的に「苦情を言う身内が居ない」ということにもなる。

雇う側からすれば、そんな状況でも拾う「恩」を売って、親代わりのような存在になり代わることができます。

その行為は、周りからは「優しい人だ」と言われ、現実には安月給でも「お金をもらえるだけありがたい」と感謝しながら無限に働く人形を手に入れられる絶好の機会。

そして仮にバキバキにコキ使う中で逃げたとしても、周りからは「あなたはあんなに良くしてあげたのに、恩を忘れたアイツが裏切った悪者確定」となる、絶対に負けのない投資が出来るからです。

ブラック企業が教えてくれた人生の生き方

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正直相当鍛えられましたね十数年間。結果的にここでの苦労が今も「世の中ヌルい」と感じることに繋がっていて、感謝することも少なくないので、会社名などは言いませんが。

朝6時に出社(起床ではない)して、事務所や事務所周りの掃除に始まり、店をやっていたのですが「終電がなくなるまでは人は動いている」という理論から、深夜2時まで営業しているところをワンオペなんて普通です。

これが「定時」なので、もちろん「残業」もあります。しかし、残業は怠けた自分の責任なので、サービスサービス♪が当たり前。こんな状態ですから、帰り道の途中で寝てしまい、起きたら通勤ラッシュが始まってて慌ててUターンするなんてことも珍しくありません。

もっと言えば「休みは結果を出した人間の特権」として、売り上げに結果が出ないときには1年半休みなしというのも「常識」で、ニュースの過労死レベルの残業時間って何を基準に決めてるんだろうといつも思っていました。

たまに会う長男からは「パパ、またきてね」と、親戚の叔父さんを送り出すか船員の父に持つような言葉で送り出されるのも日常で、給料なんて国保払ったら手元に10万円残るかどうかみたいなもんでした。

こう書くと「さっさと辞めればいいのに」と思うかもしれませんが、学歴的にも「辞めてもほかで使い物にならない」的な洗脳も確かにあったのですが、それ以上に「状況に負けたくねえ!」と言うのが強かったです。

きついからしんどいから条件が悪いから・・・いろいろな理由をつけて逃げることは、生まれたばかりの長男が大きくなったときに胸を張って言えることになるのか?と言うとてもくだらないプライドが大きかったのを覚えています。

皆さんもご存知のように、ブラック企業は当然ですが自動的に人が居なくなります。なので、競争しなくても「生き残る」だけで希少価値が高くなると言う特徴を持っています。

そのことに気づいた私は、とにかく「この会社に生き残る」ことに努力するのですが、私はもともとゴマするのが下手で、反抗的なタイプとして認識されていて、社長からもあまり好意的にはみられていませんでした。

しかし、入社する新人さんのなかには、私とは真逆の人間的にウマがあうと言うだけで社長が気にいるタイプだってもちろんいます。

そうでなくとも、ゴマするタイプだって多いのが、ワンマン社長の恐怖に怯えるブラック企業ならではの景色ですので、私は人が入るたびに「隅っコぐらし」に追いやられるわけです。

普通なら特に残るメリットもあるわけでもないので、ここで辞めるでしょう。でも、私はトチ狂ったプライドだけの男なので、死に場所だけは自分で決めたいタイプの南斗水鳥拳の人と同じ感覚なのです。

と言うのはさておき、実際にはどんなにゴマをすろうが、気に入られようが、勝手にいなくなると言うのが見えていたと言うのがあります。

しかし、彼らの在籍中は、ときに年下の部下にまで成り下り、ビルの全ての便所掃除担当になったこともあります。それでも腐らずに、自分のできることは全力でやりました。

策を講じることもできたのですが、子供に背中をみられていると言う意識から、正々堂々やらないと意味がないと感じていたのです。

そして子供の将来のためにも、ただ我慢するだけでなく、そこからどうするのかの「先のこと」も考えておかねば意味がないことも感じていくことになります。

ブラック企業で働くことで、親としての責任の重さだけでなく、我慢や辛抱をするにも、結果に意味を持たせる必要があるということを知ることになります。

ブラック企業で訪れた転機

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ブラック企業の「てんき」といえば、普段はワンマン社長の心のお天気くらいのものでしかないのですが、私にもいよいよ「転機」が訪れます。

