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【読書記録】 階級「断絶」社会アメリカ: 新上流と新下流の出現

チャールズ・マレー著、「階級『断絶』社会アメリカ: 新上流と新下流の出現」を読んだ。

今も昔も「格差」はあったが、上流層も下流層も一定の範囲内で共通の「文化」を共有していた。ところが、この50年(本書の分析期間である1960年~2010年)の間に、知識労働者の増加や大学進学率の向上等が起き、これまでと違った「新上流階層」が生まれたと筆者は論じている。

知識労働者同士の結婚による二世・三世の誕生、都市部への知識労働者の集積によって、「新上流」と「新下流」は、単に収入や資産の多寡だけの差でなく、住むところから異なるようになり、生活様式や考え方まで乖離してしまった

これにより「建国以来共有されてきた【アメリカ】的な考え方」が崩壊しつつある、というのが大まかな本書の内容。トランプ現象や右派・左派の過激な対立、昨今のリベラルをめぐる対立、キャンセルカルチャーなどの問題の背景には、こういう社会の変化/分断があるのだろうなと感じた。

アメリカのデータを前提に著述されているが、居住地域で所得が違うという話は日本でも起きており、分断の構造は同じかもしれない。

この、知識労働者の偏在による地域の変化はエンリコ・モレッティの「年収は「住むところ」で決まる ─ 雇用とイノベーションの都市経済学」やリチャード・フロリダの「クリエイティブ都市論」などでも指摘されている。この2者はこのような変化を、都市の機能として(意識的にではないかもしれないが)肯定的に捉えており、マレーの懸念とは対照的だ。

日本でも、地方創生の文脈のもと都市政策として「クリエイティブ人材が集積する都市を目指しましょう」といった題目を掲げる自治体が増えてきている。知識労働社会を前提としてしまうと、本書で指摘するような分断が結果的に促進されてしまう可能性は否定できない。

富山でも、小地域単位での同質性がだんだんと高まってきている印象がある。例えば、新興住宅団地はその近傍の有力企業の従業員が転居してくる場合が多く、住民の世代も近いため、均質性が高い。一方で、郊外田園地区や中山間地域は土着の農家を出自とする家庭が中心になっている。都市内での偏在は、地方都市でもどんどん進んでいる

小地域単位で「階層化」が進んでいくと、「そこに住む経済的余力がある人」が選別され、結果として分断が再生産されてしまう。これが定常状態になることは、果たしてそこに住む人間を幸せにするのか。

自治体としては、知識労働者の方が給与水準が高く、税収も増えるので、こういった層を抱え込もうとするのは一面、合理的に見える。ただ、そういうクリームスキミングのような人口政策は、社会全体・地域全体を見たときに本当に問題ないのか、為政者はよく考える必要があるのではないか。

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