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面白いけどかなり考えさせられた本⑤-2【僕にはわからない】


今回は

心の師匠の中島らもさんのこの本を改めて読みました。最初読んだのは大学生の時でした。改めて私の思考の形成に師匠が影響しているなと改めて感じました。

前回の投稿

今回はその続きです

響いたところ

P31 「偉人」は何がえらいのか?


伝記物や偉人伝を見直してみると、これは実におかしなもののような気がするのだ。伝記物のおかしなところというのは、まず人物の選択が「偉人」ではなく「偉業を成し遂げた人」という尺度で選ばれていることだ。発明や変革などの社会的貢献度の大きさによって人物が選ばれる。その「偉業」を褒め称えるだけでは「教育的」ではないのでその人物の幼少時や青年時のエピソードを必死になって発掘し、スポ根漫画まがいの苦労談や、ワシントンは桜の木を切ったことを正直に父に白状しました」風のくだらないエピソードが付け加えられる。偉業を成し遂げた人間、すなわち人格者という図式を無理矢理に作ってしまうのである。それも不可能なくらい「ヤなやつ」だった場合、根性物路線で通してしまう。勉強ばっかりしていたので、こんなに世間知らずの専門バカの利己主義のいやな奴になりました、みたいなことは完全に削除されている。
日本人は禁欲的な行いをみると手放しに称賛してしまう傾向があるが、どんなストイシズムだって、人間の快楽原則に則って働いているのだ。傍目に見れば過酷であっても、本人はそれが快楽だからやっているのである。

偉人伝に加えられるかどうかは、その偏執事が社会的に成功したかどうか、唯一それのみにかかっている。

これは色々考えさせられます。色々色々

P51 アイスクリームと楽園


今から1000年前の人間が想像したこの世の楽園と、現在我々が住んでいるこの世界を比べてみると物質的に見る限り我々の住む世界は古代人の考え得た「楽園」を遥かに超えているのではないか。そのひとつの例がアイスクリーム。 もちろん庶民の口に入るようなものではなく、当時の一皿のアイスクリークを食べるためには、国民1人あたり何年分もの年収を必要としたのである。ところで翻って今の世界、ことに日本をみてみると、我々が今「冬にアイスクリーム」を食べることが普通になっている。

我々は夏は部屋を寒いくらいに冷やしてすき焼きを食べ、冬は汗をかくくらいにあっためてアイスクリームをたべる。この状況というのは中世の庶民はもちろんのこと、メディチ家の想像力を持ってしても考えつかないことではないか。人間の想像力というのは自分の生きている世界に忠実に立脚しているものだから

我々が今住んでいる世界は楽園以外の何物でもない。アレクサンダー大王よりも、ジンギスカンよりも、そのへんの小学生のほうが何十倍も愉快な生活をしているのだ。

そうやって楽天にいる人は「超楽園」を夢に見る。喉のかわいた人が逃げ水を応用に、人間はどこまでも空しい前進を続けていいくだろう。その先に楽園があるとは僕にはとても思えないのだ。


今日はここまで



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