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【映画】感想『パスト ライブス/再会』~ノスタルジーと夢への挑戦~


第96回アカデミー賞の作品賞及び脚本賞にノミネートされた『パスト ライブス/再会』が、2024年4月5日より日本で公開されました。
本作品が、監督であるセリーヌ・ソンの長編映画監督デビュー作なのですが、良質な作品でした。A24は、相変わらず才能を拾い上げることが上手いですね。
今回はこの『パスト ライブス/再会』の魅力と感想を述べたいと思います。

***以下ネタバレを含みます。ご注意ください***

監督・脚本・出演・原作・あらすじ


監督・脚本:セリーヌ・ソン
出演:グレタ・リー、ユ・テオ、ジョン・マガロ、Moon Seung-ah、Seung Min Yimほか
パスト ライブス/再会 - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ | Filmarks映画

あらすじ:

ソウルに暮らす12歳の少女ノラと少年ヘソン。ふたりはお互いに恋心を抱いていたが、ノラの海外移住により離れ離れになってしまう。12年後24歳になり、ニューヨークとソウルでそれぞれの人生を歩んでいたふたりは、オンラインで再会を果たし、お互いを想いながらもすれ違ってしまう。そして12年後の36歳、ノラは作家のアーサーと結婚していた。ヘソンはそのことを知りながらも、ノラに会うためにニューヨークを訪れる。24年ぶりにやっとめぐり逢えたふたりの再会の7日間。ふたりが選ぶ、運命とはーー。

映画『パスト ライブス/再会』|2024年4月5日(金)公開 (happinet-phantom.com)より

お互いへの気持ちとはなにか

個人的には、この物語の前提の部分に少しひっかかりを感じていました。というのも、12歳の時の想い人を、お互い24年間も想い続けることができるのかという疑問があったからです。単に純愛で片づけるには、少し設定に無理があるような気がします(『あと1cmの恋』(2014年)や『ワン・デイ 23年のラブストーリー』(2011年)のように、それなりの頻度で会っていれば、まだ理解できるものの)。
しかし以下のように考えた際、その違和感が解消されたとともに、この映画をより深く理解できたように感じました。

ヘソンの想い

ヘソンにとってノラは恐らく、泣き虫で自分の庇護下に置きたい存在なのでしょう。そしてそれは、”韓国人男性的恋愛観”(男が女を守る)とも合致したのではないでしょうか(逆にこの理由で今の彼女との結婚を迷っているという話を、ヘソンはノラにしています)。さらにそこへ、共に過ごす時間の唐突な終わり(ノラのカナダへの移住)も相まって、印象深い思い出として、ヘソンの中に12歳の時のノラは生き続けたはずです。しかし彼のこれらの価値観こそが、ノラとの関係の結末を決めたのだと私は思います(理由は後述します)。
ノラの”弱さ”を愛する一方で、ヘソンは、ノラの”野心的”な部分も好きだとしばしば口にします。その野心こそが、二人の行く先に影響を及ぼすわけで、これもまた切ない部分です。

ノラの想い

他方、ノラにとってのヘソンへの想いは、単純な恋愛感情だけではありません。そこには、故郷ソウルへの望郷の念も含まれており、そのノスタルジーは彼女の”弱さ”の象徴でもあります。
12歳の子供にとって、慣れ親しんだ土地を捨てて異国に移住する不安や悲しみは、相当大きいものだと思います(ケネス・ブラナー監督の『ベルファスト』(2021年)の主題がこれでした)。ヘソンとのビデオ電話でソウルの街並みを見たときの彼女の言動や、当分通話を控えたいとヘソンへ伝えたときの並々ならぬ決意表明(二度も移住してまで夢を叶えようとしていうという部分)は、まさにソウルへの想いを感じます。寝言が韓国語であることや、久々のヘソンとの再会後、アーサーへ彼が極めて”韓国的”であったことを強調している部分にも、彼女の韓国(ソウル)への想いが表れています。
それゆえにソウルを感じさせるヘソンに対し、24年の時を経てもなびきかけてしまうのではないでしょうか(もちろんヘソンが容姿端麗であることや、彼の一途な愛も無関係ではないと思います)。
しかし彼女は、作家としての成功を目指してNYまで来ています。そして芝居の稽古に情熱を注いでいます。そんな彼女にとって〈韓国に戻る=夢を諦める〉という思考になっても不思議はありません。さらに言えば、韓国に戻れば、あの頃の弱い自分になってしまうとさえ考えているのではないでしょうか。それは、カナダに移住してから次第に泣かなくなったという彼女の発言にも表れています。泣いてもだれも構ってくれないから泣かなくなった。つまり、自立して生きていくしかないと決意したということではないでしょうか。この決意こそが、最終的にヘソンを選ばなかったことにつながったのだと思います。

二人の結末

ヘソンは、ノラに12歳の時の少女の姿をいまだに見ています。一方ノラは、自分の中にあるソウルと共鳴するという意味でヘソンに心惹かれる部分もあるものの、そんな自分とは決別したいという思いもあります。この二人の関係性は、ヘソン、ノラ、アーサーの三人でバーに行った際、ノラの台詞で、12歳の少女はもう自分の中にはいないが、あなたの中にはある、と言う部分に端的に表れています。彼女は、自分の夢を選んだのでした。そしてヘソンが想っているノラは、彼女が夢を叶えるために捨てたいソウルの自分でした。
ノラは、自分を想い続けてくれ、そしてずっと心の中にあるソウルと共鳴するヘソンではなく、自分の夢を選んのです。
上記のように考えた際、冒頭で述べた違和感は解消されます。ヘソンは、12歳の時の甘い思い出を抱き続けており、ノラは、ソウルへのノスタルジーを抱えていました。このことが24年という長い時間を経てなお、その再会が互いへの想いを再燃させた理由なのだと思います。つまり単純な恋愛感情としてお互いに惹かれあっていたわけではないのです。
この物語には、”韓国的”なヘソンと”アメリカ的”なノラの対比(再開時のハグ等)があり、この違いが二人の結末の原因と捉えることもできるとは思います。間接的にはこの対比が原因だとは思いますが、彼女の”野心”と”弱さ”の対立が二人の結末の原因と思います。その場合、ヘソンが愛したノラの”弱さ”と”野心”のうち、”野心”のために一緒になることが叶わなかった。何とも言えない切なさを覚える終わりです。

最後に

この映画は、単に昔の想い人へ惹かれる男女のストーリーを描いたものではなく、幼い時に異国の地に移り、故郷への想いを残し続けつつも異国の地で夢の実現に向けて頑張る人を描いた物語のように思われました。夢を叶えるために多くの人が集うNYの”映える”風景が、さらに物語に彩りを与えていました。

ちなみに余談ですが、作中で『エターナル・サンシャイン』(2004年)が出てきます。あの映画は、最終的には二人はよりを戻す(=一緒になる)映画なので、本作品とはある意味真逆の結末を迎える『エターナル・サンシャイン』に言及するところが面白いですね。

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