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狸虫

かな恵さんは、小学校に通う歳になってもおもらしが直らなかった。
それもいわゆる大のほう。
排泄は便所でするものだと頭では理解しているのに、いざとなると体が動かない。
漏らすことは恥ずかしく、せめてもの抵抗として足をきつく交差させて、汚物が出ないように尻まわりに力を入れた。
それでも努力の甲斐なく下着を汚す日々。
常に糞便の臭いをまとえば、友人などできるはずもない。
本人だけでなく、両親や先生らにも悩みの種となっていた。

ある日、かな恵さんの家に猟師の宮坂さんがやってきた。
宮坂さんはかな恵さんを見るなり「やっぱり虫がいる」と言う。
それから大人3人で客間に引きこもり、何やら話していた。
話が終わった両親は客間から出てくると、「大丈夫だからね」と背中をさすり、わけも話さず、宮坂さんの車にかな恵さんを乗せた。

夜の帳も降りた頃に到着したのは、荒屋、と言いたくなるような宮坂さんの自宅だった。
手を引かれ、地下に連れていかれた。
光一筋許さない真っ暗な部屋があった。
そこで、あとで来るからと突然手を離され、扉を閉められてしまった。
自分の輪郭さえわからないほどの暗闇。
すぐに、出してくれと泣き叫んだ。

どのぐらいの時間が経ったのか。
涙も声も尽き果て、へたりこんでいると、物音がした。
変わらず何も見えない。
しかし、耳を頼りに音の発生源から逃げるほど体力もない。
ガタゴトという音を静かに聞いていると、目の前が白くなった。
「ぎゃっ」
ジー、カシャッ
ジー、カシャッ
目の前が白くなり、また暗闇に戻るを数え切れぬほど繰り返す。
身の回りものひとつ見えぬというのに、赤青緑の色の影が目の前に浮かんだ。
目が痛い。なんだかお腹も痛くなってきた。

――おかしくなる。死んでしまう。

そう思った時。
「もう出ないな」
宮坂さんの声がし、照明がついた。
痛む目で何とか捉えたのは、真っ白い部屋と三脚に乗せられたカメラ。
急に力が抜けて、意識を手放してしまった。

起きると両親が心配そうな面持ちで布団の脇に座っていた。
窓の外は明るく、時計は12時を指している。
起きたばかりのかな恵さんに、宮坂さんが写真の束を差し出す。
写っているのは、床に転がって目を抑える自分だった。
そのまま何枚か見るうちに気づいた。
腹のあたりから白黒の砂嵐のようなものが出ていて、カメラに近づいている。
最後の1枚には、もはや砂嵐しか写っていなかった。

「10年ぐらい前、撃ち損じた狸が己らの便所で死んでたことがある。それが虫になってお前さんの腹についちまったんだな。だけどな、所詮虫。光に集まるもんだ」
疳の虫出しと一緒だ、と宮坂さんは満足げに笑った。

その日から、かな恵さんのおもらしはぴたりと収まった。

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