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そんなわけで「トーマの心臓」

 そんなこんなで、書棚から引っ張り出してきました「トーマの心臓」。
もう、古いです。黄ばんでいます。とにかく死ぬほど読み返したので、今みても、これを読んだ当時(中二病時代)のことを思い出すくらいです。

 せんだってからの「一度きりの大泉の話」を読んで。もう一度「トーマの心臓」を確認してみたくなりました。

 それにしても、ネットでは「トーマの心臓」の感想を書いてるのがなぜかおっさんばっかりなんですよね。
 私はここに断言しますけど、これらのおっさんの論評は9割がた見当はずれ!です(笑)

 いや、なんでそんなことを断言するかというと、この作品はやっぱりそういう時代の思春期の少女でしか感じ取れない「何か」があるからですよ。

 現に…っていうか、私も今回読み返してみて、これの一体何がそんなに良かったんだろう。とか思わないでもないです(笑)
 とはいえ、エーリクがトーマの家を訪問して、彼のお母さんと話をする場面とかは、胸がいっぱいになりました。こんな場面を20歳そこそこで描くことができたなんて、萩尾先生の人間に対する感性って、やっぱりずば抜けてるのだなあ。

 などと思いました。


トーマのお母さん。

 あと、「ヤコブ館の二階端」って、もしかして「大泉サロン」のことなの?とか思いましたよ。そしてサイフリートは…。

 ちなみに「一度きりの大泉の話」の感想を別の友達に聞いてみました。速攻Amazonで注文して、次の日には感想をくれましたよ。やっぱり、昔の萩尾ファンは心構えが違いますね!

 彼女の言うには、萩尾先生のギムナジウム物はBLではない。(その時代にそういう言葉も概念もなかった)
 人間愛だし、そこには性もなにもない。
 萩尾先生は「腐女子」でもない。
あと、竹宮は嫌われて当然。

ってことでした。

 まあ、確かに言われてみればそうか…。腐女子なんていうものは、「トーマの心臓」のずっとずっと後の言葉だし、意味合い的には「だれかれ構わず男同士をカップルにして萌える系」だもんな(笑)
 確かに萩尾先生に腐女子という言葉ほど似つかわしくないものはございません。申し訳ございませんでした。

 それに、考えてみたら私自身も「腐女子」という言葉をもう使わない。と書いた記憶がありました。

 あれですよね。結局のところ、読み取れるのは竹宮恵子は同性愛系で、萩尾先生はノンバイナリーゆうことでしょうかね。

 

 

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