復権状イメージ

恩赦が時代遅れ?君主制の遺物?犯罪者を野に放つ?という、さまざまな誤解。

概要

(タイトル画像は、復権状のイメージです。本来は、縦書きで法務大臣名が入ります。)

私はかつて、法務省の役人として、恩赦の仕事にも長い間携わってきた。

憲法にも定められている天皇の国事行為である「恩赦」。それに対するさまざまな誤解をほどき、どうしてこのような制度が現在も残っているのかを書くこととする。

はじめに

令和元年10月22日、即位礼正殿の儀に伴い、政令恩赦が実施される。

ツイッターなどのSNSでは、

今なら犯罪犯し得ってこと?
恩赦であっさり出てきた人間が人殺ししたりしたらどうすんの
恩赦受けるために軽犯罪しようかな
なんとも時代遅れな感じ。民主主義になじまない

などなど。ここまで誤解がまかり通る制度もなかなかない。

そこで、恩赦とはなにか、誰をどのように恩赦するのかを、ややこしいところは省略して、なるべくわかりやすく書いてみたい。

恩赦は、今もあらゆる国で行われている

まず、恩赦は君主制の遺物ではない。

たしかに、恩赦制度の起源は君主制にあり、君主が犯罪者を赦すものであった。この時代の恩赦は、おもに、「君主の気まぐれによる重すぎる罪」を軽くするために作用していた。

まあ、王宮に忍び込んで銀食器を盗もうとして捕まったら、終身刑になるような時代である。こんな場合、代替わりがあったときに釈放してやるのは、理にかなっているといえる。

現在はどうかといえば、イギリスやタイなどの君主制の国に限らず、共和制の国でも恩赦を実施している。アメリカやフランス、韓国などにおいては、大統領就任などにあわせて、必ず恩赦がある。

中国などの共産主義国家にも、恩赦はある。

バチカン市国にすら、恩赦制度がある。

また、国家の慶弔時だけでなく、特に必要があるときには個別に審査し、恩赦を行っている。これも、どこの国も同じだ。

終身刑制度がない国では、懲役200年というような刑罰があったりするが、実は何度も恩赦が行われて減刑され、どんどん刑期が短くなっていることは、あまり知られていない(とはいえ、それで刑務所を出られる者はごくわずかだが)。

恩赦という制度は、世界中で、現代の事情にあわせてアップデートされながら、行われているのである。

つまり、「恩赦は時代遅れ、君主制の遺物、民主主義になじまない」、これらはどれも誤りである。時代遅れであるならば、なぜ世界中のあらゆる国家で行われているのか。

先の政令恩赦の「大赦令」

昭和天皇の大喪の礼が執り行われたとき、「大赦」が行われた。これにより、捜査・起訴・裁判中のものはすべて中断、拘置所や刑務所に収監されていたものは釈放、前科によって制限されていた資格や公民権などは回復された。

このとき、恩赦の対象となった人数は1000万人である。国民の12人に1人が犯罪者、あるいは前科持ちだったということになる。変だとは思わないだろうか。

いや、そうなのである。平成元年において、国民の12人に1人が、かつて罪を犯しており、前科持ちだったのは、事実である。未成年者は基本的に刑事罰を受けないから、大人のうち8~10人に1人くらいは犯罪者・前科者だという計算になる。

何かがおかしいと感じないだろうか。そんなにたくさんの犯罪者や前科者がいるという実感が、あなたにはあるか。

「それだけたくさんの凶悪犯罪者がいたのか」というと、当然答えはNoだ。殺人や強盗、性犯罪の人間が、国民の10人に1人もいることなどありえない。

このときの「大赦令」を読んでもらえば、犯罪者のうち、誰が対象になったのかわかる。一部省略して紹介する。

第一条 昭和六十四年一月七日前に次に掲げる罪を犯した者は、赦免する。
一 食糧管理法に違反する罪
二 食糧緊急措置令に違反する罪
三 物価統制令に違反する罪
四 地代家賃統制令に違反する罪
五 外国人登録法の罪
六 未成年者喫煙禁止法の罪
七 鉄道営業法の罪
八 未成年者飲酒禁止法に違反する罪
九 軽犯罪法に違反する罪
十 興行場法の罪
十一 旅館業法の罪
十二 公衆浴場法の罪
十三 古物営業法の罪
十四 郵便物運送委託法の罪
十五 質屋営業法の罪
十六 狂犬病予防法の罪
十七 酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律の罪

つまり、この大赦令においては、刑法上の罪は、窃盗や暴行から殺人や強盗まで、一切赦免されてはいないのである。取るに足りない罪のみ、赦されている。

しかし、これらの罪で捜査中・公判中・服役中の者だけでは、1000万人には到底届くはずもない。1000万人を超える人が恩赦の対象のなった原因は、もうひとつの政令、「復権令」のためである。

先の政令恩赦の「復権令」

復権令についても、わかりやすく省略して引用する。

第一条 罰金に処せられた者で、昭和六十四年一月七日の前日までにその全部の執行を終わり又は執行の免除を得たものは、この政令の施行の日において、その罰金に処せられたため法令の定めるところにより喪失し又は停止されている資格を回復する。
2 昭和六十四年一月七日の前日までに略式命令または判決の宣告を受け、平成元年五月二十三日までにその裁判に係る罪の一部又は全部について罰金に処せられた者は、それぞれその罰金に処せられたため法令の定めるところにより喪失し又は停止されている資格を回復する。

