見出し画像

優しい陽射し

疲れました。トップの画像の尾崎さんは写真に見えますが、天才人物画家ならかよこさんの作品です。騙されないでください。
動画の編集作業というのは、限りなく追い詰めてきます。
だって、企画から始まって、日程調整、練習、練習、練習、レコーディング、Mixの調整、そこに来てまったく別ジャンルの映像編集(映像ではないけれど)という作業。
とにかく歌詞打ちに本気を出します。
歌詞のコンマ数秒のずれで映像の感じが変わってくるんですね。

今回は、緊急事態宣言のためバンドで集まることができませんでした。
なので、おそらく最初で最後のソロ作品です。

実は、緊急事態宣言が発令されるまで、『優しい陽射し』のことは全く考えてませんでした。別の曲を研究して、練習して、練習してました。
ところがどっこいレコーディングの予約がスタジオの一時閉鎖でぶっ飛び。
2017年から続けてきた4月25日のYouTubeへの投稿を断念せざるを得ないかに思われましたが、京都の提携スタジオがまだギリギリやっていてそこでならなんとかレコーディングできそうだと言われましたが、用意していたバンドの音源(オケ)が一時閉鎖していない京都のスタジオでは使えないとのことで…。

焦りました…。

そこでふと頭の中に浮かんできたのが『優しい陽射し』をソロで録る。
ということ。

本来、追悼企画は1stアルバムから順を追って作品にしていってるので、92年、尾崎さんの死後発売されたラストアルバム『放熱への証』の曲はもっと後にやる予定でした。しかも『優しい陽射し』は予定にすら入れていない曲でした。

なぜ、『放熱への証』から選んだかというと、そうですね、わかる人にはわかる年齢的な問題です。
年齢は明かしていないので(なぜ 隠す必要性が全く見当たらないね)、言えませんが92年の尾崎さんと今の僕は…そういうことなんです。

あ、今は先日誕生日を迎えて、歳をとってます。
「この歳のうちに、尾崎さんが遺した『放熱への証』から一曲やろう」と突如浮かんできたんです。

曲を研究する時間、練習する時間が短すぎて困りましたがギター譜を起こしたり、歌に関しては今まで聴いてきた感覚を頼りにどう向き合うべきか急遽練り上げました。
歌は限られた時間のなかで最大限努力しました。
何より、ギターは普段、バンドマスターの蒲生(がもう)さんに主にまかせているので、がんばりました。そこを褒めてください!!笑
ギター録りおよそ2時間(ギターは2本重ねてます)のあとの歌入れは体を容赦なく追い込んできました。疲れました。疲れました。
実は更にそのあとにもともと予定した曲も歌ったんですけどね。
もっと良いテイクが録れそうなのでまたエンジニアの菅野さんとがんばります。

動画の間奏部分で出てくる男、あれ僕です…。
初の顔出しです。顔から火が吹き出ます。
尾崎さんを描いてくれた、同じくならかよこ先生がこの年齢の記念に描いてくれました。僕の手元には尾崎さんと僕が並んでいるイラストがあります。
ありがとうございます。ならさん。

あと、久々に写真家のMichi Tomitaさんも協力してくれました。
一作目の『街の風景』から『太陽の破片』を最後にがんばってくれた(実際はあと一作品)写真家の方です。
大変な中、力を貸してくれてありがとう。

緊急事態宣言が招いた思いもよらぬ『優しい陽射し』のカバー。
尾崎さん喜んでくれたかな。
協力してくださった皆さんも本当にどうもありがとうございます。

そんな、今日は尾崎さんの28回目の命日です。

写真©Michi Tomita イラスト©ならかよこ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?