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成城さんぽ 樫尾俊雄発明記念館

成城にある樫尾俊雄発明記念館に行くにはネット予約が必要です。初めて申し込もうとしたときは、すべて「受付締切」済みでした。新規予約受付開始をしばらく待って、5月8日午前10時に予約できました。

私の住むサ高住施設からは片道2km以上ありますので、途中で朝食休憩をはさんで行くことにしました。

その日を待って施設の朝食をキャンセル。まず向かうはコナズ珈琲成城。
前回、世田谷ベース散歩のときはモーニングの時間を過ぎてしまったのですが、今回は朝9時着、Kona'sモーニングプレートをゲット。

なかなかのボリューム。カロリー摂り過ぎですが、今の幸福感の方が大事。

ゆっくりしたいところですが、ここから記念館までまだ1km以上。9時40分に店を出ました。

エネルギー補給後は足取り軽く、予約時刻前に記念館到着。

敷地835坪、母屋171.35坪+増築棟114坪(合計延べ床面積285.35坪)の成城の豪邸です。高低差20mにもなる国分寺崖線の高台に建てられていて、晴れた日には部屋から富士山が望めます。

鳥をモチーフにした建築デザイン、極楽鳥や白頭鷲そして丹頂鶴を描いたステンドグラス、コンサートホールをイメージしたエントランス、見事な庭園など、建物や内装を見るだけでもびっくりします。

発明した製品を展示する記念館を残すのは樫尾俊雄氏本人の願いだったそうです。かつてのリビングやダイニング、寝室などは「発明の部屋」(小型純電気式計算機の展示)、「数の部屋」(電子式卓上計算機)、「時の部屋」(デジタル腕時計)、「音の部屋」(電子楽器)として活かされ、CASIOの歴代モデルが展示されています。しかも、無料でガイドさんが詳しく説明してくれます。

一番の驚きは世界初の小型純電気式計算機「14-A」の見学でした。町工場で作られたものですが、入力はテンキー方式で、他にも今の電卓の基本構成が世界初の発明に盛り込まれていました。しかも、昭和32年(1957年)の製品がまだ動きます。メンテする技術と知識の伝承も素晴らしい!

昭和21年(1946年)、俊雄氏が逓信省(今のNTT)を辞め、兄が営む樫尾製作所に参加、仕事をしながらタバコを吸える「指輪パイプ」を発明。貴重品であったタバコを根元近くまで吸えることもあり、ヒットしました。これが計算機開発の資金になったそうです。

世界初の小型純電気式計算機「14-A」の展示

数と計算、時の刻み、音の成り立ちを根本から考える探究心。「昨日のおれはバカだったんだ!」と言える毎日の新しい発見。俊雄氏は「必要は発明の母ではなく、発明は必要の母」と言いきる稀にみる発明家でした。

かつての書斎は「創造の部屋」となっており、俊雄氏の眺めた庭園、使った机、椅子、メモなど、発明のため日夜こもって考えた痕跡が残っています。

樫尾俊雄さんの書斎

記念館は、樫尾家の父親と四兄弟が各々の強みを生かし、CASIOのイノベーションと成長を実現していく歴史も学べます。

CASIOの過去の腕時計には、アップルウォッチの要素が数多くありました。撤退したデジカメ、携帯電話だけでなく、CASIOのかつてのイノベーションはスマホに代替されています。

時代の流れの早さを感じますが、オワコン日本と嘆くよりも、世界初のイノベーションを生み出す日本人がいたことを忘れてはいけないと思います。

記念館をつくるというご遺志を実現させたご遺族にも感謝です。
庭の一部は「成城四丁目発明の杜市民緑地」として一般公開されています。

発明の杜市民緑地から見る旧樫尾邸

武者小路実篤邸は仙川の国分寺崖線。樫尾俊雄邸は成城の緑豊かな国分寺崖線にあります。麓を歩いていると、「たぬきに注意」の看板があちこちにありました。ここは成城?

帰りは途中、馴染みの「フレンド ブレンド」でひと休み。美味しいコーヒーをいただきつつ、店主と樫尾俊雄発明記念館の素晴らしさについておしゃべり。楽しい一日でした。


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