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#34. インド旅行記:バラナシ(Varanasi) 後編

前編はこちら。

チャンドゥンをゲットしマニカルニカーへ歩いていると「それいいね」と結構声をかけられた。やはりチャンドゥンは間違ってなかった。チャンドゥンは正義だった。びしゃびしゃの花環をかけられた時はテンション下がったけど。10,000ルピーと言われた時は「"とりあえず言ってみたろ"じゃねーよ」「どこに勝算見出してんだよ」と思ったけど。

と、歩いているとマニカルニカーガートへ到着。眼前の火葬場は24時間稼働。ここでも声かけてくるガイドは勿論いるが、個人的にここはガイドに乗ってもいいかなと思う。結構丁寧な解説や案内をしてくれる。報酬はガイド料という形では要求してこない。身体を燃やす為の薪代を寄付してくれ、という形でお金を求めてくる。
薪代は1kg750ルピー(約1,125円)。
(ちなみに、3年前くらいに行った時は"あなたの戒名を考えるから2,000ルピー(約3,000円)くれ"と言われた。多少気になったけどノーサンキュー)

写真はこんな感じ。1番上の写真の人が集まっている左側の辺りが火葬場。

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話しかけてきたガイドにOkを出し案内をしてもらう。ちなみに、ヒンドゥー教徒にとってはここで荼毘に付されるのが一つの憧憬(という言葉が適切かは分からないが)と言われている"らしい"が、全員が全員ここで燃やされる資格を有している訳ではない。

小さい子供、妊婦、蛇に噛まれて亡くなった人、出家遊行者

は燃やされず石の重しを付けて川に沈められる。理由は、聞いた限り

*小さい子供⇒人生を十分に経験していない為
*妊婦⇒その子供を宿している為
*"蛇に~"⇒蛇がヴィシュヌ神の天敵とされる為
*出家遊行者⇒人生を超越しているとされる為

となっている。後、火葬場に入れるのは親族だけだが女性は親族といえど入れない。昔、旦那を亡くした女性が後追いで火に飛び込んだことがあった為らしい。なお、火葬場は写真撮影不可だが1枚500ルピー(750円)で撮影可能。

ここまでは知っていたが、今回以下のことを新たに知り認識を改めた。

*身体障がい者、事故で亡くなった人はもう一つの火葬場で燃やされる。
*火葬場はカースト毎での区分けをしていない。
⇒階段状になっているがその物理的な"高さ"はカーストの階級で区別をしていると理解していた。
*ハイカーストの焼却場所はこの火葬場のすぐ裏にあり鍵付きで個部屋のようになっている。
*ヒンドゥー教以外も燃やすことができる(ただし、イスラム教徒を除く)。
⇒他宗教用の場所は火葬場横の塔を上がった場所にある。ここも上がったがそこには80代くらいの女性の肉体が横たわっていた。
*1人の人間を燃やし切るのに必要な薪の量は約80kg~150kg。
⇒これが足りないと燃え切らず生臭さが立ち込めるが、火葬場では驚くほどそうした"キツイ"臭いはない。
*無縁仏の焼却は寄付の薪代で賄っている。

といったところ。他にも何かあったかもしれないが。結局30分くらいガイドしてもらい金の話へ。

「薪代、どのくらい寄付してくれるか?」

と向こうから。内容的には満足したので特にネゴろうとは思わず、

「良いガイドだったから1kg(750ルピー)分の金額を払うよ」

と返すと、

「Sir、俺の説明を思い出してくれ。身寄りのいないケースはこの寄付で賄っている。ちなみに"5"が縁起の良い数字だから5kg分出してくれ

と。

いや、知らん。大体何で寄付の金額指定なん?譲らず1kg分だけ払い、チャイを飲んでその場を後にする。

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そこからまたドゥルガーへ向かい歩く。川へダイブする青年との戯れ。何かエモい壁。ドラムしてる兄ちゃん。踊りまくってる子供たち。みなが思い思いに過ごしている。と、15分程歩いていたらドゥルガーガートに到着。まぁ特に何も無かったけど、一応ガイドの端に来たということで一先ず満足。時刻は夕方。そこから一度宿へ。日没時(1830~1900頃)から始まるプージャー(Pooja: 礼拝)の見学へ備え一休み。

