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ちょっとの振り返り

「問題の核となる部分はどこですか?」
「あなたは今何をすべきですか?」
「再現性がありますか?」

社会人として生きていくうえで多くの場面で問われることだと感じている。

僕は論理的に物事を考えるのが得意ではない。
文章を書いていても、話の内容があちこちに飛び回ってしまう。
話をしていても、どこまで何を話したのかを覚えられなくて、行き当たりばったりで話すことが多くなってしまう。

以前の自分よりは多少ましになっている部分があるが、まだまだ足りない。

原因はいくつか考えられる。
1つは、興味の矛先がいろいろな方向に向きすぎること。興味あることに手当たり次第、様々なことに向かっていく。その気持ちをあまり抑えるようなことはしてこなかったので、今の気持ちでその時の行動を決めてしまう。ちょっと気がそれると、その時の思考がふっと途切れ、別の物事を考え始めてしまう。そうして戻ってきたときに、最初とは別の角度で考え始めるので、考えていることに一貫性が生み出されない。あるように見えても、継ぎ接ぎだらけで中身がスカスカ、誰かに指摘されればぼろが出てしまう。つまり、物事に集中する、ということができていないのだと思う。

もう1つは、完璧を求めすぎてしまうこと。人の目を気にして綺麗さを求める、できないことが恥だと思って見栄を張ってしまう。だから、1つの物事を考えるのに疲れ、それでも何とかしようとして、無駄に時間をかけすぎる。そうしてできていないものをできているように見せかける。外見ばかりで実が無い。思考は疲れ、次も同じことの繰り返し。

論理性が無いことは続かず、続かないことは自分を苦しめる。物理的にも精神的にも。
今の自分はまさにその状態。

どことなく疲れていて、それでいていつも忙しい。忙しいことは嬉しいし、苦しさを求めて今の会社に入ったようなものだから、後悔はしていない。ただ、今の状態でいいのか?はずっと考え続けている。

ただ苦しいのと充実感も伴って苦しいのは大きく異なる。今はどっちかと言えば、ただ苦しい。

だから、今1度、論理的に考えることをきちんと身につけようと思う。現状をきちんと認識し、何が問題で何が変化すれば改善されるのか、改善されたらどんな効果が期待されるのか。
仮説をきちんと立てて、それを立証してみる。その最中は苦しさがあっても、きっとやり切った後にはハッキリとした答えが見えているから、充実感が伴うと思う。

原点に立返るように、生き急がず、目の前のことをきちんとやる。そういう生き方をしていきたい。

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