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トキワ荘と少女漫画

まず言い訳から。このテキストは備忘録です。
いずれちゃんとした考察記事書くから、それを期待していてください!
(忙しくて、いや怠けてしまい、時間あるなら酒飲んで寝たい。)

あ″あ″、今本音が漏れた!
それぐらいのやる気のなさです。クリエイターたちの努力と熱気に輝いていたトキワ荘には居れないだろうな。

なんでたまのテキスト、すぐ書き終わる予定。
良かったら「手塚治虫は少女漫画界をも開拓した」ことを共有してほしいのです。
(予定は後に変更あり。つまりは駄文極まりないことを強調しておく。)

先日、ガルパン劇場版3話を観に行った帰りです。豊島区東長崎(西武線池袋の二駅となり)で少女漫画とトキワ荘の特別展観に行った。

(展示の撮影はできず、トキワ荘の外観だけ。文章ばかりですいません。)

事前に僕の予備知識は、「石ノ森章太郎先生が少女漫画にSFの要素を取り入れ、それに影響を受けた【花の24年組】こと、萩尾望都先生、竹宮恵子先生ら、昭和24年生まれの作家たちが少女漫画の革新を進めた。だから石ノ森と彼を漫画の世界に引き込んだ手塚が今の少女漫画を作ったのだ」というイメージでした。

しかし、この特別展を見て変わった。

手塚・石ノ森・藤子不二雄・赤塚不二夫らトキワ荘の巨星・神々ら自らが少女漫画界をお作りあそばせたのだと。

(関係ないですが、トキワ荘の一人の寺田ヒロオ先生の部屋の展示。寺田先生命名の「宝焼酎のサイダー割=チューダー」が流行していたようです。みんな一日中描いて、金はみんな勉強のため本や映画に、ラーメンやキャベツを食べていた。見習わないと!)

まず、これまでの少女漫画のほとんどが女性誌の情報雑誌の合間のイラストや「絵物語」という、少女小説や詩の合間に絵をさしこむもの。
小説にたくさん絵がのっているイメージ。なかには絵が多め、コマ割りもあるがとにかく文章長め。

絵物語って、江戸時代の草双紙と変わらない?
絵本のように、ずっと続いてきた手法なのか。
コマ割りのストーリー漫画って手塚先生の画期的発明なのかな!?

それに「新宝島」で今のストーリー漫画の土台をつくり、マガジンやサンデーなど少年誌で今の漫画の完成形を作り上げた手塚先生らが、その少年漫画の技法で女性誌の漫画を依頼される。

当時の「少女の友」や「少女画報」に並ぶ少女誌に「少女クラブ」があった。
川端康成や菊池寛らの小説も連載していたが、やがて漫画の連載も増やす。そして田河水泡先生や長谷川町子先生(サザエさん)などもあるが、明らかに少女漫画をストーリー漫画として開拓したのは手塚先生の連載「リボンの騎士」だ。
そしてもう一人の立役者が、少女クラブで「リボンの騎士」を担当して以来、6年手塚番としてタッグを組んだ編集の「丸山昭」だ。

彼が大手塚(偉大なる手塚先生)を頼り訪問してくる石ノ森先生、赤塚先生、藤子・両先生ら少年誌作家に仕事を依頼した。これは大きな少女漫画の躍進になったのだ。

特に石ノ森先生は、これまで学校のいじめや家庭環境にがまんする女性を描くのが多かった少女漫画にSFやファンタジーを取り入れる。

特に少年漫画誌で活躍する先生たちが「どうすれば少女の心をつかめるか」試行錯誤の数々。
きっとこれまでにない大きな変革と影響があったはず。展示でその作品を見て、これまでの少女誌の絵物語からの大きな変化が多様な作品から見られた。

特に赤塚先生が最初にヒットしたのは少女漫画。まあ「ひみつのアッコちゃん」は赤塚先生の代表作だしな。テクマクマヤコン!
そして驚いたのは、「あしたのジョー」「のたり松太郎」のちばてつや先生のデビューが少女漫画からだったこと。
先生らは少女漫画に絵を変えてきてるのだが、ちば先生の少女漫画の絵は、あしたのジョーと似てもにつかぬ少女漫画絵だ!

また、丸山昭は手塚ファンとして文通していた水野英子を手塚の紹介で仕事を与える。少女クラブの看板作家として活躍。

ほか丸山はトキワ荘の寺田ヒロオ先生やよこたとくお先生などにも活躍させる。
しかし「少女クラブ」は1962年に廃刊。「少女フレンド」となり大手塚や赤塚先生だけでなく里中満智子先生や楳図かずお先生などが活躍、競合誌「マーガレット」との二大覇権となる。

「マーガレット」は「ベルサイユのばら」「アタックNo.1」「エースをねらえ!」など少女漫画のレジェンドが連なる。姉妹誌の「りぼん」も多くの今の少女漫画家や女性漫画家も影響を受けただろう。
この系列が大手塚の影響をどれだけ受けたのか、今の僕はまだ研究不足なので、僕の仮説「手塚治虫なくば少女漫画もない」を裏付けることはまだできない。

しかし、1970年代に少女漫画に革新をもたらし、今でも少女漫画界の重鎮である「花の24年組」の萩尾望都先生は手塚治虫の「新撰組」を読み漫画家になるのを決意してるし、竹宮恵子先生も石ノ森章太郎に憧れ、大手塚の縁(友人がアシスタントにいて紹介した)で「週刊少女コミック」に連載を初めている。この少女漫画界に影響力の強い二大作家は手塚・石ノ森両巨星がいなければ、存在は難しかろう。

さらに「花の24年組」だけでなく、その影響を受けた「ポスト24年組」。

最近は、青年誌の女性作家や女性誌の男性作家も多く、さまざまな誌面をかけもちしながら作風を変える作家も多い。
一見少女雑誌だが男性誌にも十分載せられそうな作品もあろう。
なかなか分類も難しいものだ。
女性誌で人物の関係性や心理表現と心の成長を描くものもあれば、男性誌で強さとたくましさと仲間と己を救うため戦う姿を描くものがある。

80年代~90年代には高橋留美子先生の「うる星やつら」などで少年誌や青年誌で「萌え」要素も加わる。
最近では荒川弘先生、田辺イエロウ先生、さとうふみや先生、久保ミツロウ先生、大島司先生、尼子騒兵衛先生、林田球先生など男性と思われる女性作家もいるだろう。

こと少女漫画は心理表現を極端かつ繊細に創造し、漫画界に大きな成長を与えてきた功績は大きい。

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