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そして1900頃また川へ戻ると、人、人、人...。プージャーは3回目だけど、いつ来ても凄い人混みだ。銅鑼と太鼓が鳴り響き、ろうそくの火が照らされた何とも形容し難い空間。神秘的なのだろうが、正直そこまで没に入る感じではなく「やっぱガンジス来たらこれよなー」という風物詩のような捉え方。春の桜に夏の海、秋の紅葉に冬の恋。それと一緒だ。

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30分くらいでプージャが終わる。会場が片付けに入っている中写真を撮っていると、盆に華の詰め合わせを乗せた女性が「買ってくれ」と。真ん中に蠟燭がある。火を灯し、家族の名を言いながら川に流し幸運を祈願するらしい。いいね、これもやってみよう。値段を聞くと「終わった後で、あなたの好きな金額をくれればいい」と。

一緒に川へ下り、蠟燭に火を灯した彼女が聞いてきた。

「あなた以外の家族は何人?」

「母、父、弟の3人」


じゃあ、5枚流しましょう


なんでー??残り2人はーーー????誰ですかーーーー???????


何だよ。薪のこと然り、本当に"5"はラッキーナンバーなのか?どこにかかって出た「じゃあ」なんだよ。あー、おもろ。

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先ずは母親、それから父親、兄弟の名前を言いながら流し、後は「自分」と「家族以外の自分にとっての大切な人全員」ということで川に流す。5枚流したから500ルピーで良いか。500ルピーを渡すと、「Thank you. あなたはラッキーだよ、私の今日の初めてのお客さんだから」と言われた。逆だろ、逆。

プージャの会場を後にしディナーへ。2100近くだったので殆どの店が閉まっていたが、「モナリザカフェ」が開いていた。ここは日本食やイタリアンもある。暑い中1日歩き尽くした体は何を食べても美味い。チョウメン(焼きそば)をかっくらい宿へ。オーナーから「明日のボート周遊は0500集合」という案内を受け部屋へ。シャワーを浴び、少し本を読み0100くらいに就寝。

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<2日目>
2日目はサクッと。0500に集合し川へ。参加者は自分だけだったのでボート貸し切り。対岸に渡りチャイを飲み1h程で周遊を終える。

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宿へ戻り少しだけ寝て、ブルーラッシーでチョコバナナラッシーを飲む。再び宿へ戻りチェックアウト。

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この日はドゥルガーと逆のアッスィーガート(1番目)へ向かう。少し歩いてハリシュチァンドラガード(ガンジス川沿いにあるもう1つの火葬場)を見る。この日も暑くアッスィーへはまだ先が長かったので、そこからボートを利用。アッスィーも特に何も無かったけど、とりあえず目標達成。

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そこからランチの為「Kapachino」へ。モモ(チベット料理。蒸し餃子のようなもの)とパラタ(小麦粉で作った薄い生地を何層にも重ねて焼いたもの)をオーダーし、客は自分だけだったのに40分くらい待たされたので軽くキレ、満腹となり店を後に。予約していたタクシーで空港へ行き、オンタイムのフライトでデリーに戻った。

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バラナシにはあと5回は行きたい。別に数が大事な訳ではないが、できるだけ時間を作り、川沿いを歩き、少しでもその景色と空気を心に刻みたい。今後の人生でどうにも立ち行かないことがあった時、その時はまたこの国に来たいと思う程インドは自分にとっての根幹の一つとなっている。ガンジス川は間違いなくその一因だろう。上手くは言えないが。

「インドに来ると価値観が変わる」と言われる。実際聞かれたこともあるが、価値観はそれそのものが大きく"変わる"のではなく、経験値や選択肢として新たに"増える"ものだと思う。今回増えた(得た)価値観は、10,000ルピーで勝負を挑んでくる強気なヤツがいる(←ここまで言ってくるのは結構珍しい)、家族の数はどうやら関係ない(←ただのアンケートだったのか)、そして、ガンジス川は行く度何かが満たされる、ということか。あと、キャッチに連れられて行く深夜のキャバはろくなもんじゃない(←どれだけ酔ってもそこは冷静に)。

End.












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