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気づかぬ厚意

東大の入学式の数日前に、1回だけ会ったことがあるメディア関係のおじさんから連絡が来た。
「合格おめでとうございます。入学式に自分の友人のメディア関係者が東大生の取材をしに行くんで、タイミングが合えば取材対応をしてもらえませんか」
そのおじさんに対して良い印象を待っていたけれど、あまり気にしていなかった。「タイミングが合えば対応しよう」くらいに思っていた。
入学式のあとにはクラスの食事会があるし、会場となっている武道館は広いからそのメディアの人に声をかけられる可能性はかなり低い。
「お見かけしたらこちらから声をかけるようにいたします」と返事をした。

入学式当日おじさんから連絡が来て、「自分も会場にいます」とのことだったので、せっかくなら会いたいと思い、居場所を聞いた。そこにはメディアの人が3人いて、挨拶をしてからインタビューを受け、写真撮影に対応した。1度会っただけのおじさんだけど、自分ができる最大限の対応をしたつもりだった。

15分くらいの取材が終わって、記者の人たちに聞いた。
「この後は、どの辺で東大生に声をかけるんですか?」
「いえ、これで帰ります」
彼らは帰って行った。
おじさんも帰って行った。
ぼくは馬鹿だ。
三国一の大馬鹿者だ。

おじさんは一度しか会ったことのないぼくのために、メディアの人を呼んでくれたのだった。

「君のためですよ」といった雰囲気はおくびにも出さず、「協力してくれませんか」と、さも自分や自分の友人が困っているような感じで連絡をくれたのだ。
そんなことにも気づかなかったぼくは、ちょっと忙しかったり、スマホを見ていなかったりしたら、おじさんのところに行かなかったかもしれない。


そうしたら、おじさんたちの厚意は無駄になる。そういうリスクもあるけれど、おじさんは取材対応を強要しなかった。
推奨すらしなかった。
ぼくやぼくのマネージャーは東大の入学式に対して反響があるとは予想していなかった。だから、自分たちでは何の準備もしていなかった。

せいぜい「入学式でした」と投稿するくらいだ。
結果、おじさんが呼んでくれた3社のメディアで取り上げられ、東大合格を公表したときの数倍の反響があって、多くの人に知ってもらえた。それがきっかけで、執筆や講演、テレビ出演を依頼してくださった方もいるだろう。

自分の厚意に気づいてもらえないときはあるけれど、それでもいいじゃない。
おじさんの言葉や行動を脳のたんすにしまって、必要なときに取り出している。

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