実は、創業メンバーは私を含め友人たちが主体であったのですが、1人2人と離れていくことが続いて(当たり前ですが)、お気にの社員のライバル会社への移籍という裏切りや、太鼓持ちからの陰口が表に出るなど、まあワンマンの勢いのツケが一気にいろいろ来るわけです。

「経営者は孤独だ」が口癖だった社長も、ここでふと考えるわけです。「あれ?そういや会議じゃアレコレ文句言ってたコイツは結局残ってるじゃん」「いろいろやらせたけど、全部やってきてんじゃん」みたいな。

するとどうなるかというと、便所掃除で会社を変えた某有名企業の社長の例え話を持ち出して、私の立場を重要なポイントにまで一気に引き上げることになります。

当時の最終結果は、トイレ掃除要員のお荷物くんから、子会社も含め部下70名以上、東京本社で総務部長という肩書きのもと、新人教育で大卒社員に研修を行う立場になり、子会社のサービス業では事業部長だったので、ドイツへの海外出張や日本でも月の半分は出張で不在となるほどの忙しい日々になります。

そんな生活も数年続けば、皆さんは安泰じゃないかと思うかもしれません。しかし、私はこのときすでに感じていました。悪い方の「転機」の匂いを。

やっぱりきたブラック企業の「悪い方の転機」

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ブラック企業の社長ってね、ある意味素直なんですよ。自分の考えだけでなく、世の中にも素直というか。

ビジネス雑誌にカタカナのビジネス用語が出ていれば、読んだその日の話題に無理やりねじ込んでくるみたいな状況も普通で、日経新聞とかビジネス雑誌読んでたら、次は何を言い出すか(やりたがるか)大体想像つくようになっていくのです。

そんなときに、「上場」という言葉をよく口にするようになります。叩き上げですから、当然株主に文句言われるのは嫌なんですけど、有名になりたい欲もあるんです。本当に厄介な生き物ですね。

実際に上場できるかは別として、この言葉を機にある考えが私によぎります。

「役員が中卒で上場できるわけねえよな・・」

そうです。半ばヨゴレみたいな人間集めた組織で、ワンマンに徹するために役員は身内で固めたような状態。私も役員なんかじゃありませんでしたが、これは役員・役職の見直しはそう遠くないかもしれん。無学な私でも、本能で察することになります。

まだ残っていた古参メンバーの友人や後輩たちは、あまり気にしておらず、確かに自分たちがいないとできないことの方が当時は多かったこともあり、油断していました。

しかし、私は社長付きの仕事もあったので、打ち合わせ予定にある相手の名前や、社長室に訪れるメンツから姑息な動きを常に感じていました。

ある日突然呼び出され、上場に際して邪魔になるから、子会社を切り離して知り合いに売却するということを告げられます。

一応、子会社の責任者だったので、その了承とともに、その会社にそのまま一緒にいくか、ここに残るかを決めるように促されます。

社長としては、イケイケだったその会社を辞めるとは思っていなかったようですが、先に述べたように先には自分の未来はここにはないと感じていた私は「子会社に行きます」と告げることになる。

驚いた社長は、待遇の話などもしましたが、もともとはその子会社に入社した思い入れがあるので、という理由のもとに袂を分つことになります。

ブラック企業とは企業だけの問題か

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あれからもう10年以上経ちましたが、選択としてはやはり正解だったと言わざるを得ません。

上場は果たせなかったものの、規模はさらに大きくなり、役員は全て見栄えの良い人たちに入れ替わり、当時私が教えた新人たちが、今の重役の多くを占める状態になっています。

古参メンバーは過去の私と同じく、年下の部下として隅っこぐらしをしているか、耐えかねて辞めていく状態です。

私としては、予想できた状態ではあったので、子会社で権限を持ったままあまり変わらない生活を送っていました。自分で投資に失敗するまでは、ですが・・

結果的にブラック企業だった会社は、ブラック環境でOKだった人間が消えることでクリーンになり、今では世の中の就業規則の先をいくほどの超優良企業になっているようです。

そんなことを見ると、ふと思う時があります。ブラック企業であったのは、社長の責任(企業の問題)というだけでなく、それをよしとするブラックな人間が多かっただけではないのだろうか、と。

