見出し画像

哀れなるものたち

 話題になっているこちら、もう皆さんはご覧になっただろうか。この作品を、私は映画として受けとることが出来なかった。リアリティなど生まれるはずがない奇想天外な人物設定。それなのに、何故か主人公であるベラの人生がどこかの世界に存在しているような気がしてしまうのだ。

 この作品の主題は私が思うに、「解放」である。


※なるべく控えていますが、劇中のセリフなど若干のネタバレを含みます。差し支えあれば、ブラウザバックして下さると助かります。

.
.
.
.
.
.
.
.
.
.

.

◯poor

 「哀れなるものたち」の原題は「POOR THINGS」。作中にも度々出てくるこの”poor”という言葉。個人的には、ベラの父、ゴッドから発される頻度が多かったように感じる。彼はベラを可哀想だと言うが、彼女は恐らく微塵も自分自身を可哀想だなんて思っていない。むしろ、そう思っているのは彼自身ではないだろうか。私はそんなゴッドの言葉が特に印象に残っている。大体このようなセリフだ、「私に向けられる視線は恐怖か哀れみを孕んでいた。そうでないのは君(ベラ)だけだった」。ゴッドは父の実験台であったせいもあり、確かに普通ではない容姿をしている。見た目だけではなく、彼のバッググラウンドも含めて哀れむ人も多かったのだろう。
 しかし、私が思うに、”poor”かそうでないか、それは自分自身が決めるものである。生前の苦しみから命を投げ捨てたのに、他者の都合で蘇生される。我々から見ればベラは紛れもなく”poor”なのだ。それでも、彼女は力強く生きている。それは彼女が自分の事を“poor”などと思っていないからではないだろうか。

◯抑圧と解放

 先述のとおり、私はこの作品のメインテーマは「解放」だと考えている。解放というのはそれ以前に抑圧が存在する。例えば、「外の世界は危険だから外に出てはいけない」、「女性は性にオープンであってはならない」などである。抑圧と解放。それはこの作品の至る所から散見される。個人的にわかりやすい、衣装という視点で話そう。
 世界観がかなり特殊なので、時代から見た服装の考察は避ける。少なくとも、彼女は周囲の女性たちとはかなり異なった服装を好んでいる。女性たちがいわゆる西洋貴族といった服装をしているのに対し、彼女はドレスを着崩したり、膝上のスカートを身に付けている。また、彼女はコルセットをほとんど身につけていない。彼女がとある人物によって軟禁状態になった際にのみ、コルセットを付け必要以上に裾の長いドレスを纏っている。体を縛り付けるコルセット、矢鱈と長い裾。これもまた、抑圧の一環なのだ。今まで女性たちは身体を衣服で縛り付けられていた。要するに、それに全く染まらない彼女は異質なのである。それは彼女が「解放」されているからだ。彼女は先進的すぎたる。恐らく、現代社会だとしても彼女は異質だろう。そんな彼女に人々は抑圧を強いる。良識や清純性、お淑やかさを押し付ける。それに負けないのがベラの強さだ。男たちを翻弄し、どこまでも貪欲に学び、強く、美しくなってゆく。彼女は極めて先鋭的な「自立した女性」のロールモデルなのだ。

◯まとめ

 正直、この話の前半はかなりしんどかった。安っぽい言葉ではあるが、敢えてそう表現したい。エマ・ストーンの演技はあまりにも生々しく、それでいて魅力的であった。目も当てられなかったはずなのに、いつのまにか固唾を呑んで見守ってしまう。俳優陣の狂気的な演技と監督の独特なセンス。これは唯一無二だろう。また、映画館で見たい作品でもある。サブスクがこれだけ普及している中、激しいアクションでもないのに何故?と感じるかもしれない。そんなの、単純にしんどいからである。私はこれが自宅だったら前半で視聴をやめていた。映画館だからこそ、途中退出を勿体無く思い、視聴を続けられたのである。私はこの映画、彼女の人生と出会えて本当に良かったと感じている。ありがとう映画館。
 それから、ラストのシーン。詳細は省くが、あれはとてつもない皮肉が込められていて良かった。この作品は皮肉が全体を通して散りばめられているので、イギリスのユーモアがお好みならば必見だ。ちなみに、原作者がscottishだそうで、なんというか流石である。

 ここまで読んだ上で、未視聴の方は公開からかなり日数が経っているので、お早めに映画館へ足を運んで是非体感して頂きたい。美しさと不気味さの混在するあの世界を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?