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Googleは「先生」ではなかった(とChatGPTが教えてくれた)


二週間以上すっかりNoteから遠ざかって、ひたすらChatGPTやStable Diffusion をいじりたおしていましたが。いやぁ、もうこんなものに私が生きている間にお目にかかれるとは!っていうレベルの驚きの連続です。


100人盛っても大丈夫〜(違
隣国の女学生をイメージしたいんだけどなかなかうまいのができない(笑

勿論、ときに、「つかえねえなあ」と思わされる場面もあるけれど、これはもう「マネージャのマネジメント能力の問題」と同じで、自分の指示の仕方が曖昧だったり、相手の特性を理解しきれていなかったことによるもの、ということがほとんどで。今までであれば、途中で挫折して(一番怖いのは、PCに余計な「残骸」が残ってしまって修復が効かなくなること。なにか試そうとして、 venv使わずにいろんなライブラリ入れておかしくなることを10〜20年前のレベルで想像してもらえればよろしい)、結局できなかったであろうことも、1日じっくりとChatGPTと会話すれば解決しますものね、まあ、もっとも、GPT-4の精度の良さを享受しようとするけれど、3時間で使える枠が限られているのが現在のネックで、このリミッターに2・3回連続して触れてしまって1時間作業が止まったことも(汗)。

とまれかくまれ。何かをやりはじめようと思ったときの障害は、ChatGPTを使えばまあほとんどなくなったに等しいわけで。


まあ、そんなことを、前回のノートに書いたわけだけど、

まあ、このときにすでにわかっていたのは、「私に必要だったのは先生役だった」ということ。そしてそれは、他のあらゆる人たちに通じる話でもあり。

Googleが当初一斉を風靡した際、私は、GooとかInfoseek(Yahoo!ではなかった)を使っていたわけで、まあそれなりの衝撃ではあったものの、私にとっては、「検索」そのものはやがて苦痛でしかなくなり。

特に技術的(IT系の)な質問をしようとしても、まともにこたえられるわけでもないし、特殊な条件のものだけがヒットして何日も時間をつぶしたり、結局は、情報が増えれば増えるほど精度が下がり、つかいものにならなくなっていました。



ChatGPTは、まさに私達が求めていた「先生」役であり。

対話チャンネルは、自分で設計したTelegram・DiscordのBotであれ、LINE bot であれ、本家のそれであれ、履歴がしっかりと残っていて、そして使いやすい加工も可能だから、話が色々と分散しても、最後にはコンパイルできる。

「不自由」であるもの、が、突如として消え失せた感覚。



Excelを経由してStable DiffusionをColabで使う(すでに5万枚程度作画した)ことや、独自のプログラム作成(C++メイン)、LINEやDiscord、TelgramのチャットBotの構築(主に翻訳系)、Pythonの自作ライブラリの充実、RやC++、Java関連のJupyterノートの構築( on Anaconda )、Windows10のPCをUbuntuに切り替え Ubuntu上でVMWare立ち上げさらにそのゲストWin10ゲストPCの上にWSL2でDebian/Ubuntuみたいなアクロバティックなことも含め、色々と試したり学習したりしているんだけど、90%くらいいつも満足する。100%にならないのは、時折ハルシネーション(AI幻覚:某睡眠薬(笑))起こしてそれが原因で数時間作業が止まってしまうこと、があるから、程度。

「君(AI)の言ってること少し間違ってて、結局はこういうことなんじゃない?」とGitHub上の「動くコード」を見せてあげると途端に解決することとかもあった。

まあ、Pythonの独自ライブラリをかなり作れるようになって(特にクリップボード周り)、作業効率めちゃくちゃ良くなったんで。そしてTelegram bot (笑)
少し、音声周りのことを掘り下げたいとも思ってはいるんだけれど。


これはもう、一年前とは全く違う状態。違う条件。

今までの「何十年」がアホみたいジャーン。笑

Googleを今まで「グーグル先生」と詠んでいたのももはや懐かしいレベル。グーグルは、先生だったのではなく、「図書館の司書(ライブラリアン)」に過ぎなかったのだな、と。

ただ、私は、インターネットの変遷について、過去の
「イノベーション」=>「インフォメーション」=>「コミュニケーション」の次にくるものとして、AI系は考えていたわけだから、コミュニケーション(特にSNS)で分散されたものを「インテグレーション」し、次の「実行」(エグゼキューション)に移すための道具が、ようやく眼の前に現れたのだ、という捉え方もしてます。

Automationが進んでいけば、もっと見えてくるものがあるんだろうな、と。


落合陽一さんの、YouTubeもちょっとみてみた。「英語が最強のプログラミング言語」というのは、まあよくわかるので、ChatGPTに「英語で」見解を問うて、日本語にしてみた。


英語が最強のプログラミング言語であるという落合氏の発言は、比喩として解釈することができます。英語は技術的にはプログラミング言語ではありませんが、多くのプログラミング言語とツールが英語で文書化および議論されているテクノロジー業界でのコミュニケーションとコラボレーションに不可欠なツールです。
人間は「好奇心」を鍛えるべきだと言うとき、特定のプログラミング言語やツールだけに焦点を当てるのではなく、好奇心旺盛な考え方と継続的に学ぶ能力を開発することの重要性を強調しているのかもしれません。AIが自然言語の命令からコードを生成できる時代では、好奇心旺盛な考え方を持つことで、個人は新しいアイデアを探求し、変化するテクノロジーに適応し、創造的に考えることができます。
彼の仮説が真実であれば、英語の好奇心と強力な基盤を発達させることが、テクノロジー業界で競争上の優位性を提供できることを示唆しています。AIが自然言語からコードを生成できるようになるにつれて、複雑なアイデアや指示を英語で効果的に伝える能力がますます重要になる可能性があります。さらに、好奇心を育むことは、個人が時代を先取りし、新しいテクノロジーに適応し、急速に進化するテクノロジー環境との関連性を維持するのに役立ちます。

ChatGPT + AI翻訳


というわけで、私のいる国では、水掛けまつり(隣国のが有名だけれど)を含む「新年」だったりしますので。

サバイディー・ピー・マイ!





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