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宮崎駿の人生に影響を与えた実在の人たち 現実と繋がる異界譚『君たちはどう生きるか』


 宮崎駿監督にとって12本目となる長編アニメ映画『君たちはどう生きるか』が、2023年7月14日より公開が始まった。これまでのスタジオジブリは、日本テレビや大手広告代理店とがっちりスクラムを組んできたが、今回はスタジオジブリ一社での製作。テレビCMをいっさい流さないなど、宣伝活動をしていないことでも話題となっている。

 それでも宮崎駿監督の10年ぶりの新作『君たちはどう生きるか』は、スタジオジブリのブランド力もあって、公開4日間の興収は21億4000万円という好スタートを切った。観客の感想は賛否に分かれているものの、8月7日までに興収54億円8000万円を記録。莫大な宣伝費を費やしていないことを考えれば、すでに充分なヒット作だと言えるだろう。

 これからの夏休み興行で動員を伸ばし、スタジオジブリ最大のヒット作『千と千尋の神隠し』(01年)の316億円レベルは無理でも、前作『風立ちぬ』(13年)の120億円に近い数字は残すに違いない。

宮崎駿監督が4歳のときに体験した大空襲

 宮崎駿監督のオリジナルストーリーである『君たちはどう生きるか』は、第二次世界大戦中に疎開先の屋敷で過ごすことになった少年・牧 眞人の心の成長を描いた物語だ。これまで以上に、宮崎駿監督の自伝色の強い作品となっている。

 冒頭の空襲シーンは、非常に迫力のある描写となっている。宮崎駿監督は4歳のときに「宇都宮大空襲」を体験しており、そのときの記憶が脳裏に焼き付いているそうだ。宮崎駿監督の記憶の原風景、原体験を遡っていく形で物語が始まる。

 宮崎駿監督の父親・宮崎勝治氏は航空機のパーツを制作する軍需工場を経営し、戦時中は大変羽振りがよかったことが知られている。また、勝治氏は学生結婚したものの、結婚して一年も経たずに夫人を結核で亡くしている。宮崎駿監督が会うことのなかったこの父の最初の結婚相手は、前作『風立ちぬ』のヒロイン・菜穂子となった。

 今回の主人公・眞人は先妻の息子という設定だが、宮崎駿監督を産んだ母・美子さんは、父・勝治氏の再婚相手。実際の宮崎家を脚色した設定となっている。そして、母親との再会と和解が本作の重要なテーマだ。

 若い頃はとても元気だった母・美子さんだが、宮崎駿監督が幼い頃に脊椎カリエスを患い、長い闘病生活を体験している。そのため、少年期の宮崎駿監督は母親に甘えることができなかった。『となりのトトロ』(88年)のメイのような寂しい日々を過ごしている。その後、新しい薬が普及し、美子さんはすっかり回復。死の淵をさまよっていた母の生還を、宮崎駿監督はどれだけ喜んだことだろうか。

 ノンフィクションライターの大泉実成氏が取材した『宮崎駿の原点 母と子の物語』(潮出版)を読むと、22歳のときに宮崎駿監督は元気になった美子さんと大ゲンカしたことが記されており、とても興味深い。

「人間はしかたないものだ」が口癖だった母・美子さん

 宮崎駿監督の母・美子さんは病床にありながらも大変な読書家で、博学だった。また、「人間はしかたないものだ」が美子さんの口癖だった。死を身近なものとして感じながら生きてきた美子さんは、シビアな人生観の持ち主でもあった。

 大学を卒業し、東映動画(現在の東映アニメーション)に就職したばかりの宮崎駿監督には、美子さんの「人間はしかたないものだ」という諦観が受け入れられなかったようだ。労働争議問題が絡んだ「松川事件」の裁判結果をめぐって、美子さんと口論になり、宮崎駿監督は泣きながら議論したことが『宮崎駿の原点』では触れられている。

 このときの宮崎駿監督の胸中には、母親が議論を交わすことができるほど元気になった喜びと、愛する母親が自分とは異なる考えであることのやるせなさ、その両方が入り混じっていたのではないだろうか。