簡単に言えば、すでに罰金刑の前科がついている人に対して、前科による制限の解除が行われるのが、「復権」である。

前科が消えるわけではない。「前科による制約を解除する」だけで、前科は残る。過去の経歴は消さずに、未来に向かっての影響を消す、これが恩赦の効果だ。

さて、罰金刑による資格などの制約は、5年間である。この復権令では、罰金刑であれば罪の内容は問わなかったため、過去5年間に罰金刑を受けた者の全員が対象になった。(このほか、ごく一部、刑務所を出所した者に対しても行われたが、そこは説明を省略する。)

その中で、一番多かったのが、道路交通法違反だ。

警察白書によると、道交法違反が5年分ともなると、その違反者はのべ4000万人以上いるのである。その中で、平成元年までの5年間に、赤キップを一度でも切られた人は、全員が恩赦の対象となったわけだ。

だから、恩赦対象になった国民が1000万人いても、なにも不自然なことはない。これが「恩赦1000万人」の真実である。ひょっとしたら、あなたも、その1000万人の中に含まれていたかもしれない。

そして、過去に罰金刑を受けた人と、刑務所を出所した人が対象ということからわかるように、当時刑務所で服役中であったり、死刑執行を待つこととなっている凶悪犯罪者は、誰一人として、恩赦の恩恵にはあずかっていない。

「恩赦は犯罪者を野に放つもの」、これもまったくの誤りである。

では、復権とはなにか?

今回の即位礼正殿の儀においては、刑罰の種類を限っての「復権」のみが実施されるが、ではそもそも、前科のある人は、何が制限されているのだろうか。

前科のある人には、一定の期間、就くことができない職業や、取得することができない資格がある。

職業では公務員や教師が典型的だが、それ以外にも、株式会社の取締役や法人役員、警備員、生命保険営業、損害保険営業、運転代行業経営などはできない。

国家資格も制限される。医師、看護師、薬剤師、教員、公認会計士、税理士、社会保険労務士、中小企業診断士、社会福祉士、介護福祉士、宅地建物取引士などなど、さまざまな資格を取れなくなることがあり、すでに資格を取っている場合、これを剥奪されることもある。公職選挙法違反であれば、被選挙権などの公民権を停止される。

罰金刑などの前科によって、資格取得や職業選択を制限されている状態をなくすのが、「復権」というものである。

しかし、前科は消えないし、払った罰金も返ってこないし、国家資格が剥奪されてしまった場合は、また取得し直さないといけない。過去にやってしまったことは、恩赦では消えることはない。

では、なぜ恩赦をし、ほかのことをしないのか

今回、復権の対象となるのは55万人程度とされる。とすれば、被害者のいないような、前回よりも、いっそう取るに足りない罪ばかり選ぶことになるだろう。道路交通法違反や、刑法上の罪も含まれることはないのは確実だ。

そんなどうでもよい程度の内容でも、なぜ恩赦をするのか。これだけ批判されるようなことを、国家の慶弔の際になぜ行うのか。

身も蓋もない言い方をすると、「慶弔時に政府が何かするにあたって、恩赦は、もっとも手間やコストがかからない方法」なのである。せいぜい、恩赦の範囲を定めるために、法務省が右往左往するくらいだ。

政府で必要な書類上の手続きをし、国会に諮る必要もなく、天皇の認証を得て、官報に掲示すれば、それで済む。なんとお手軽なのか。慶弔の意を行政行為として示さなければならない政府にとっては、あまりにも便利すぎる制度である。

さて、ここで、他の案と比べてみよう。SNSを見ると、

奨学金をチャラにしてやれよ

などという意見が、橋下徹氏をはじめたくさんがあるが、これは膨大なコストと手続きが必要となるから、絶対に不可能である。

それに、奨学金に関して言えば、一部の人だけが恩恵に浴するという意味では、恩赦とまったく変わるところはない。なぜ、世の中に存在するありとあらゆる借金の中で、学生全員が受けているわけでもない「奨学金という借金」のみを、国家が肩代わりしてやらなければならないのか。こんなことが通れば、奨学金を受けることなく苦学してきた学生からみれば、たまったものではない。

また、奨学金だけは免除するとして、住宅ローンや教育ローン、商工ローンなど、他の借金の免除はやらなくてよくて、奨学金だけが必要性や相当性があるのだと、誰にでも納得のいく理由を説明できるのか。

消費税を一年間なくせ

というものもあったが、これは国会に諮って、採決により決めないといけないので、時間も手間もかかる。だから、このようなことが実施されることは、まったくありえない。それに、わざわざ歳入が減るようなことを、国家がするわけがないのである。

これらに比べて、恩赦の便利さは段違いである。

おわりに

この文章によって、恩赦という制度はどんなものか、そして、いかに限定的に運用されているか、また、恩赦という制度が残っている意味がわかっていただけたら、これほど嬉しいことはない。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?