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そもそも人それぞれ違う

学校や、職場、地域、家庭…などなど
最初は仲が良い コミュニティやパートナーも
時間が経つと 考え方の違いとかで
愚痴や避難、場合によっては 仲間外れにするって事が
世間でもよくある。

目的や目標、夢、ミッションなどの
ターゲットが一緒な時は、それに向かう『同士』
という仲間意識の元、相手との共通する部分を
会話や行動などのやり取りの中で見付けだす作業が行われ
仲の良い関係性と言うのが保たれるが、
その内、その共通に対して常用化…つまり
当たり前となってきて
関係性が拗れたり、疎遠となってしまう事がある。

【例えば…】

よく有りがちなのが、夢や目標が達成した!
もしくはミッションがクリアした!
その後…

ターゲットが居なくなった後、観察対象となるのが
先ほどの仲間意識の中、一緒にいた『同士』

共通点を発見した時の気持ちの昂揚感はおさまり…
言い方を変えると、当たり前となり
その当たり前の土台の上で、今度は自分と相手との違いに
気が付き始める。

【違い探しからの切り離し】

違いを1つ見付け、2つ見付け…となってしまっている時には
既に相手との違い探しゲームがスタートしている。
そして、“○○な人だと思っていたのに、信じられない”とか
“あの人は、変わってしまった。”とか
“きっと、元々そういう人だったけど、猫被ってたんだ。”とか…
って、絶望感や怒りが湧き上がってくる。

そして、
“この人とは一緒に居れない!”
“こんなに違いがあるなんて信じられない!”
“ホント、最低な人だ!!”
と、グループであれば仲間外れを始める。

パートナーであれば
“私は、こんなにも、あなたの事を思っていたのに!”
“こんなにも、色々な事を犠牲にしてきたのに!”
“あなたに、時間もお金も労力も費やし、尽くしてきたのに!”
“最低すぎる!!”
…と言ったような考えと共に絶望感と怒りが湧き上がってくる。

最終的には自分のエリアに居て欲しくなくなり離れる。
もしくは、切り離し排除が始まる。

【そもそもな話】

そもそも生まれた地域、時代、そして、
その人を教育してきた周りの大人達の価値観や、考え方、
風習(国によっては宗教…など)が、全然違う。

なので、物事の観察の仕方も違えば、解釈の仕方も違う。
人はデータではないので、言葉一つとっても、
イメージするモノや感情、考え、価値観が
全く一緒な人っていない。

【結論】

最初はターゲットや標的を、目の前にして
コミュニティのメンバーやパートナーを
その人の歴史や背景も知らず、部分だけ観て解釈し
同じ志を持つ同士と“思い込み”

ターゲットや標的が無くなると、
今まで気付かなかった歴史や背景を知るようになったり
違いに気付き始めたりと、その新しい発見の部分の鮮度が広がり
こんな人だとは思わなかった!と憤慨し絶望し
その人を排除する。

じゃ、今まで知っていたのは何だったのか?
相手の何を知っていたのか?

知っていたのは、おそらく犬のシッポの毛、
1本分ほどでしかない。

その他は、自分が
“あの人は、こういう発言をする人”
または
“こういう行動をとる人”
ゆえに
“きっと、こういう人であろう!”
と、勝手にその人の偶像を
自分の中に立ち上げていたに過ぎない。

総ては、思い込みでしかない。
思い込みの土台の上で関係性を築こうとしている。
なので、不安定すぎる状態であるし、
些細なキッカケ1つで、いつでもその関係性は崩れる。

【では、どうするべきか…?】

『我』を捨てる事。

詳しくは、また今度書きまぁーす。

とりあえず今回は、
最後まで読んで下さり
ありがとうございます♪<m(_ _)m>

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