 その美子さんは、宮崎駿監督の初めてのオリジナル映画『風の谷のナウシカ』(83年)の制作中、71歳で亡くなっている。スタジオジブリの第1作『天空の城ラピュタ』(86年)のヒロインであるシータは美子さんの少女時代、空中海賊ドーラは晩年の美子さんが投影されていることは有名なエピソードだ。母親に対する複雑な想いが、宮崎駿作品からは感じることができる。

 愛情と哀しみ、純粋さと毒々しさ、相反する感情をエネルギーにして、宮崎駿ワールドはこれまで走り続けてきた。まるで『ハウルの動く城』(04年)のように。反戦を訴えながら、ミリタリーマニアでもあり続ける宮崎駿監督。矛盾こそが、宮崎駿監督にとっての「飛行石」でもある。矛盾が大きければ大きいほど、宮崎駿監督はより高く、より遠くまで飛翔することができた。

アオサギのモデルとなった「トリックスター」たち

 主人公・眞人を異界へと誘う「アオサギ」も重要なキャラクターとなっている。敵か味方か分からない、極めて厄介な存在だ。物語構造上、「トリックスター」と呼ばれ、宮崎駿作品にたびたび登場するキャラクターでもある。

 宮崎駿監督の初監督作となったTVアニメシリーズ『未来少年コナン』(NHK総合)のダイス船長が、宮崎駿作品における初代「トリックスター」だ。状況次第で立場をコロコロと変えるダイス船長だが、うさん臭いダイス船長と出会っていなければ、コナンは科学都市インダストリアまで辿り着くことは叶わず、ラナを救出することもできなかった。

 ダイス船長のモデルとなったのは、「東京ムービー新社」「テレコム・アニメーションフィルム」の社長だった藤岡豊氏(1927年~1996年)。駆け引き好きで、発言内容がよく変わったとのこと。大作アニメ『NEMO/ニモ』を「テレコム・アニメーションフィルム」で制作し、世界進出するという野望を抱き続けた。高畑勲監督らも巻き込こんだビッグプロジェクトだったが、この夢の大航海は座礁するという結果に終わってしまった。

 だが、藤岡氏との出会いがなければ、宮崎駿監督は『ルパン三世 カリオストロの城』(79年)で劇場デビューを果たすこともなかったはず。また、スタジオジブリを創設した徳間康快会長(1921年~2000年)や鈴木敏夫プロデューサーも、この「トリックスター」の系譜に入る人物だと言えるだろう。暴力団ネタを得意とした実話誌「週刊アサヒ芸能」を徳間書店は大いに売りまくり、その収益金が子どもたちに夢を売るスタジオジブリへと化けることになった。自分とは異なる価値観の持ち主との出会いが、人生の扉を大きく開けることになる。

 かつてのジブリ作品のような爽快感やエンタメ性を求めている人たちには、今回の異界めぐりのストーリーは小難しく感じられ、酷評の要因となっているようだ。かわいいはずの小鳥たちが、不気味な描かれ方をされている点も、受け入れられにくいのかもしれない。

 空を飛ぶことの気持ちよさをアニメーションとして表現してきた宮崎駿監督だが、本作に登場するペリカンやインコたちは、「烏合の衆」として描かれている。空を自由に飛ぶことができるはずの鳥たちが、組織や集団に縛られた個性のないモブキャラとして描かれていることは、アニメ業界のみならず若い世代に対する警鐘だろう。

「君たちはどう生きるか」

 アニメ業界を生き抜いてきた、82歳になる“生き神”宮崎駿監督は問いかける。

 人間は悪意を持ち、平気で嘘をつき、人を傷つけ、戦争を始める「しかたがない」存在だ。その上、この世界は多くの矛盾に満ち溢れている。それでも、そんな不完全な社会に向き合っていこうと考える人を、宮崎駿監督は祝福する。

 この作品を見終わって現実世界に戻れば、宮崎駿監督が投げかけた問いや祝福は瞬時に忘れてしまうだろう。アオサギが「どうせすぐ忘れる」と言ったように。だが、観た人の中には、アニメ界の“生き神”から「お守り」を渡されたように感じた人もいるはずだ。

 今は難解に思えても、いつか氷解する人生の瞬間が訪れるかもしれない。現実世界と地続きの異界を旅する『君たちはどう生きるか』を観て、そんなことを思った。

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