この会社はブラック企業だ!と耳にしたときには、個人的には「ブラックな人間が集っている」と聞こえ、それは発信している人もそういう人なんだろうなと感じています。

確かに方針を決める代表者の責任も少なくないと思いますが、実際にはワンマンでできる範囲は限られています。

あとは、その風習を自己の都合に利用する人間が多いから蔓延しているというだけで、社内の誰かというか、多くの人が部下に言うことを聞かせるためにや、自分の業務負担を減らすためなどの自己権利に使っていると言うことです。

労働基準法に守られた環境でやりたいのであれば、やはりそれに見合う成果を出せないといけないとも思います。

勤務中には業務に集中すべきであって、息抜きは休憩時間に行うという単純なことでしかありませんが、給料以上に収益をもたらせない限りは、約束が違うのはどちらの方なのか?と感じることもあります。

日本というブラック企業

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別に経営者の味方をするわけではありませんが、私もそうですが自分で起業して収入を得ることや、ましてや雇用を生むことなどはできていません。

だったら、自分がしなかった苦労を経て、それをしている人間の屋根の下で守られると言うことは、自分の都合を押し付けるだけではいけないという気もします。

これはコロナ禍の政治家の人たちへの意見も同じかもしれません。私は給付金だの補償だのもらったこともないので特に思います。

政治家が悪いと思うなら、自分が政治家になるしかないし、任せた以上はその人たちがやることに従って無駄な乱数が出ないようにしないと、求める結果にもつながらないと思っています。

結果がダメなら、経営者もクビになるように、政治家も選挙でクビにする権利は我々も持っています。

今の日本は、それこそブラック企業なのかもしれませんが、それはトップだけの責任なのでしょうか?

もしかしたら、何もせずに求めるばかりの国民の多くが、実は「ブラック国民」だからかもしれません。

自己責任という言葉は、若い頃からよく聞かされて、実際にそうさせられてきたことも少なくないというのは、同世代の皆さんならわかることでしょう。

ベビーブームから始まる競争社会、バブル崩壊に就職氷河期、ありとあらゆる「苦難の年」を詰め込んでいるのが我々40代。もう少し早ければ団塊の世代として、多少良い時代も楽しめたかもしれませんね。

そんなことを言っても変わらないので、今はブラック企業でも生き抜くことの大切さを感じましょう。

ただ耐えるだけでなく、来るべきその日のために意味を持って心の刃を磨けば、転機や機会は必ず訪れます。

時代のせいにしていて、子供たちに語れることはありますか?

どんな逆境でも挫けない、どん底からでも這い上がるスーパーヒーローであるための地味な努力を続けることは、親としてできる最後の務めなのかもしれません。

ブラック企業が教えてくれる中高年の働き方

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ブラック企業での勤務経験が教えてくれたのは、周りに期待をしないということです。そしてそれは同時に「周りや環境のせいにしない」ということでもあります。

ほかにも、自分の意思や初心を忘れずに、意地を維持する努力。

あなたが初めて仕事を覚えたときの、給料をもらったときの、努力が報われたときの、あの日の感動を覚えていますか?

身も心も若い頃に、簡単になんでも諦めようと思えましたか?

結果負けたときもあったとしても、負けたくないと必死になっているときの自分を忘れていませんか?

私の心情は、「負けるケンカでも全力で負けるから意味がある」と思っています。

周りから見れば不恰好でも、そんな周りが助けてくれることなんてないのだから、気にせずにいればいいのです。

ブラック企業の社長に言われた言葉で今も思い出すことがあります。

「必死というのは必ず死ぬという意味だから、生きている以上は必死の結果ではない」

別に死ねと言われたわけではなく、必死にやったというのは言い訳だという意味で言われました。

無茶苦茶だわコイツと思いましたが、今ではそうかもしれないとさえ思います。

決して名言なんかじゃないですが、人間「必死」になることなんて実はそうはないけれど、必ず至るための努力の「必至」はいつでも始められるんだってことを知るきっかけの言葉です。

何をやってもうまくいかないのが当たり前なんだから、なんでもやってみようと思えるようになったのもこんな毎日があったおかげかもしれません。

環境がブラックだ、と決めつける前に、自分自身がブラックな存在になっていないかということも考えてみませんか?

そうすることで、変わることもあるかもしれません。

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