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しても、しなくてもいい。 余白のある生き方 - 秘密結社「喫煙所」(第2通目)

ヒロさんへ

第1通目ありがとう。

素直になるって本当に難しい。自分に素直でいることをいつのまにか怖がっているときもあって。だからこそ、心軽やかに息を深く吸えるところがあることが大切なんだろうね。そこでヒロさんがこんな問いをくれました。

どういうときに息を深く吸えるって思う?

息を深く吸えるところって? - 秘密結社「喫煙所」(第1通目)

わたしは余白があるときかな。

たとえば、やってもやらなくてもいいと選べる自由がある。ダメな自分でも帰ってこられる居場所があったり、ふらっとどこかに行ける時間があったり。話を最後まで聞いてもらえたときや、文章を書くときもそうだね。

話を最後まで聞けなくなるときは、相手との関係性や距離感から相手の考えを受けとる余白がないのかもしれない。この人の意見はこの距離だったら聞けるという体験は、誰しもある気がする。

最近だと、何でも話せる女友達と会ったときに、深く息が吸えた気がしたかな。地元で会って安い回転寿司行って、ただ話してただけなんだけど。

会うまで気分がどんよりしてる日が続いてたんだけど、会ってようやく酸素が体を循環した気がしたよ。

その子とは、オシャレなお店とか、どこか特別な場所でご飯食べても、食べなくてもいい関係性だから居心地が良くてね。オシャレなお店が嫌いな訳じゃないよ?(笑)

別に何か特別なことをするわけでも、おもしろいことを言って欲しいわけでも、共感して欲しいわけでもない。ただそこにいるだけでいい「人や場所」があると、わたしも「何かしようとせず」そこにいるだけでいいやと思えるんだよね。

何もしないという選択肢がある。そんな余白のある空間や時間や人がいると、わたしは深く息が吸えるんだと思う。だいたいそういう場所では素直でいられる。

だから、「〜して欲しい」と求められたときに、わたしは息苦しさを感じてしまうかな。それは人から求められることもあるし、自分自身からもある。

至るところに「こうあるべき」っていう空気が充満してると思うんだけど、それに感染すると、いつの間にか自分も「こうあるべき」っていう思考に陥ることがある。

もちろん自分がただ思い込んでいるだけなのも十分にあり得る。どちらにせよ「こうあるべき」に感染すると、自分が自分に「こうあるべきにあわせて欲しい」と思っている。(ここで酸素が枯渇してきます〜)

それらと1人で闘うのはしんどい。何度感染してるか(笑)。「あっ感染してる」と思ったら毎回避難してる。

そんな避難できるところが、自分で自分でいられる場所であり、ヒロさんでいう、クローズドなコミュニティや、文章を書き殴ることや、木彫りがそれに当たるのかもしれないね。

個人的な意見だけど、自分が自分でいられる場所や人がいると自然と素直になって、そのうち勝手に「〜して欲しい」じゃなくて「〜したい」が生まれてくる気がする息を深く吸うだけじゃなく、吐けるようになるように。

わたしは文章を書いているうちに、「もっとこうしたい!」っていう欲が出てきた。自分が素直でいられる人の話は最後まで聞きたいし、自分からも話したい。他にもそういう出来事は探せばあると思うんだよね。

ちなみに今回、考え続けるって余白のある生き方だなと思った。切羽詰ってたらそんなに考え続けていられないし、別に考え続ける義務もないから。遊びとかもそうだけど義務じゃないことをやる余白って、やっぱりいいな。

そういう意味では、『水中の哲学者たち』の作者 永井玲衣さんは余白がある人だった。考え続けて、哲学対話で人の話を最後まで聞いて。それが文章に現れているから、読んでいて心地がよかった。

この文通企画も心地よ〜く書き続けられればいいな。

 * * *

お友達のヒロさんと文通企画『秘密結社「喫煙所」』をはじめました〜!

※ちなみにタバコは吸わないです。交互にテーマを決めて、それを受けて自分なりの考えを書いていく企画です。

こうやって人から問いをもらうことで自分が考えるきっかけになって、考えが深まっていったり、意外な答えが出てくるからおもしろいんだよね。

いつまで続くかわからないけど、速さに巻き込まれやすい社会だからこそ、それぞれの心地よいペースを見つけながら、この文通企画で答えのないことを問い続けたいと思ってる。

息を深く吸えるところって? - 秘密結社「喫煙所」(第1通目)

まさに余白だね。

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