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ニギハヤヒ

40年間近く住んでいるこの町に、衝撃な事実を見つけてしまいました。
なんとココは「大和王権」建国前に大和を治めていた神「ニギハヤヒ」の本拠地だったのです。飛鳥時代の有名な豪族「物部氏」の祖神と言われている神様で、すぐ近くの小高い山(桧窪山と呼ばれている)にお墓もあるらしい。

古代史への入り口

歴史好きではあったけど、ほぼ「幕末」限定で「古代史」など全く興味のなかったのに、自分が住んでいる場所が古代から繋がった場所とわかった途端、がぜん興味が湧いてくるとはなんて単純なものでしょう。調べてみると、「ニギハヤヒ」が降臨されたと言われている「磐船神社」へも、車を走らせると10分ほどで到着するし、「ニギハヤヒ」に従属した土着の豪族「長髄彦」の本拠地にも歩いて行けるほどの距離です。その他にも、「神武東征」に関係する歴史的な場所が数々あり、古代史にどっぷりハマるきっかけとなりました。

知られていない歴史

今回、たまたま知った歴史の事実ですが、地元民であってもほとんど知られていないと思います。私自身この事実を知るまでは「ニギハヤヒ」という名前さえ知りませんでした。「ニギハヤヒ」のお墓も、なんの案内も看板も無いですし、その場所ときたら雑木林の奥の奥にひっそりと立っているだけなのです。古代史好きの人でなければ絶対に行こうと思わない場所にあります(Google マップにはなぜか場所が記されています)。近くにある氏神様である通称「おまつの宮(住吉神社)」(桧窪山を背にしています)も、元々は「ニギハヤヒ」を主祭神として祀っていたようですが、今は摂社としてひっそりと祀られています。

つまり、「ニギハヤヒ」という神様は、きっと日本にとっては隠さなければならない神だったのです。で、あっても日本の歴史の一つですし、地元民としても、もっともっと知ってもらいたいと願うばかりです。

古代に想いを馳せる

2000年以上前(たぶん縄文時代?)、この場所には、「神武天皇」以前に「大和」を治める神様がいたこと。「神武東征」の最後の戦いがあったこと。歴史的な場所を今でも特定でき、さらには名前さえもが残っていること。今の時代になっても、遠く2000年以上前の時代に想いを馳せることができるのは、自分にとって本当に幸せなことだと思います。
私の住んでいる場所は、今も田舎の方だと思いますが、2000年以上前は日本の中心だったのです。今は密かな自慢となりました。

(てべぱ)

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